子 欲 居 日 記

中国人民解放軍100万の長江大渡河作戦


2006年12月28日


 「保障するよ。下手に逃げ回るより、真っ正面から突っ込んでいった方が、かえって(敵の弾が)」当たらんもんだよ。」との『機動戦士ガンダム』の主要登場人物、シャア・アズナブルのセリフを実戦で、と言っても、記録映画を視ていての話なのだが、筆者自身、痛感したのは1949年4月に行われた中国人民解放軍による長江渡河作戦の記録フィルムを見た時であった。
 中国では、「百万雄師 大江を過《わた》る」と毛沢東が詩で詠んだことで有名であるが、既に人民解放戦争(国共内戦)に基本的に勝利して、華北を押えた中国人民解放軍が、当時の国民党の首都、南京を占領すべく行った百万の大軍による一大渡河作戦である。
 ちなみに、中国共産党と解放軍の戦力を過小評価していたスターリンはミコヤン(懐かしい名前だ)を特使として、毛沢東の元に送り、朝鮮半島のように長江をラインとして、中国を南北に分け、南部を国民党治下にゆだねるよう「勧告」したという(この10年ぐらい、こんな「新史料」も公表され出している)。しかし、毛沢東以下共産党指導部は、それを断固として拒否。既に長江北岸に待機していた100万の大軍に渡河命令を下した。
 それこそ、ジャンク船、漁船などあらゆる船が動員され、100万の大軍が一斉に渡河を開始したのである。国民党側は30〜40万の陸軍、178隻の艦船、若干の空軍で長江江防衛ラインを引いていたが、連戦連敗の国民党軍には(中国共産党のプロパガンダでなくても)、既に戦意はなく、防衛線はもろくも崩壊。4月21日に渡河を開始して、23日には解放軍の赤旗が南京「総統」府の屋上に掲げられた。「総統」府占領に向かった解放軍兵士の一人が、サブマシンガンで屋上の国民党の旗を撃ち落とし、その国民党の旗がゆっくりと舞い落ちていくところが実写されていた。
 それでも、すごいのは「百万雄師」(百万の勇敢な軍)の大渡河作戦である。大小あらゆる船が動員され、百万の雲霞のごとき大軍が、一斉に長江を渡り出す。ほとんどが帆船か手漕ぎの船である。当然、対岸の国民党陣地からも、砲撃が加えられる。砲弾が直撃し、沈む船も出てくる。しかし、こんな所で躊躇などしていられない。一斉に渡りきらなければならないし、敵の砲撃など恐れていてはならないのである。実際、「自殺」覚悟の旧日本軍流の「万歳突撃」ではない。解放軍には、十分な兵力がある。一方、対する国民党にはそれを阻止するだけの火力的優勢はない。
 正に「真っ正面から突っ込んでいった方が、かえって当たらないのである」。戦術的には、渡河する「百万雄師」に犠牲が少ないし、戦略的には、国民党の華南割拠を許さず、中国の「分裂」が防がれた。以降、南京に続いて、上海も陥落し、国民党軍の組織的抵抗は終わり、その年の10月1日には、北京で中華人民共和国の成立が宣言されるのである。
 ちなみに、筆者は2000年に訪中し、南京を訪れた際、バスの中から、この戦闘を記念した「渡江英雄記念碑」なる塔状の記念碑を見つけた。急なことで、写真も撮れなかったし、元々南京を訪れた目的が、日本軍による南京大虐殺記念館参観が目的だったのだが、この記念碑を見た時の「歴史の感興」は今でも覚えている。機会があれば、是非、拡張された虐殺記念館だけでなく、この「渡江英雄記念碑」をはじめ、昔の「古戦場」の跡を訪れてみたいものである。



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