| ルクソール |
| ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、中王国、新王国、そして末期王朝時代の一時期に首都として栄えた。ルクソールはナイル川の西岸と東岸に分かれる。王墓やモニュメントが点在する西岸と巨大神殿の東岸である。西岸のクルナ村は、テーベの人々の墓地として利用されてきた太陽の沈む来世の町、死者の都(ネクロポリス)である。 |
王家の谷
| 新王国時代、ナイル川西岸に造られた岩窟墳墓。ファラオたちは、盗掘を防ぐために、奥深い谷に死後の安住の地を求めた。ツタンカーメン王の墓の発見で特に有名。60以上の王墓が発見されているが、殆どが古代の墓泥棒たちと19世紀のヨーロッパ人たちによって略奪されてしまった。 |
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| 王家の谷の全景 正面のイル・クルン山が太陽神ラーを象徴している | ||
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| 早稲田大学 吉村作治教授が、かつて 王家の谷に近いこの家を借りて発掘現場に通った |
シャトルトレインに分乗して王墓に向かう ラメセス3、6、9世、ツタンカーメンを見学 |
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| ラメセス3世の墓はツタンカーメンの墓のすぐ上 | ラメセス9世の墓の入口 カメラ持込み禁止 | |
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| 下のツタンカーメンの墓の入口で説明を聞く 墓が質素であったため唯一盗掘を免れた |
ハワード・カーターによる ツタンカーメンの墓と財宝の発見物語 |
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ハトシェプスト女王葬祭殿
| 新王国時代 エジプト初の女王ハトシェプストは、夫のトトメス2世の死後、まだ幼かったトトメス3世の摂政となったが、後に自らファラオとなった。神殿が「神の家」であるのに対して、葬祭殿は、死後の王を奉るための「亡き王の家」であった。つまり、王が死後に来世で再生復活するための儀式を執り行った場所である。 1997年11月17日、イスラム原理主義過激派武装グループによるテロ事件がここで発生。日本人10名を含む外国人観光客50名が死亡した。 |
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| 岩山に囲まれたハトシェプスト女王葬祭殿の全景 観光客が多い | ||
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| 中庭への門 | 第2柱廊外観 | |
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| 第3テラスの岩窟至聖所 | 左外側のハトホル女神礼拝所 | |
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| 第2柱廊内側 奥に武器を持った警備の要員を目立たぬように配置 | ||
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| 北の柱廊 第2テラス右側 | 第2テラス左の外溝の様子 | |
メムノンの巨像
| 新王国時代絶頂期の王アメンホテプ3世のもの。元々坐像の後ろには、彼の葬祭殿があったが、後の王たちが石材として使用し、完全に破壊された。プトレマイオス朝には、ギリシャ神殿のメムノンのものとされ、その名がついた。 |
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| メムノンの巨像は巨大な1対の坐像 | ||
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| ルクソール西岸はどっちを向いても巨大遺跡ばかり 前景は砂糖キビ畑 |
カルナック神殿
| カルナックにはいくつかの神殿があるが、中でもアムン大神殿は、エジプト最大規模の遺跡だ。 |
ルクソール神殿
| アムン大神殿の付属神殿として建立された。競って巨大なピラミッドを建造した時代から約1000年を経て、ファラオが王墓に芸術性を求めるようになった。美しく彩色された建物、権力を誇示するようにそびえる像、エジプト文明華やかなりし頃の、ルクソールのファラオ夢の跡。 |
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| アメンホテプ3世の中庭の壁画 | 奥の至聖所の柱廊 アレキサンダー大王が寄進 昔迫害を避けてキリスト教徒がここに隠れた |
| ラスベガスのルクソール アメリカのラスベガスに行かれた方は、ルクソールという名のピラミッドの形をした大きなホテルがあるのをご存知だと思います。エジプトを訪れて初めて、ずっと気になっていたルクソールのことが分かりました。ルクソールという名のピラミッドはエジプトにはありません。社用でテーマパークのエイジング(建物の内外ををわざわざ中世とか古代とか古めかしく装う)の勉強にロスのユニバーサルスタジオに行ったついでに足を延ばした時の1シーンです。まだデジカメの普及していない時代でした。 |