ここを登りました
ここを飛び込みました


小さい時の記憶



しぶちゃん育ったころの田舎
 とにかく何も無い時代だったようだ、誰かの歌のセリフにあるが テレビもネエ 電話も
ネエ どころでは・・・・家にある電気製品は 真空管のラジオとニクロム線のヒーターと
白熱電球くらいなもんである
テレビが家に来たのは昭和34年 現在の天皇が結婚した時で その後各家庭にテレビ
が普及したようである
電気炊飯器もこのころ普及し、それまでは かまどでご飯を炊いており 山へ杉の落ち
葉を取りに行かされたことや 台風の時などは 火がよくつかずメッコ飯になった記憶が
ある

「おかしな話であるが、大阪へ出てくるまで電話をしたことがなかった」

小学校へ行くまで、バスも汽車に乗った記憶はない(有っても覚えていない・・・・・)
家に自転車が来たのは、小学校の4年の時で それまでは 自転車屋の貸自転車で練
習していた記憶がある

しぶちゃんは 男3人兄弟の真ん中で 親が言うには 小さい時から わりと変っていたら
しい 幼稚園は 兄の後を追い勝手に行くし 運動会のお遊戯では お遊戯もせず 栗
をムシャムシャ食べていたようである(本人の記憶には無いが  今の原点があるような
気がする)

小学校では兄貴 弟とも級長をしていたが しぶちゃんは保健委員すらやらせてもらった
ことは無い、これには色々布石があり 記憶が残っている範囲で 自慢では無いが宿題
をしていったことが無い 又、学年のノートは1冊 何もかも兼用で ほとんどノートを取っ
た記憶がない
こういうことから、先生には何とも腹立たしい生徒だったと思う
しかしながら、小学校のテストは国語以外ほとんどいい点数であったと思うが通知表は
悪く兄弟2人と比較され辛い思いをしていた 記憶がある

これは、小学校では1〜6年まで担任の先生は全て女の先生だった、しかも全教科を教
えており 私の記憶では時間割を無視し 国語とか社会ばかりやっており大好きな体育
がほとんどなかった記憶がある このことがかえって国語を無視する原因になったと思う
(未だに漢字が書けないのはこのへんに 原因があると思う)

「会社に入ったころ 話を聞くときは 手帳を用意してメモを取るようにと 言われたが 
手帳は用意したが やっぱり メモは取っていません(取るフリはしていた)」
{メモを取っても ほとんどは 2度と見ない それやったら 真剣に聞いた方がましでは
ないか}

中学校のころ
中学では、担任は男の先生で 各教科もほとんど男の先生だった

中学へ入って 国語の時間も 1時間我慢すればよく 随分楽になった
(国語は 判らなかったから聞かなかったのか 聞いてなかったから 判らなかったのか
よく判らないが とにかく 判らなかった )

小さな田舎の町でも、当時は4つの小学校があり それが一つの中学になる やはり人
間が多くなると 色んな人間もおり ノートを取らない奴 宿題をしてこないやつ 等々 
この面では余り目立たなくなった(もっとも宿題は余り出なかったが・・・・・)

中学時代 色んな友達もでき 今から思えば 色んな悪さもした
悪さについては おいおい 書いていくことにする

ただ 悪さをすれば 先生から ビンタを貰うのが あたりまえで  体罰を気にしなくて
よく 自信を持って ビンタとしていたように思う 今の先生は逆に可愛そうな気がす

 街路灯破損事件
中学1年の3学期 しぶちゃんと友達のN君とで帰宅中(2人ともクラブはやっていない 今
は部活が強制みたいやけど、当時はやりたい者だけやればよかった) ある場所の電柱
に白熱電球の街路灯が取り付けてありました その当時 ゴム鉄砲(パチンコとも言う)
がはやっており2人とも学校へゴム鉄砲を持って行っていた
N君
「電球の球を狙って見よう」 
さっそく 石を拾い狙いました 2人一緒にかなりの時間 狙いましたが そんなもん当る
訳がありません しぶちゃんは 諦めて ブラブラその場を離れましたがN君は まだや
っていました その時 うしろの方で パキと言う音がしたと同時に N君が血相を変えて
走って来ました
なんと 電球に当って 割れた音でした N君はしぶちゃんを追い越し逃げて行きました 
もともと田舎なので 人がほとんど居ないので誰も見ていないと 思っていましたが・・・・
あくる日 担任の先生が しぶちゃんに「昨日何かせんかったか?」
しぶちゃん
「何もしてません」 電球を割ったことをすっかり忘れている
先生
「見たと言う通報があったんやけど」
その時
N君
「アッ」と言いました
その後は N君 しぶちゃん 両方 職員室に呼ばれ 延々と説教を受けました
チャンチャン
葦舟事件
これもN君と一緒でした、ある日テレビを見ていると アンデスのチチカカ湖の葦舟のこと
を放映してました
しぶちゃんの田舎は庄川という大きな川が流れており その川原には葦が沢山生えてい
ます そして アンデスのことを思い出さなくてもエエのに なぜか思い出してしまいまし
た 季節は冬 川原の葦をセッセと刈り取り だばねます 勉強もこのくらい真剣にやっ
ていれば 東大も夢ではなかったでしょう???
それも 1週間位かかったと思います たばねた 葦をさらにたばね 船のかたちに整え
ます 出来た 浸水式です そして しぶちゃんが乗りました 浮いてるがな・・・・大成功
や・・・・そして これで止めとけばいいのに 2人乗ったら とN君も乗りました
乗るやいなや バランスをくずし 2人とも 冬の川にドボンです
サブ〜です 家に帰ってから エライ怒られました・・・・

硝酸事件
中学2年の時 理科の実験で硝酸をあっかっていました 誰だったか忘れましたが(たぶ
んしぶちゃんやったと思う) 硝酸を爪に塗り 黄色くし(硝酸はたんぱく質と反応すると
黄色くなる)マニュキアや と言って喜んでいました その後スグに どうしようもない痛み
が。。。。
(こんなアホなことを しているのが 5〜6人いた)
イタタタ・・・
先生
「どうしたんや?}
しぶちゃん
「硝酸を爪に・・・」
先生
あきれて ものも言わず ふくらしこ(重曹)を持つてきて
「これ塗れ}
しぶちゃん達
無言でふくらしこを爪に塗る(酸を中和する目的で したらしいが 硝酸は強酸でした)

あくる日 爪はぼろぼろでした
 チャンチャン
 
  水素封入 風せん
  硝酸 硫酸は薬局では変えなかったが 塩酸は比較的簡単に購入できた
  当時塩酸は 便所の掃除につかっており 子供でも比較的簡単に購入できた
  と言うことで  しぶちゃんたちは 薬局で塩酸を購入 使用済みの乾電池の亜鉛
  をとり
  ゴム風船  ガラスの瓶を準備し 学校の校庭に集合 瓶の中に まず硫酸を そ
  の次に亜鉛を入れ  素早く  風船でふたをし 風船の中に 水素を取り込んだ
  その風船に  エエええかげんな手紙をくくりつけ 離したのが 群馬県まで飛ん
  でいき 返事がきたのには驚いた
 
 かえる解剖事件について
  
  理科の実験で カエルの解剖があった カエルの調達は 各班で準備する
  もちろん カエルの調達は しぶちゃんが行った
  今は  魚をさばくのも うっとうしいが このころ カエルを切り刻むのは何と
  もおもわなかった  クロロホルムが入った ビーカーにカエルを入れ 充分寝静
  まったころあいを見て  取り出し むしぴんで固定して 腹を切り開く  これ
  が心臓 これが肺臓…
  と やっている内  ギャー 麻酔のききが悪いカエルは 腹を開いたまま 歩きま
  わる
  そのうち  後ろの方で  突然 ドサ 女の子が倒れる カエルのかけた麻酔が
  本人にかかったみたいだ  先生 大慌て すぐに 保健室へつれていく 僕たち
  すきかってなことをし時間を潰す

  急流下り
  しぶちゃんの生まれ育ったところは 富山でもかなり田舎の部類に入る
  町の中を庄川と言う大きな川が流れており 夏は毎日の様に 川で遊んでいた
  中学の裏がすぐ川になっており すぐ近くに庄川の最下流に位置するダムがある
  今は ダムの放流は滅多にしないが 当時は毎日のように放流を行っていた
  放流を行うと、かなりの急流ができ 普通の人は そこでは泳がないものである
  誰が言い出したのかしらないが  泳ごうと言った奴がいた……その悪魔の声にさそ
  われて
  その急流へ  飛び込んだ 飛び込んだら 必死である 手足を必死に動かし 流
  れの緩やかな場所まで  下って行く 途中 膝を石にぶつけているけど ヒッシ
  なので  痛いのは判らない ところが 陸に上がると 膝は血だらけ ヅキヅキ
  痛い エライことになっている…・

                   高校3年当時
             

修学旅行
  昭和38年東京へ修学旅行へ行くことになりました
  旅行に行く前に体育館で東京の説明会がありました
  先生
  東京の便所は水洗便所と行って うんこをしたら見えるところにある
  うんこは上からぶら下がっている紐を引くように そしたらうんこは水と 
  一緒に流れて行くからな・・・・
  そうです 田舎には水洗便所が無かったんです
  過去に説明無しに行って エライめにあったとか・・・・
  修学旅行の事はあんまり覚えて無いのに みょうに水洗便所の事を覚
  えています

発電所の放水口
  上の写真の上流に小牧発電所があります、ここから対岸に渡りすこし歩くと放水口に
  到着します 放水口を覗くと水はゴウゴウと流れそして渦をまいてます
  またまた 誰が言い出したのか ここに飛び込んでみようと言ったやつがいます
  ここから 飛び込み自殺した人がいると聞いてるのに・・・・
  でも 後に引くことは出来ません
  皆、順番に飛び込みましたで!
  

 
  ロッククライミング
  家の少し上流に  小牧ダム(建設当時は東洋一のダム)がある、しぶちゃんたち
  は 発電所付近で着替え 2KM位 泳ぎ小牧ダムまでたどりついた だれが言い出
  したかはしらないが 写真の場所を登ろうと言い出したやつがいる
  またまた  悪魔の声にさそわれて 皆 登り始めた 途中怖くなったが 引き返
  すことは出来ない状況であった…・
  何とか  上までたどりついたが 後で見ると ぞ〜〜とした こんなとこ よう
  登ったな
  皆アホと違う…・・ 
  皆 アホでした

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