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魔術学院マイナーデ

狂気の魔女06

やけに入り組んでいる屋敷の中を,ライムとスーズはまっすぐに地下室の方へと走った.
魔法具の一種である操り人形がサリナの居場所を突き止めたので,執事の男を追いかけるのを辞めたのだ.

走る少年を,誰も止めようとはしない.
メイドも小間使いの男たちもむしろ怯えたように逃げ惑い,おろおろとするばかりだ.
それどころか,
「金目のものを持って逃げようか,」
という囁きさえ聞こえる.
彼らの忠誠心の低さに,スーズは少しばかり呆れた.
するといきなり,どぉん! と屋敷が揺れる!
「うわ!?」
予期していなかった衝撃に青年は転倒する.
しかし少年の方は一段と足を早くする.
「サリナ!」
その名前が,いつでも少年を走らせる.

魔力の暴走だ.
スーズはすぐさま起き上がり,彼の主人を追いかける.
とてつもない魔力が,誰の制御も受けずに奔流している!
「殿下,待ってください!」
いくら金の髪の少年が魔法を得意でも,収めることができるとは思えない.

「あまりにも危険です!」
普段,声を荒げることの無い青年の叫びを聞かずに,少年はどんどんと地下へと続く階段を下りてゆく.
地下室への鉄の扉に手をかけた瞬間,少年は「あつっ!」と声を上げ飛びずさった.
「殿下!?」
熱せられた鉄に,部屋の中の惨状が思いやられる.
「辞めてください!」
スーズは少年の肩を掴み,止めようとする.
「行くぞ,」
少しの躊躇もない,少年は灼熱のドアノブを回した!

吹き荒れる嵐のような炎の乱舞.
スーズはすばやく呪文を唱え,少年の身をガードする.
少年は炎の中心へと向かって駆け出してゆく.
「サリナ!」
すると炎の中で,巨大な竜がゆったりと頭をもたげた.

ぱちぱちとはぜる炎,降り注ぐ火の粉.
熱気と冷気が並存する異常な空間,強風がいまだ未熟な少年の体を押し倒そうとする.
少年は静かな瞳を上げて,底知れぬ魔力を秘めた獣と向き合った.
戦場における最強の剣,……魔術大国シグニアの炎の守護竜.
「サリナ,……今,何を考えている?」
しゅうしゅうと湯気を立てながら,少年の足は凍り付いてゆく.
少年の深緑の瞳に映るのは,いとしい少女の姿か,失われた母の姿か.
「……お前も行ってしまうのか,……俺のことは,」
イースト家の魔女の云われのとおり,魔力を暴走させて狂った母親.
目の前で魔力に飲み込まれてゆく母親を,少年は助けることが出来なかった.
けれど……,
「サリナ,……俺のことを見てくれ,」
それは母が少年に告げた言葉,狂った世界の中で唯一正気を取り戻すとき.
「俺を置いてゆくな! ……闇よ,とこしえの安らぎを我が手に,」
……ライゼリート,あなたのことを想うときにだけ,私は正気に戻れる.
「混沌を偽りの夢の中に沈め,秩序を取り戻せ!」

ぱりぃ……ん.
少年の下半身を覆っていた氷が,ガラスのように砕け散る.
勢いよく燃えさかっていた炎が,一気に勢力を弱める.
熱さに顔をしかめながら青年が鎮火の呪文を唱えると,簡単に炎は消えてゆく.
少年は,地下室の中心で倒れている少女の姿を発見した.

「サリナ,しっかりしろ!」
少年は意識を失っている少女の頬をぺちぺちと叩いた.
「ん……,」
少女がかすかに身じろぎする.
少年は安堵のあまり,へなへなとへたり込んだ.
「……心配させるな.」

そう,いつもいつも身が切られるような思いがする.
少女が,母と同じになってしまいそうで…….

「……ライム,」
少女の淡い緑の瞳が開かれる.
「顔を見せて,」
……あなたの顔をよく見せて,ライゼリート.
「よかったぁ,生きている.」
そのまま少女は,少年の首に抱きついてわぁわぁと泣きはじめる.
「サリナ……,」
少年は戸惑った表情のままで,少女の体をおずおずと抱きしめ返した…….

抱き合う少年少女を眺めて,スーズはほぉと安堵のため息を吐く.
炎の収まった地下室は,壁は煤こけて真っ黒であるにも関わらず,未だ氷塊を残していた.
そして氷の中に閉じ込められた屋敷の主人と思わしき女貴族.
視線を横にやれば燃え尽きた木の人形があり,少女がどのような勘違いをしたのかが容易に想像できた.

「あのぉ,」
階段のところから声をかけられて,青年は振り向く.
「あの,わしらはそのぉ,……命令されて仕方なく,」
屋敷の使用人たちが,おそらく主人の罪に加担していたであろう使用人たちが,そこには立っていた.
「アンジェ様がこんなだいそれたことをやっていらっしゃったとは,私どもは全く気づきませんで,」

青年は苦笑した.
彼の潔癖な主人なら,激怒するところだろうが,
「分かっていますよ,あなた方もこのような主人を持って災難でしたね.」
スーズは,よくも悪くも大人だった.
青年の台詞に,使用人たちの顔がほっとほころぶ.
彼らもきっと罪の追及を免れ得ないだろうが,今はこう言って置くに限る.
「軍の方には私からも,あなた方は決して悪くないと伝えておきます,……ここから一番近い王国軍の駐屯地はどこですか?」
シグニア王国の警察機構は,軍隊の一部にある.
また現国王の統治になってからは,公正で誠実な罪の裁きをすると評判であった.
一人の中年の男が場所を答えると,スーズはすぐに呼びに行くように頼んだ.
そして,
「それからマイナーデ学院の方へ,このことを伝えに行ってくれませんか?」

「学院長であるコウスイ・イースト様を頼りましょう.」
王国一の良心として有名なコウスイの名に,使用人たちは色めきたつ.
コウスイならば,決して彼らを悪く扱わないだろう.
うまくすれば,次の雇用の面倒までみてくれるのかもしれない.

現金な使用人たちは,すぐにスーズに言われたように事件の事後処理にあたった.
あわただしく動き始める彼らを尻目に,青年は氷付けの魔女と被害者である少女たちを観察する.
「……生きているな,」
唐突に,ライムが話しかけてきた.
少年は血が皮膚にこびりつき,やけどのため顔は真っ赤で,まさに全身傷だらけの状態である.
そして少女は,少年の腕の中で泣き疲れて眠っていた.
「えぇ,……かろうじて,といったところでしょうが.」
少年の傷に応急処置の手当てをするべく,青年は近寄って膝を折った.

加害者である魔女はともかく,被害者の少女たちが生きているのはうれしいことだ.
「殿下,お手柄ですね.」
青年が微笑むと,少年は照れたようにそっぽむく.
「俺は何もしていない,」
魔女を倒したのはサリナであり,ライムは幻獣による屋敷の崩壊を止めたのみである.
しかしこの場合,お手柄は少年の方であろう.
少女を大事そうに抱く少年の様子をほほえましく感じて,青年は,
「……まさに満身創痍ですね.」
「別にいい.」
予想通りの答えを返す少年に,思わず笑ってしまった…….
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