子 欲 居 日 記 

愛国心について思う(老舎『茶館』から)

2006年12月22日


 中国の作家・老舎の小説に『茶館』という作品がある。実は筆者は昔、映画で見ただけなのだが、その中で、清朝末期、相次ぐ亡国的状況の中で、茶館の客である満州族の老人が、国を憂えるあまり、思わず「ああ、大清国はおしまいだ!」と嘆息してしまう。そして、あろうことか、それを聞きつけた警官たちが、その老人を「非愛国」的言動の罪で逮捕し、監獄送りにしてしまうのである。
 辛亥革命が成功し、民国になって、その老人は釈放されるが、財産はすっかり失ってしまい、今は「しがない」物売りに「身を落とし」ている。再び、茶館の前で自分を逮捕した警官たちと出会うのであるが、彼らは民国になっても、そのまま警官を続けている。老人をわざ笑う警官たちに対し、老人は言う。「国を愛するからこそ、憂えるのだ」、「私は満州族だが、中国人だ」と。
 別に満州族が皆、日本軍による「満州国」誕生を支持したわけではない。ついでに言えば、老舎も満州族出身であり、盧溝橋事件以降、抗日運動に参加している。

 話は「愛国心」に戻るが、今、世間で喧伝されている「愛国心」とは、全く日本を批判したり、反省することを許さない偏狭な思想のような気がして仕方がない。上の老人のように、国を愛するからこそ、国を憂え、心配し、自国の現状に批判的な言動も出てくるのである。当然、過去も反省し、将来も心配する。こんな一切の批判的言動を「自虐」などと称して、封殺する。今、日本で横行している「愛国心」とは、こんな性質のもののようである。しかし、このような「愛国心」の横行は、亡国の始まりでしかないのである。

 何年か前、モーニング娘が「日本の未来は・・・・、世界がうらやむ・・・・」などと歌っていたが、上のような「愛国心」横行の背景には、まだ年端も行かぬ少女たちに、このような歌詞を歌わせることに見られるような、日本全体の自信の喪失があると思う。このモーニング娘たちの歌によって、「オジサン」たちは元気づけられるのだという(笑)。



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