【Cinema Holiday】 そこにいる人たちの群像 | |
=夢のような死と夢から遠い生。半年間のマトコメ・シネマ:その3= | 1999/12/29 |
年末追いこみでマトコメ・シネマ第3回をお送りします(^^;)
佳曲は優れた映画を導く 『ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア』
(1997年ドイツ作品、監督:トーマス・ヤーン、出演:ティル・シュバイガー、ヤン・ヨーゼフ・リーファス)
本国ドイツではあの『ラン・ローラ・ラン』を凌ぐ観客動員記録を樹立したらしいこの作品は、ボブ・ディランのスタンダード・ナンバーをモチーフにしているが、強烈な反戦ソングである元歌と内容は関係なく、天国への扉、という言葉だけを拝借したクライム・ムービー。初監督作品となるトーマス・ヤーンは、タランティーノおたくで、映画の随所にタランティーノへのオマージュが見え隠れする。極めつけは「ストリップ劇場:トゥルー・ロマンス」って、そのままやんけ! とにかく、タランティーノの暴力性に欧州的哀愁をミックスした作風は高い評価を得ており、ハリウッド進出のオファーも数多く舞い込んでいるらしい。
主人公は、死にかけの患者ばかり集められた病院で同室になった脳腫瘍のチンピラマーティンと生真面目な骨髄腫の男ルディ。マーティンがデマカセで言った「天国では海の美しさを語り合うのが流行」という一言が、生まれてから海を見たことのないルディの心を揺さぶる。そして、二人は酒をかっ食らい、ベンツを盗んで、海を見るための旅に出発する。ところが盗んだベンツはギャングのクルマで、おまけにトランクには大金が入っていたものだから、アラブのチンピラに追いかけられ、銀行強盗なんかするから警察にも追いかけられる始末。いつも無茶苦茶なマーティンに降り回されるルディも、太陽が沈む前の輝きのような生気を取り戻して行く。
銀行強盗をシデかしたり、嘘八百並べ立てて警察とギャングの追手をかわすシーンなどは、タランティーノ張りの痛快な疾走感に溢れていて、思わず喝采を叫びたくなることがしばしばだが、対照的なのが時折マーティンを襲う発作のシーン。苦汁の姿で苦しむ彼を何度も写し出すスクリーンには、それまでの無茶苦茶に対して罰を与えた神様が見え隠れする。この映画で描こうとした『Heaven』とはどんなところなのだろうか? なすすべもなく見守るしかないルディは、そんな辛い目をくぐり抜けなければ行けない天国で、本当に海の美しさを語り合いたかったのか?
天国の扉をノックするのは、こちら側にいる生きている人間ではなく、扉の向こうにいる誰か。でもそれは無理矢理に連れて行くためのノックじゃなくて、「もう用意はいいかい?」という合図。海を見てないルディには聞こえないノックの音は、マーティンにだけ聞こえる。でも違うのだ。マーティンにもまだやっていないことが沢山あった。ママへのプレゼント、大好きな女性と迎える朝焼け。そしてもうひとつ……
海の美しさを語り合うということは、海を見てその美しさに感動した時に、無言のまま実現されるのだ。その時、横に語り合える友達がいたのならば。寒風吹き荒ぶ海沿いの道から突然拓ける波高い海。観客全員が一人一人個心の中でその時海の美しさを語り出す。響き出す『Knockin' On Heaven's Door』のギター。長く映画史に残るはずの名ラスト・シーンに違いない。
”夫と共に”という意味だそうです。突然変異邦画『アベック・モン・マリ』
(1998年日本作品、監督:大谷健太郎、出演:小林宏史、板谷由夏、辻香緒里、大杉漣)
「日本映画の新しい形」との前評判も高かったこの作品は、なるほど今まで見たことがあるようで見たことがない奇妙なテイストが全編を支配していた。日常のおしゃれ、とでも表現すべき大谷監督の新鮮な感性は、既成の邦画にはない風を吹きこんでいる。
物語は2組のアベック、というか4人の男女を巡るいざこざを描いていく。仕事のない家事万能のフリーカメラマンタモツと仕事に生きる女美都子の壊れかけ夫婦、タモツの「お友達」モデルのマユとやり手アート・ディレクターの中年男中崎は、長ぁい不倫中の年の差カップル。全てに付け優柔不断なタモツに業を煮やした美都子は、タモツとマユが浮気したと思い込んで激昂し離婚を切り出すが、タモツはあれやこれやと喋りまくって美都子に許しを請う。実はタモツとマユはホントに一緒に部屋にいただけで、お友達でしかなかったのだが、生真面目な美都子には男女間にそんな関係があるなんて信じることができない。そうこうするうちにマユと中崎のカップルにも暗雲が立ち込めてきて……
とにかくこの映画は喋る喋る喋る。優しさが歩いているようなタモツ、肩肘張った生き方をしか出来ない真面目な美都子、自由気ままなマユ、仕事とは裏腹に家庭については古風な考えの中崎、4人それぞれのキャラクターを明確にして、いろんな組合せで愛や夫婦や仕事について語らせる。時には4人一緒の大論争もさせるこの「会話のシーン」が最大の見物だ。あーでもないこーでもない、終わるかと思えばまた始まる、こんな話をするはずじゃなかったのにという後悔、そんな日常に転がってる会話の風景を、カメラはとてもリアルに切りとっていく。演じている4人の俳優は中々の美男美女揃いで、そういう意味では絵面はちょっと臨場感のない仕上がりなのだが、延々と繰り広げられる会話の魅力はその欠点を補って余りある出来。誰にでも経験のあるつまらない言い争いと気まずい会話、そしてふとしたことから仲直りしていく過程、そんなベタベタの日常をちょっとデフォルメしてスクリーンに描くことで、観客に「外国映画を観ているようなお洒落感覚」をプレゼントしてくれるのだ。
ここ何年か日本映画の復権が叫ばれていて、実際多くの優れた作品が生み出されているが、その作風はコメディであったり、感情過多であったり、いわば日本的な感性から発せられたものが殆どだった。勿論、邦画なんだからリージョナルな指向を持つことは大切なんだが、この作品のように笑いを狙うでもなく、感動させるのでもなく、悲哀を描くのでもなく、淡々と人間だけを写すことで2時間持たせられる映画はちょっとなかったように思う。あと、大失敗大河ドラマ『徳川慶喜』での唯一の収穫、板倉老中役で注目を集めた小林宏史の優しげな好演も印象的。