刀剣の歴史
(参照2)
我が国において独特の刀剣が誕生するまでは、中国や韓半島諸国から剣や直刀が舶載されてきた。その証は、聖
徳太子が創建した大阪・四天王寺に奉納された七星剣や聖武天皇の愛用品が保存されている正倉院にある横刀
(直刀の大刀)、桓武天皇が聖剣として下賜した征夷大将軍・坂上田村麻呂が奉納した岩手県水沢の鎮守府八幡
宮の大刀などに見ることができる。こうして見ると日本刀の誕生は飛鳥、奈良、平安初期以後となるが、平清盛
が進めた日宋貿易において貴重品目となる鎬造り湾刀(日本刀)があるところから平安後期の前の中期であると
言える。
平安中期の代表的な刀剣に天国作と伝えられる小烏丸(こがらすまる)大刀がある。この大刀の特徴は、2尺6寸
の刀身の剣先3分2までが両刃の鵜の首となっている点である。また手元の衝撃を緩和させる毛抜き型大刀が造ら
れたのもこの時期である。平安中期は、政権が公家から武家へと移行する激動期でもあり、侍が携える武器・大
刀が多く求められてきた。
現在、日本刀の素材である玉鋼(たまがね)は島根県奥出雲にある日刀保指定の精錬場で造られたものが主なも
のであるが、この地域は古より砂鉄の産地であり、所謂出雲鍛冶の中心をなしてきた。近くには全国1200社
余りの総本社である金屋子神社がある。ご祭神は金属の神、金山比古命と金山比売命であるが、金屋子神は炭と
砂鉄を吹くたたら製法を伝授した神と言われている。
一方、東北地方に日本刀の源流と言われる舞草鍜冶がある。現在の岩手県・一関市の小高い山麓で活動した集団
であり、アイヌの蕨手刀を手本に反りのある湾刀を創り出したと言われている。
有名な刀匠には、「有正」がいる。号を陸奥太郎と呼ぶが平治年代に備前に移住したようだ。その子も「有正」
の名を継ぎ、古備前刀の礎を築く。その作刀術は、子の「正恒」に受け継がれ た。「有正」の名は「正恒」の子
に引き継がれ備前刀の主な流れとなっている。
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