子 欲 居 日 記

「暗い」と「クール」はどう違うのか?


2006年12月4日


 4月転勤間もない頃、私は帰りの電車の中で生徒に話しかけられた。何しろ、こちらは40人8クラス計320人を相手にしており、なかなか生徒の名前と顔が覚えられないのだが、生徒のほうは、名前を覚えなくても、私のことを「現国の先生」などと、教師の顔はじき覚える。
 その生徒も、どうやら顔をまだ覚えていないだけで、私が教えている生徒の一人だったのだ。その生徒は、とりとめのない雑談の後、「先生、『暗い』と『クール』はどう違うの?」と質問してきた。
 今から思えば、たわいのない質問だったのだが、私は何となくその子の真剣な様子に、何かその子の内面の一端を垣間見たような気がして、「すぐには答えられないから、考えておく。」と、真剣に回答することを約束したのである。
 ちなみに直感的に私が思い付いたのは、子供の頃、テレビで見た市川雷蔵主演の大映映画『陸軍中野学校』シリーズだった。夏休み、新しい学校に慣れた頃、私はツタヤで借りてきたもう40年も前のモノクロ映画のシリーズを何本か視て、子供の頃の記憶を思い出そうとしたのである。
 ご存じの通り、「陸軍中野学校」とは旧日本陸軍のスパイ養成学校である。その中野学校第1期生に選ばれた市川雷蔵演ずる主人公・三好次郎の独特の語りで映画は進行する。「昭和13年10月、私、三好次郎は、幹部候補生として陸軍予備士官学校を卒業、少尉に任官した。」といった調子である。
 第1作では、結局、中野学校へ入学したまま消息を絶った主人公を捜すうちに、軍に恨みを抱いた主人公の婚約者・雪子がイギリス側スパイに利用されてしまう。それを知った主人公は、婚約者を憲兵隊になぶり殺しにされるぐらいならと、上官の勧めもあって、最終的に自らの手で、再会の幸福に酔いしれるヒロインを安楽死させてしまうのである。他にも、第2作『雲一号指令』などの作品の持つ独特の暗さと、主人公のクールさが子供心に強く印象づけられていたのだ。
 半年もたって、授業の合間、たまには面白い話をと生徒に求められた私はその生徒のいるクラスで、この話を披露したのである。みな、私の語る映画のストーリーに興味津々である。一通り話した後、質問した当の子に、「それでは君の考える『クール』と『暗い』の違いを言ってくれ。」と問い返したところ、その子の答えは全く私の想像もしなかった「軽い」ものだったが、私の話とその子の解答とはピッタリと合致していた。
 その子は言った。「同じことでも、ハンサムや美人がやれば『クール』になるが、そうでない人がやれば『暗い』」。
 そうだったのだ。市川雷蔵のような当時の二枚目俳優を起用し、さらに婚約者に小川真由美という美人女優を配することで、スパイ事件だとか、婚約者の毒殺など、戦争中の非常に「暗い」出来事を何か「クール」な出来事のように印象づけることが出来たのである。
 私は、むしろその生徒に教えられたような気がした。クラスでも、演劇部に属す二三名の生徒などは特に真剣に話を聞いていた。
 最初に「面白い話」をと求めた生徒はつまらなさそうであったが、教師たるもの雑談をするにも、生徒の知識だけでなく、識見、感性や情操といった広い意味での教養に役立つ話をすべきである。



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