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     刀剣の歴史

 

        刀剣の歴史

    (参照1)

 

    剣(つるぎ)を両刃の刀剣と規定するのであれば、神代における刀剣は剣(つるぎ)と連想させるが「古事記」

    においても明確な区別はされていないようだ。概要ページで記述した布都御魂剣(フツミタマノツルギ)、布都

    斯魂剣(フツスミタマノツルギ)、布留御魂剣(フルミタマノツルギ)などの宝剣は一般公開されていないため

    剣であると確認はできないが、不動明王の仏画や仏像では明らかに剣が描かれ、また剣(つるぎ)を帯びている。

 

    アジアにおける剣の歴史も古く中国の慇の時代に天空より落ちた隕石を打ち宝剣としたと言われている。以後、

    製鉄法の発展とともに韓半島を含めて急速に発展してきた。剣の基本構造は刀身,茎(なかご)、環頭部分が一

    体となっており、この茎に柄を取り付けるものであったようだ。度重なる戦は戦術も歩兵戦から騎馬戦へと変え、

    刀剣も大きく変わってきた。刀身は長くなり、片刃となってきたようだが、刀身,茎,環頭部分の一体化はその

    ままであった。

 

    我が国での製鉄は五世紀の古墳・中期後半と言われているが、鉄製の剣は中国後漢や魏への朝貢の際、権威の象

    徴から下賜されたと容易に想像される。韓半島においても製作されるようになると多くの剣がわが国に舶載され

    るようになった。当初の舶載された剣は地方の豪族にそれぞれ直接手渡り所有することになるが、大和政権であ

    ろうか権力者が一括管理するようになった。この新たな権力者は再配布するにあたり次の所有者の使い勝手が良

    いように環頭部分を切断し拵えの柄と合体する方法を編み出したようだ。

 

    その証を島根県立古代出雲歴史博物館が所有する重要文化財の金銅双龍環頭大刀に見ることができる