天台宗霊應山慈音院

 当山の由来

当山は霊應山慈音院は比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院です。
比叡山延暦寺は今から1201年前に伝教大師によって開かれました。
天台宗は法華経を中心とした教え(円教)に、更に禅と密と梵網菩薩戒を加えた円・密・禅・戒の四宗が融合一致した総合仏教で、この中には浄土信仰、修験道、山王神道なども含まれています。

開祖は伝教大師

当山の開基は天台宗祖伝教大師にして、一千二百年の昔、比叡山諸堂建立の用材を求め、此の杣之庄の地を御巡錫の砌、不思議なるかな、紫雲空にたなびき、光明赫変たるところあり。此の時、「此の処は薬師如来の霊場なり。汝一宇を建立せよ」との如来のお告げにより、大師末世の衆生を救わんがため、堂宇を建立し自ら薬師如来の尊像を刻して祀り、永く利物度生の道場となし賜う。
 星霜移りて、延久五年(1073)村社八王子大権現近傍の此の地に堂宇を建立し寺号を移す。明治維新まで当山住職は八王子大権現の別当職なり。従前村中の祈願所として、道俗有縁の人々参堂祈願しおおいに霊験あり。 

仏教の伝来

六世紀の初め我が国に伝えられた仏教は、聖徳太子によって盛んになり、奈良時代(720頃)になると更に発展した。
此の寺庄の地では、平安時代の延暦年間(790頃)に慈音院と東福寺が字木戸の地に、字三田長に西福寺が、いずれも伝教大師によって開基されたと伝えられている。

重田喜久氏寄贈による寺庄六角堂を詠んだ歌碑

行者講による採燈護摩

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