子 欲 居 日 記

日本の伝統とは何か?(続)

 
「改正」教育基本法成立に思う


2006年12月21日


 筆者は、昨日、我が日本の伝統と文化というものは、長期にわたる中国、韓国・朝鮮などアジア隣国との相互交流の中ではじめて誕生し、はぐくまれてきたものであると書いたが、「改正」教育基本法のいわゆる「愛国心」条項自体は、日本の「伝統と文化」は、狭い「我が国と郷土」だけで「はぐくんできた」ものだなどと思い上がっているものが関与していることは間違いないだろう。
 ここで、再び彼らの言う日本の「伝統」というものを問い直す必要がある。以下、昔読んだ梅原猛の著書(『海女と天皇』上 朝日新聞社 1991)からの引用を試みたい。

「私は近代日本のナショナリズムの多くは、この近代日本の主流思想である西欧主義の裏返しではないかと思う。」
「たとえば、明治以来の国粋主義者が提唱する天皇を神とする思想。それは、日本の誇りとも伝統ともいわれたが、そのような思想は決して有史以来、一貫して日本を貫く思想ではない。」
「私は明治以来の日本の国家主義も、多くは外国から輸入されたものであると思う。」
「明治以後に日本の伝統といわれるものは多く国家主義に伝統という仮の衣を被せたものにすぎない。」

 (以上、同書21頁)

 筆者の提唱する日本文化論というか、「東アジア世界史論」は、梅原猛などの提唱する日本文化論に真っ向から反対するものであるが、この梅原の記述に関しては、筆者は全面的に賛同するものである。梅原の言うとおり、これが、「日本の伝統」などと、明治以来の日本の為政者が宣伝してきたものは、実は近代以降、欧米から輸入された国家主義に、あたかも「これが日本古来のもの」という粉飾をしたものにすぎないのではないか?
本来の日本の伝統というものは、それをたどっていけば、その殆どが中国に起源している。それを認めたくない日本の国粋主義者たちは、新たに欧米から輸入したものに「古代」的な粉飾を行い、これがあたかも「(中国文化流入以前の)日本古来の伝統」という顔をする必要があったのである。
こういう文脈で、「改正」教育基本法の「伝統と文化を尊重し」という文言を読めば、非常に恐ろしいものが見えてくることは間違いない。実際、「他国を尊重し」などと言っても、彼らの尊重しているのは、ほぼアメリカ一国だけであるし、その「平和と発展に寄与する」という「国際社会」というのも、冷戦後、多極化の進む世界の中で、「アメリカ中心の世界秩序」を「発展」させようという目論見にしか見えない。
 歴史学の任務として、日本の本来伝統とはそもそもどういうものか、その中国や韓国・朝鮮との関係を明らかにし、彼らの主張する「(日本古来の)伝統」の欧米性を暴露していく必要がある
例えば、「日本古来の伝統」と喧伝される「夫婦同姓」自体、これが明治期になって制定された西洋の猿まねであることは間違いない。


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