子 欲 居 日 記

映画『にがい大地の涙から』を視て

2006年12月12日


 海南友子監督の映画『にがい涙の大地から』を勝手にリンクするに当たり、去年(2005年)書いた文書を転載することにする。

 さる5月22日、高槻市の市民総合交流センターで行われた自主上映会(同実行委員会主催)で、海南友子監督のドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』を見た。
 戦争中、旧日本軍が70〜200万発にも及ぶ化学砲弾(毒ガスを詰めた砲弾)を中国の東北部などに遺棄した結果、戦後も、約2000人の中国人が、毒ガスの犠牲となり、死亡したり、重い後遺症に悩んでいる。しかも、2003年になっても、毒ガス砲弾による被害事件は発生しており、まだ幼い子供たちが犠牲になったりしているのだ。そして、こういった事件は今後も十分起こる可能性があるのである。
 それにしても腹立たしいのは、中国などで、こんな事件が発生しているのに、日本ではほとんど全くと言っていいほど報道されないという事実であり、更には日本政府の誠意なき対応ぶりである。
もし、中国でこんな事件が発生したら、即座に大使館関係者が現地に飛んでいき、被害者に謝罪し、必要な補償を申し出る。たとえ過去のことは過去のこととしても、このような行為は人間としてごく当然の行いではないのか。遺棄 毒ガス被害は、過去のことではなく現在のことである。
 遺棄化学兵器問題は当然重大問題であり、中国では広く報道されているのに、日本では全く報道されない。結果、多くの日本人が反日デモがなぜ起こるのかも理解できない状態に置かれている。
いくら、3兆円を超えるODA(政府開発援助)を中国に提供したと言っても、遺棄化学兵器被害のような現実の問題への補償を渋っていては、反日デモなど起こるのも当然であろう。(そもそも、「援助」と言っても、ODAのほとんどは円借款、つまり、金を貸しているのである。)
 また、映画終了後の海南監督の講演もよく、若い人らしい感性で問題に触れていた。
 この映画の内容についてはまだまだ紹介したいこと、言いたいことがたくさんあるのだが、紙数の都合もあり、またの機会に譲る。

(2006年12月12日追記)
 日本政府が北朝鮮の拉致行為に対して「解決」を求める権利がある以上、当然、中国も遺棄化学兵器問題の解決を日本政府に主張する権利を持っていることを忘れてはならないだろう。
「子を奪われた親の思い」も万国共通である。人間に必要なのは、自分の痛みだけでなく、他者の痛みをも知ろう、知らせようという姿勢であろう。日本政府も、自らの痛みばかりを主張するのではなく、他者の痛みをも理解しようという大人の姿勢が必要である。中国が、日本政府のようにうるさく言わないからと言って、彼らが決して何も言っていないわけではない。むしろ、こんなことを報道しようとしない日本のマスコミの姿勢に問題があるのである。

参考記事
 中国代表「日本の遺棄化学兵器、実際の廃棄はまだ」 (『人民網』日本語版12月7日)
 旧日本軍の遺棄化学兵器問題について 外交部 (『人民網』日本語版12月22日)

 

■『にがい涙の大地から』公式ホームページ



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