無防備な人だ.
それが香月さんの困った点である.
「一樹,入るぞ!」
部屋のドアがノックされて,香月さんがやってくる.
香月さんは僕の義理の姉だ.
「香月さん,なんですか?」
ベッドに寝転がって,バスケットの雑誌を読みながら僕は聞いた.
すると香月さんは無言でベッドに入ってくる.
「な,な,何ですか?」
僕の隣にごろんとねっころがる.
僕は慌てて,上体を起こした.
香月さんの長い髪がベッドに広がって,部屋のライトをてらてらと照り返す.
一度も染めたことがないという純粋な黒髪,……こんなにも魅惑的なものだとは知らなかった.
「うむ,最近,情緒不安定でな.」
ぼ,僕は今現在,情緒不安定です…….
僕はベッドから降りようとしたが,その場合香月さんをまたがなくてはならない.
駄目だ,想像しただけで理性が飛びそうだ…….
「おかしい,分からん.」
いいえ,僕には分かります.
この状況がいかにやばいのか.
「私は母上のしあわせを願って,再婚に賛成したのに…….」
「香月さん……?」
香月さんのシリアスな声に,僕は少しだけ驚いた.
父さんと静江さんは1ヶ月前に再婚した.
と言っても,二人とも歳が歳なので式は挙げずに,静江さんと香月さんがこの家に引越ししてきただけだ.
家族になってから1ヶ月,僕たちはなかなか良好な関係を築いていた.
「香月さん,悩みごとですか?」
僕の心臓はすさまじいスピードで鳴っている.
一緒に暮らして分かったことだけど,香月さんはものすごく無防備だ.
「そうだ.私は今,悩んでいる.」
僕も今,悩んでいます…….
僕は一応,健康的な高校生男子ですよ,今この場で,香月さんをどうにでもすることができるんですから!
「すまなかったな,一樹.」
僕の手が伸びた瞬間,香月さんは起きあがった.
「私は家を出るかもしれん.」
へ?
「香月さん?」
しかし,香月さんは振り向きさえもせずに部屋から出ていった.
その日の夕飯の席でも,香月さんはなんだか元気がなかった.
静江さんがどうしたの? と訊ねると,
「かたじけない,母上,」
香月さんは箸を置いて,静江さんの目をまっすぐに見て答える.
「今,自分の気持ちについて考察中だ.」
はぁ,考察中ですか…….
香月さんは大学4年生だ,僕が大学に入学すると同時に大学院に進学する.
いわゆる理系の才女というやつで,香月さんが家で読んでいる専門書は僕にはちんぷんかんぷんだ.
次の日,家に帰ると家の中は真っ暗だった.
「明日は高校の同窓会に行くから.」
静江さんの言葉を思い出して,僕は思わずほっとしてしまう.
意外に子供だ,僕は…….
リビングのテレビをつけて,ソファーに横になる.
父さんは仕事で,香月さんは大学の研究室でいつも遅い.
こうやって家に一人で居ると,父さんと二人だけの生活を思い出す.
今は,我が家はにぎやかだ.
物静かに見えてよくしゃべる静江さんと,素っ頓狂な香月さんが居る.
よく考えれば,テレビのスイッチなどひさびさにつけたような気がする.
僕はそのままうとうとと眠ってしまった.
「父上…….」
胸に重くのしかかる重みに,僕は目を覚ました.
「香月さん!?」
香月さんが僕の上に乗っかって,いや抱き着いているのだ.
「な,なななな,何をやって,」
「たくましいのだな.」
と言って,香月さんは僕の胸に手を当てる.
「僕は男ですよ!」
無防備どころか,誘っているのですか? あなたは!?
「知っている.」
こつんと香月さんの頭が胸に触れた瞬間,僕の理性は飛んだ.
「香月さん!」
ぎゅっときつく背を掻き抱くと,長い髪が指に絡まる.
「香月,さん……,」
どうして抵抗のひとつもしてくれないのですか?
「香月……,」
まったく身動きもできないほどに抱きしめて,なのに僕は彼女からの拒絶を待っている.
そのとき,
「ただいまー,」
静江さんの明るい声に,僕は我に返って香月さんを手放した.
「母上,」
香月さんは何事もなかったかのように,ソファーから立ちあがる.
まるで犬ころのように静江さんのもとへ駆け寄るのだが,髪がぐちゃぐちゃのままだ.
「あら,どうしたの? 香月.」
きょとんとする静江さんに,香月さんは晴れ晴れと笑んだ.
「悩み事が解決したんだ,母上.」
僕の悩み事は深まったのですが…….
「そう,良かったわね.」
静江さんの微笑みはすごく綺麗だ.
でもソファーでぐったりとしている僕に,なんだか意味ありげな視線を送っているような…….
「一樹のおかげだ,ありがとう.」
振りかえって笑う香月さんに,僕はどう答えていいのか分からずに乾いた笑いを返した…….