子 欲 居 日 記

「ガンダム先生」


2006年12月17日


 今年46歳になった、まさしく「オヤジ」そのものの私は、ぎりぎり「ガンダム世代」に属しており、一部の生徒から「ガンダム先生」と呼ばれている。

 どういう経緯かは忘れたが、授業中、定期考査も終わって、ほっとした雰囲気の頃、アニメ『機動戦士ガンダム』が話題になった。クラスでも、ひょうきんな生徒が言う。
 「殴ったな! 親にも殴られたことがないのに!」(どうやら、今の生徒には、『ガンダム』はこの台詞で有名らしい)、ちなみにこれはファーストガンダムの主人公、アムロ・レイの台詞である。(なお、今の20代後半から30代前半の人にとっては、「アムロ」と言えば、安室奈美恵のことかもしれないが、我々ガンダム世代にとっては、『ガンダム』の主人公、アムロ・レイである)。
 ともかく、そんなアムロ・レイの台詞をまねする生徒に対し、私は臆することなく、対するブライト・ノアの台詞をまねして返したのである。いわく、「殴られないで、一人前になったやつがいるか!」と。このやりとりに、クラスは沸く。
 しかし、「親にも殴られたことがないのに!」というのは、あまりに現代っ子的な台詞であるし、生徒の立場を反映しているようでもある。このアムロのすねた台詞が、今の子供の共感を呼ぶのは何となく分かる気もするが、一方、アムロを殴った上官、ブライト・ノアの「殴られないで、一人前になったやつがいるか!」という台詞は教師の立場の代弁のようでもある。
 正直言うと、私はガンダムの中でも、特にこの台詞のやりとりに心惹かれたわけではなかった。ただ、すねた駄々っ子のようなアムロに対して、全体のために必死になって激励し、思わず手を出してしまうブライト・ノアの台詞の方が印象に残っていたことは間違いない。
 アムロとかブライト・ノアとか、分かる人には分かるが、分からない人には全く分からないだろうが、それならそれで、分からないですましても別段、「どうでもいい」話なので、先を続ける。

 この「ガンダム先生」の話が他のクラスに伝わると、なんとか「ダルイ」授業を「おもしろく」したい生徒たちは、私にガンダムの話を求める。しかし、これに単純に乗ってはいけない。そういう生徒たちはガンダム話によって、授業のまじめさを崩そうと試みる。その生徒の手に乗らず、ガンダムといった、一見「ふざけた」話題で、生徒に重要な国語に関するテーゼを伝えるのが、こちらの腕の見せ所である。
 例えば、授業中、「崩し」派の生徒が、「先生、ガンダムの登場人物の中で、誰に一番あこがれる?」と質問してくる。私は、「ランバ・ラルかな」と答える。読者が分からなくてもいい。その生徒も大してガンダムのことなど知らないのだ。だが、私はすかさず続ける。「しかし、実際、自分に一番よく似たタイプの人間は、(上の)ブライト・ノアだと思う。」と。すると、まあまあガンダムを知っている子は、「なるほどなあ」と納得する。授業の本題という点からすれば、余談でも、私という人間を生徒に説明するのに、これは適切な話題である。私はすかさず説明する。「ブライト・ノアというのは、本当に真面目人間で、私には及ばぬものの、かなり博識な人物である」と。
 実際、私も二十前後で軍のような組織に身を置いておれば、彼のような人間に成長していたかもしれない。少なくとも、彼のような一面は持っていると思う。もちろん、全く彼が持たないような一面を持っていることは、私も重々自覚しているのだが、少なくとも生徒に対しては、ブライト・ノアであり続けなければならないと思う。
 なお、このブライト・ノアという人物は、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の際、イギリスBBCが作戦開始をフランス国民に伝える合図として、フランスの詩人ヴェルレーヌの「秋の日のヴィオロンのひたぶるにうら悲し」という詩を流したことを知っていたくらいだから、なかなかの博識家である。



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