私的民族問題論

HOME

 

1.私の考えていること    2001年7月17日

 

2.中国人の名前の発音の仕方について  2001年7月21日

 

3.アイヌ人は「外国人」か!  2001年7月24日

 


3.アイヌ人は「外国人」か! 2001年7月24日 TOP  

 

 本日届いた『漢民族と中国社会』(山川出版社 1983年)の執筆者の一人、台湾出身の戴國輝氏が、アイヌ人の問題について、真に「我が意を得る」ような発言をされているので紹介しておきたい。

 「彼の発言のなかに出てくる『日本民族』のなかにはアイヌ民族が入ってこないのです。」「それで、僕は質問したわけですよ。どうしてですかと。上位概念としての日本民族は、大和民族の上にある。対等の概念としてアイヌ民族と大和民族があって、その上ではじめて日本民族が成立するのだと。そういう発想でないと、いま先生の話をいくら聞いても、先生がアイヌを研究し、アイヌをだいじにしているというのは、僕はちょっと疑問をもつ」。

 引用中、「僕」は戴國輝氏であり、「彼」とは「先生」のことで、「当時」の北大のアイヌ研究室の「児玉先生」だという。

  なお、戴國輝氏は続けて、「みんなびっくりしちゃってね」、「そのように考えないのが、むしろ日本人の常識だから」と続けられるのだが、対談者の一人、上記図書の編者でもある橋本萬太郎氏は、この「日本人の常識」を「世界の常識からいったら、随分とおかしな考え方ですね。」とコメントされている。

 実際、筆者なども、民族問題に興味を持ち始めてから気になりだしたのだが、例えばアイヌ民族の叙事詩である『ユーカラ』などを、あの天下の岩波書店でさえ、岩波文庫に収録する際、これを「赤」(外国文学)に分類している。しかし、これはどう考えてもおかしいのではないか。

 実際、この辺の問題が、現在の日本社会の中でどう考えられているのか知らないが、案外、「進歩」的な人でも、「日本人」による北海道侵略、アイヌ侵略の歴史を語りはするのだが(これは確かに忘れてはならない事実なのだが)、「日本民族=大和民族」とし、アイヌ民族を「日本民族」に入れない場合が多いのではなかろうか。

もとより、アイヌ民族は決して大和民族ではないのだが、そもそも「大和民族=日本民族」などと言う見方自体がおかしいのである。

 実際、歴史を見ても、一部論者の言うような「アイヌは縄文人の生き残り」という説をそのまま採用できないにしても、東北地方などに残るアイヌ語地名などを見る限り、大和民族中に現在のアイヌ民族と共通するような民族的要素が混じっていることは明白であろうし、またたとえアイヌ民族と大和民族が全く別民族であるとしても、少なくとも現在の日本国家を共に構成する民族を「日本民族」でないなどとするのは、やはり問題であると思う。

 

2.中国人の名前の発音の仕方について 2001年7月21日 TOP  

 

 私の少年時代は、韓国朝鮮人の姓名も、日本風漢字発音で読んでおり、金日成は「きんにっせい」で、朴正煕は「ぼくしょうき」であり、それをニュースなどでも、キムイルソンとかバクチョンヒなどと発音しだしたのは、大学に入学した前後では、つまり80年代ぐらいからではなかったかと記憶している。ちょうど、在日韓国朝鮮人の中から、自分たちの名前を日本風漢字発音されることの不当を訴え、母国語のように発音することを求める動きに従ったものだが、当事者から、このような動きがあれば、それに従うのはもちろん当然のことである。

 ところで、同じ漢字圏でも、韓国朝鮮人の場合と違い、中国人の名前は今でも日本風に発音する。日本のニュースなどでも、「江沢民」は「こうたくみん」と発音するし、また中国の方でも、日本人の姓名はあちらの読み方で発音する。小泉は「シァオチュアン」であり、田中真紀子は「ティエンチョン・チェンチーツ」と発音している。

 これは、一つには、韓国朝鮮と違って、中国側から、中国風発音で読むことを求めていないからであり、また日本側も日本風発音で読むよう、中国側には求めていないからである。

 しかし、日本人の中には、韓国朝鮮人の場合と同じように、中国人の姓名も中国音で読むべきだと思っている人もいるのだが、これについては、当の中国人から、「日本風発音の方がいいのだ」という声が出ているので紹介したい。なお、発言者は在日中国人のある大学教授であり、確か朝日新聞に載った記事をそのまま紹介できれば、よかったのだが、これを保存していないので、読んだ記憶の要約である。

1.    中国は周知の通り、方言差が激しく、例えば「毛沢東」も北京語でこそ、「マオツォートン」だが、例えば広東語などでは、全然違った発音をする。同じ漢字を、地方ごとに様々な発音で読んできたのが常態なのであり、今更、それに日本風漢字発音が加わったところで、全然、違和感はない。

2.    よしんば、北京語発音をベースに、「マオツォートン」とカタカナ表記しても、これがどれぐらい、もとの発音を再現しているかと言うと、答えは限りなくノーに近い。少なくとも、中国人からすれば、「マオツォートン」と下手に発音されても、誰のことか分からないが、「毛沢東」と漢字で書かれたら、一目瞭然である。

    

 実際、中国語を勉強したことのない一般日本人が「なまらず」発音しようとしても、それはなかなか難しいし、少々知っていたところで、カタカナ書きの限界というものもある。

 少なくとも、名前の読み方というのは、当事者からの言い分というものが重要である。どうせ正確に発音できないからと言って、韓国朝鮮人の要求をはねつけて、日本風発音を強行するのはもちろんよくないし、逆に、当の中国人がそういう要求をしているわけでもないのに、一方的な日本人の判断から、「なまった」中国風発音を強行するのも、やはり問題であろう。

 

(補足)

 今のところ、中国側から中国風発音で読んでくれと言うような要求は出ていない。一方、日本での出版物の中に、中国人の姓名を「中国風発音」で読んでいるものも散見されるが、これに対して、特に「やめてくれ」とまでの抗議の声もないようである。しかし、日本のマスコミ報道などが、勝手な判断から、一方的に「中国風発音」を強行などすれば、「そんななまった変な発音で読むくらいなら、日本風で読んでくれ」と逆に抗議が出てくるのではないかと、筆者などは考える。

 なお、日本人の方が、中国人の姓名をどう発音するかは別として、自分たちの姓名を中国風に読まず、日本風に読んでくれと要求するのは、もちろん構わないことだと思う。もっとも、筆者はそんな要求をするつもりはないが。

 

1.私の考えていること 2001年7月17日 TOP  

 

 日本の中には、ややもすれば中国人とは漢民族だけを指し、中国とは漢民族の国だと考える向きがあるが、少なくとも現代の中国では、そのような見解は「大漢族主義」として批判され、中国とは多民族の国であり、中国人とは漢族だけでなく、55の少数民族も含めて全部の民族が中国人だとされる。

 日本の中には、このような見解に同意しない人もまだまだ多いかもしれないが、日本のように「単一民族国家」に近い状態の方がむしろ世界では珍しいのであり、その日本でもアイヌ人などが存在し、実質は多民族国家なのであるが、ではアイヌ人の扱いはどうなるかというと、日本国民であることは間違いなく、また国籍と民族とが別であるとしても、これを日本国民であっても、日本民族ではないと切り捨ててしまうことには、筆者は多大な反発を感じる。

 すると、日本でもやはり「日本民族」の再定義が必要なのであって、この際、中国で中華民族(中国人)と言うとき、漢族だけでなく56の民族の全部を指すように、日本でもアイヌ民族や、場合によっては日本籍「中国人」(多くは漢族)、韓国・朝鮮人を含めて日本列島の居住民はすべて日本民族とすべきなのであって、むしろ今まで「日本民族」と称してきた列島の主体民族こそ、これを大和族(この名称には抵抗が多いだろうが)とでも名付けるべきなのかもしれない。どっちにしろ、日本国籍取得の際に、「はんこ社会」の必要性から、漢字の姓を名乗ることは必要であっても(例えばフィンランドから日本に帰化されたツルネン氏はツルネンを音訳した漢字姓を名乗っておられるという)、これに大和民族風の姓を強制することは不当なのである。

 そうすると、中国少数民族中に朝鮮族(中国籍朝鮮人)が存在するように、日本の少数民族にも、朝鮮族、漢族ができ、韓国あるいは北朝鮮の少数民族として、大和族や漢族ができ、将来、中国籍を取得する大和民族が増えれば、中国の56番目の少数民族として、大和族も認定されるという事態も起こりうるかもしれない。

 日本の中には、特に独立国を形成していない民族を中国の少数民族とすることはよしとしても、独立国を形成している朝鮮族や大和族を少数民族の一つに数えることに抵抗を感じる人もいるかもしれないが、それは日本も日本国籍を取得した漢族や韓国朝鮮族を日本の少数民族とすればいいのであって、少なくとも日本国籍取得=民族変更(日本民族、実際には大和族への同化)などとする方がよほど問題なのではなかろうか。(なお、ここでいう「少数民族とする」というのは、同化政策など採らず、民族的な権利を認め尊重すると言うことである。)

 もちろん、日本の歴史的経緯、特には戦後、日本政府が採った政策の経緯から言うと、やはり日本では、現在、中国が採っているような民族政策は実状にあわず、アイヌ民族はともかく、漢族、韓国朝鮮族に対しては、日本国籍の取得よりも、原国籍を保持したまま、日本国民でなくても日本社会の居住者として、社会保障等の権利を保障すべきなのかもしれないが、それでもやはり問題が残ることはさけられない。

 例えば、選挙権の問題となると、たとえこれが地方参政権のレベルであったとしても、日本国籍を持たない人に付与することは、むしろ日本政府が従来採ってきた同化政策を免罪する行為であって、やはり日本籍韓国朝鮮人の存在を認め、日本を多民族国家としてきっちり定義すべきであると思うのだが。

 その点、外国人参政権を巡っては、それに反対しているのは、自民党内の保守派だけでなく、むしろ当事者の韓国朝鮮人の中にも少なからず反対している人々がいるのである。はっきり言えば、韓国居留民団は賛成で、朝鮮総連は反対である。朝鮮総連は、選挙権を与えられても、自分たちが圧倒的少数な日本社会の中で、それが民族的な権利の保障につながらないとしているが、むしろ自分たちは北朝鮮の在外居留民であるという原則論に立った反対論と筆者などは取っている。(もちろん、筆者は選挙権はともかく、社会保障等は国籍如何に関わらず、日本社会に居住する以上認めるべきだと思うのだが。)

 ここで指摘しなければならないのは、やはり戦後の日本政府の採ってきた民族政策であり、かつての植民地が独立した場合、少なくとも本国内に居住する植民地人が本国国籍を請求した場合、それを認めるのが国際的な通例であるのに、日本政府の場合、韓国朝鮮人を一方的に「外国人」であると切り捨ててしまった経緯がある。この過去の日本政府の行動への真摯なる反省なしに、いらないと言う人にまで、選挙権を「あげればいんでしょ」と押しつけるような行為には、少なくとも筆者は賛成できない。(なお、日本では一般に選挙権の行使は義務とまでは言わないにしても、「行使すべきもの」と認識されている。まあ、それでも「欲しい」という人が当事者の中にいる以上、何が何でも反対とまでは言わないが。)

少なくとも日本人の側に日本籍の韓国朝鮮民族の存在を拒否する権利はないと思う。もちろん、当の彼らの中に、「そんなものにはならない」と拒否する人は少なくないだろうが。ただ、戦後50年以上たった今では、色々とややこしい問題もあるのだが、逆に在日韓国朝鮮人の中に、自己のアイデンティティを巡って父祖とは違った見解を持つようになった人が出てきているのも事実であろう。当然、彼らのアイデンティティに関して、日本人の立場から「こうしなさい」というような問題は一切すべきではない。

 

 現行の民族問題に関しては、これをどう解決するかは非常に政治的な課題であり、難しい。ただ言えることは、重要なのはやはり当事者の意識であり、これを無視しての「理論的」「学術的」解決などあり得ないのである。外国の経験は参考にすべきであるが(中国であれ、欧米であれ)、基本的には日本の実情に合った解決法を探るべきであろう。

 もとい、筆者などに解決法の提示できるはずはないとは思うが、しばらくこの項では、自分の問題意識めいたものを書いて行こうと思う。ただ、日本にも厳然として、民族問題は存在するのである。