子 欲 居 日 記
杜甫『茅屋 秋風の破る所と為る歌』
いずくにか広きいえの千万間なるを得、大いに天下の寒士をかばいてともに歓ばしき顔せん
ホームレス問題を書いている内に、昔、読んだ杜甫の詩の一句を思い出した。中国文学者・吉川孝次郎氏の著書『中国文学入門』(講談社学術文庫 1976年)の「杜甫の文学」に収められていたものだが、題名は上記の通りである。安禄山の乱によって「難民」生活を強いられた杜甫は、折からの暴風のため、仮住まいの茅葺きの屋根を吹き飛ばされ、部屋中、水浸しとなる。そんな中で、杜甫は詩を作るのである。今、上記によって、その一部を紹介する。
喪乱を経て自《よ》りは睡眠少なきに
長き夜を沾湿《てんしつ》しては何に由りて徹《あか》さん
安《い》ずくにか広き厦《いえ》の千万間なるを得
大いに天下の寒士《かんし》を庇《かば》いて倶《とも》に歓《よろこ》ばしき顔せん
風雨にも動かず山の如く安し
ああ何の時か眼前に突兀《とつこつ》として此の家を見ば
吾が廬《いおり》は独り破れ凍死を受くるも亦《ま》た足らわん
なお、松枝茂夫編『中国名詩選(中)』(岩波文庫 1984 年)による現代語訳も付しておこう。
騒乱以来、ずっと睡眠不足のところへ、こう濡れてしめっぽくては、
秋の夜長をどうして証すことが出来よう。
ああ、どこかに千万間もあるような広大な家があったらなあ。
そうしたら全天下の貧乏人士をそこに住まわせ、一緒ににこにこ顔して暮らすんだがなあ。
ああ、もしそんな家が、いつの日か目の前にニョッキリとそびえ立ったなら、
私のこの庵なんか打ちこわされて、凍え死んだとて、わたしは満足だがなあ。
また、もう少し、松枝氏の著書から引用する。杜甫の同じ詩の上より前の部分の一節である。
南村の群童 我が老いて力無きを欺《あなど》り、
忍《むご》くも、能《よ》く対面して盗賊を為《な》し、
公然と茅《かや》を抱《いだ》いて竹に入りて去る。
訳
南の村の悪童どもが、わたしを老いぼれとあなどって、
面と向かって盗みをはたらき、
おおっぴらに茅をひっかかえて竹やぶの中に逃げこむ。
もとより、「茅」とは、杜甫の家の屋根を葺《ふ》いていた茅である。今の一部少年たちによるホームレス襲撃を連想させるようで痛々しい。
思うに、ホームレスの人々の最大の「違法」行為は公園の私的占有などではない。彼らの受けている最大の「違法行為」は、日本国憲法第25条第1項で定められた「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を享受していなことである。いかなる理由があれ、現在の日本で住む家が無くて、公園にテントを張って居住せざるをえないという状況は、まさに「憲法違反」の生活であり、その責任は彼らにではなく国にある。ちなみに、日本国憲法同第25条第2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めている。
現在の日本の為政者に、せめて唐代の詩人、杜甫ほどの人権感覚を持ってほしいものである。
2006年12月15日