【Cinema Holiday】 殺し屋は130Rホンコンに似てます | |
=シネコン寡占市場に危機感? 傑作ミニシアター作品『小さな目撃者』= | 2001/3/18 |
(1999年オランダ=アメリカ作品、監督:ディック・マース、出演:フランチェスカ・ブラウン、ウィリアム・ハート、ジャニファー・ティリー)
この作品を見たのは日曜の12時45分からで、観客はたったの3人。ゆっくり見れて快適なのは個人的には嬉しいのだが、立地条件抜群の都会の真ん中の劇場でこの有様は、一体どうしたもんだろうと思う。うちの近所にも昨年暮にシネコンがオープンして、僕もハリウッド作品ではよくお世話になっているが、この『小さな目撃者』のような、非ハリウッドの傑作に出会うと、だだっ広いシネコンの風景ともあいまって、ハリウッド作品がいかにも「ユルく」感じてしまう。
舞台はオランダの首都アムステルダム。製薬会社勤務の父親の出張のついでに一家3人の観光旅行に来た10歳の少女メリッサが主人公。着いたばかりの高級ホテルでトイレに行った彼女は迷路のようなホテルの中で迷子になってしまい、ウロウロしているうちに裏口から街中に出てしまう。そして帰り道を探し求める最中、思わず目撃してしまったのは殺人事件の現場。やがて、殺し屋の男に執拗に追い回される破目になるメリッサだが、誰にも助けを求めることが出来ないのだった。何故なら彼女は口がきけなかったから……
ここから終幕まで逃走・追跡劇が、一瞬の隙もなくひたすら展開されるのだが、これがとにかく金だけ掛けた「ユルい」ハリウッドものが及びもつかないほどのスリルに充ち溢れている。アムステルダムに生まれ、今もこの街に住む監督のディック・マースは、運河と水路が張り巡らされた街並みを縦横無尽に移動しながら、手に汗握るドラマを進めていく。しかも水平に動くだけではなく、地下水路からホテルの屋上に至る垂直空間も最大限に利用するその手法は『ダイ・ハード』を髣髴とさせながら、背景となる街への愛情の差から生じる決定的な密着感をスクリーンから醸し出させることに成功している。ディック・マース&アムステルダムという唯一無比のコンビでなければ成立し得なかった臨場感が観客の興奮を煽り続ける。
そして、「街」と並ぶこの作品の最大の功労者は少女メリッサ自身。最初はひたすら逃げるだけだった彼女は、そのハンディキャップ故に自らの置かれた状況を誰にも理解してもらうことが出来なかった。偶然ともいえる機会から一旦は親元に戻るが、警察も両親も彼女の告白する危機を信じることができず、再びメリッサは殺し屋に単身追われる状況に陥ってしまう。だが、やがて彼女は凶暴な殺し屋から逃げるだけではなく、精一杯の反撃を試みるようになる。いささか力任せの殺し屋に対して、鋭い知恵ととっさの機転で胸のすくような反撃を加え、どうにかして窮地を脱しようと懸命の努力をする。たった一人の反撃というシチュエーションもまた『ダイ・ハード』パターンだが、マクレーン刑事のように意味もなくスーパーマン的なのではなく、「利口な少女の知恵」がスピーディに繰り広げられていくから、観客はメリッサに自身を投影して喝采を放つことができる。
そう、この映画は生命力に溢れているのだ。資本と人員の投入量が作品の評価に擦りかえられがちなハリウッド作品には珍しくなってしまったスクリーン全体から聴こえる「映画自身の息吹」が全編を支配する。とは言え、この作品は実は半アメリカ資本映画なのだが、それが故に、尚更オスカー俳優ウィリアム・ハートとジェニファー・ティリーを夫婦役で招きながら、ハリウッドと全く違うタイトさを導き出したディック・マースの賞賛されるべき優れた手腕が浮かび上がってくるのだ。
エンディングはありがちな展開、と思いきや、これまた意表をつくストーリー。終わったと思った物語が再び動き出し、おまけにそれまでダメパパだったウィリアム・ハートが、メリッサ役のフランチェスカ・ブラウンから主役の座を奪うのも、もうひとつの見所。