カオス理論
もともとギリシャ語であるカオスは、英語でchaos(ケイオスと発音)といい、
辞典には「混沌」と訳されているが科学技術の分野では
Deterministic Chaos、
つまり「一見無秩序に見えるが背後に無数の秩序構造を持つもの」という力学現象をあらわす。
「秩序構造を持つ」とは、いわば「この世の中の出来事は、全て数式化できる」ということだ。
ペトロニウスはこう言った。
「偶然といえども原因はある」と。
けれども我々はむしろこう問いかけよう。
「原因とは何だろうか?」
「偶然とは何だろうか?」
「偶然とはどこから生んじるのだろうか?」
「未来はどこまで予言できるのだろうか?」
「この世の中の出来事は、全て数式化できる」というのはどういうことか。
具体例として、「ラプラスの悪魔」の話をする。
6面体のサイコロを振る。果たしてどの目が出るか。
我々には、1から6までの目が1/6の確率で出ることしか分からない。
しかし、実際にそうであろうか。
サイコロを振った瞬間に、そのサイコロが指先からどれだけの力を受けたかは計測可能である。
また、気圧や風速も計測可能であるし、
落下の途中で空気抵抗がどんなふうに働くかも理屈の上では計算可能である。
そしてサイコロを振った時の指先の高さがわかれば、
そこから、サイコロが机の上に落ちた瞬間に、どの頂点がまず触れるのか、
その時の速度や角速度などが決定されるはずである。
さらに、机の上の凹凸やサイコロとの摩擦などもわかり得るので、
こう考えれば、もし正確な観測と複雑な計算を実行したとすると、
サイコロが手を離れた瞬間に、何の目が出るか理論的には計算可能である。
このような一瞬の観測及び計算ができる存在を「ラプラスの悪魔」と言う。
ラプラスの悪魔は、サイコロが振られた瞬間にどの目が出るか予言できる。
一瞬にして全ての事象を知り得る、
悪魔という生物がいたとする。
どんな些細なことでも悪魔にとっては、
それに関する全てを知るには十分なのだ。
では、未来は我々にとって予言可能なのか。
「この世の中の出来事は、全て数式化できる」ということは、どこまでも未来を予言できそうなものである。
しかし、実際の観測には絶対に観測誤差がある。
我々にとって、例えば砲丸投げの選手の投げた砲丸の距離を正確に測ることさえできないのだ。
現在の世界記録は22.63mであるが、これは正確ではない。
もっと正確に測ろうとして、22.63259105800482615532985730188354……、と観測を続けても、
まだその観測は正確ではない。
どこまでいっても、観測誤差が入る。
これくらいの誤差など大して影響ない、と思うかもしれない。
しかし、この誤差は大きな影響を及ぼす。
なぜなら、「この世の中の出来事は、全て数式化できる」といっても、
理想化された直線的な線形システムだけが世の中に存在するのではなく、
現実のシステムの多くは非線形型である、というのがカオス理論の根幹だからである。
カオス理論では「この世の中の出来事は、全て線形もしくは非線形の数式にできる」ということになる。
線形型数式では、観測誤差が増幅されることはない。
我々の計測で、我々が導き出した予想を裏切らない結果が得られる。
これを仮に「必然」と呼ぶ。
そして、一見「偶然」に見える事象の背景には、非線形型数式が存在する。
つまり些細な観測誤差であっても、その動的システムの決定に大きく影響を与えることがある。
人間には「些細な観測誤差」を観測できないから、
「同条件なのに違った結果が生まれた」と思い込んでしまう。そしてここに「偶然」を見る。
非線形型数式では、このように初期値のごくわずかなずれが、将来の結果に甚大な差を生み出す。
これを初期値鋭敏性といい、バタフライ効果とも言う。
ブラジルのチョウの羽ばたきが
テキサスにトルネードを起こすだろうか?
今作コスモカオスにおいて、「未来はどこまで予言できるのか」がテーマになる。
3日後に死ぬと宣告された少女。
予言が当たるか外れるかは、あなた次第である。