曖昧な僕ら02


無防備な人だ.
それが香月さんの困った点である.

「一樹,入るぞ!」
部屋のドアがノックされて,香月さんがやってくる.
香月さんは僕の義理の姉だ.
「香月さん,なんですか?」
ベッドに寝転がって,バスケットの雑誌を読みながら僕は聞いた.

すると香月さんは無言でベッドに入ってくる.
「な,な,何ですか?」
僕の隣にごろんとねっころがる.
僕は慌てて,上体を起こした.
香月さんの長い髪がベッドに広がって,部屋のライトをてらてらと照り返す.
一度も染めたことがないという純粋な黒髪,……こんなにも魅惑的なものだとは知らなかった.

「うむ,最近,情緒不安定でな.」
ぼ,僕は今現在,情緒不安定です…….
僕はベッドから降りようとしたが,その場合香月さんをまたがなくてはならない.
駄目だ,想像しただけで理性が飛びそうだ…….

「おかしい,分からん.」
いいえ,僕には分かります.
この状況がいかにやばいのか.
「私は母上のしあわせを願って,再婚に賛成したのに…….」
「香月さん……?」
香月さんのシリアスな声に,僕は少しだけ驚いた.

父さんと静江さんは1ヶ月前に再婚した.
と言っても,二人とも歳が歳なので式は挙げずに,静江さんと香月さんがこの家に引越ししてきただけだ.
家族になってから1ヶ月,僕たちはなかなか良好な関係を築いていた.

「香月さん,悩みごとですか?」
僕の心臓はすさまじいスピードで鳴っている.
一緒に暮らして分かったことだけど,香月さんはものすごく無防備だ.
「そうだ.私は今,悩んでいる.」
僕も今,悩んでいます…….
僕は一応,健康的な高校生男子ですよ,今この場で,香月さんをどうにでもすることができるんですから!

「すまなかったな,一樹.」
僕の手が伸びた瞬間,香月さんは起きあがった.
「私は家を出るかもしれん.」
へ?
「香月さん?」
しかし,香月さんは振り向きさえもせずに部屋から出ていった.

その日の夕飯の席でも,香月さんはなんだか元気がなかった.
静江さんがどうしたの? と訊ねると,
「かたじけない,母上,」
香月さんは箸を置いて,静江さんの目をまっすぐに見て答える.
「今,自分の気持ちについて考察中だ.」
はぁ,考察中ですか…….

香月さんは大学4年生だ,僕が大学に入学すると同時に大学院に進学する.
いわゆる理系の才女というやつで,香月さんが家で読んでいる専門書は僕にはちんぷんかんぷんだ.

次の日,家に帰ると家の中は真っ暗だった.
「明日は高校の同窓会に行くから.」
静江さんの言葉を思い出して,僕は思わずほっとしてしまう.
意外に子供だ,僕は…….

リビングのテレビをつけて,ソファーに横になる.
父さんは仕事で,香月さんは大学の研究室でいつも遅い.
こうやって家に一人で居ると,父さんと二人だけの生活を思い出す.

今は,我が家はにぎやかだ.
物静かに見えてよくしゃべる静江さんと,素っ頓狂な香月さんが居る.
よく考えれば,テレビのスイッチなどひさびさにつけたような気がする.
僕はそのままうとうとと眠ってしまった.

「父上…….」
胸に重くのしかかる重みに,僕は目を覚ました.
「香月さん!?」
香月さんが僕の上に乗っかって,いや抱き着いているのだ.
「な,なななな,何をやって,」
「たくましいのだな.」
と言って,香月さんは僕の胸に手を当てる.

「僕は男ですよ!」
無防備どころか,誘っているのですか? あなたは!?
「知っている.」
こつんと香月さんの頭が胸に触れた瞬間,僕の理性は飛んだ.
「香月さん!」
ぎゅっときつく背を掻き抱くと,長い髪が指に絡まる.

「香月,さん……,」
どうして抵抗のひとつもしてくれないのですか?
「香月……,」
まったく身動きもできないほどに抱きしめて,なのに僕は彼女からの拒絶を待っている.

そのとき,
「ただいまー,」
静江さんの明るい声に,僕は我に返って香月さんを手放した.
「母上,」
香月さんは何事もなかったかのように,ソファーから立ちあがる.
まるで犬ころのように静江さんのもとへ駆け寄るのだが,髪がぐちゃぐちゃのままだ.

「あら,どうしたの? 香月.」
きょとんとする静江さんに,香月さんは晴れ晴れと笑んだ.
「悩み事が解決したんだ,母上.」
僕の悩み事は深まったのですが…….
「そう,良かったわね.」
静江さんの微笑みはすごく綺麗だ.
でもソファーでぐったりとしている僕に,なんだか意味ありげな視線を送っているような…….

「一樹のおかげだ,ありがとう.」
振りかえって笑う香月さんに,僕はどう答えていいのか分からずに乾いた笑いを返した…….

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