【Cinema Holiday】 どちらもひとつの街の風景ですが…… | |
=閉ざされた希望『カフェ・ブダペスト』、突き破る希望『ラブ・ゴー・ゴー』= | 1999/1/7 |
普段は英米日の作品ばかり見ているので、今回はちょっと趣向を変えて、他の言葉の国の映画を。
この街に春はやってきたのか? 『カフェ・ブダペスト』
いやぁー、深い。濃い、重い。これぞヨーロッパもの、という感じの映画。ハンガリー・ドイツ合作の『カフェ・ブダペスト』は、東西ヨーロッパの交差点、ブダペストを舞台に多国籍の若者達の生き様を描いたシリアスな作品である。
旧ソ連崩壊直前、ブダペストにはヨーロッパのいろんな国からいろんな若者がやってくる。ある者は明確な目的を持ち、ある者はただ放浪するのみ。そんな雑多な街で5人の男女が出会う。希望の見えない生活から逃げるために国を捨ててきた自称ミュージシャンのソ連人男二人。「西」へ行って一旗上げようとする元機械工のソ連人もう一人。女は、スリルとサスペンスを求めて世界中をさ迷い歩くアメリカ人と、お堅い国柄に嫌気がさしてこの街に来たイギリス人。この5人に、激動の日々を力強く生きぬく地元ブダペストの人達、残忍冷酷なロシア人マフィアなどが絡んで、混沌とした様相を深めながら話は進む。
この映画についての感想は、当事者であるヨーロッパの人と、それ以外の地域の人とでは全く受け止め方が違うだろう。少なくとも日本に住む人間であることだけは間違いない僕にとっては、正直言ってもうひとつピンと来ないまるで別世界の御伽噺を見ているようだった。
映画の中では、英語、ロシア語、ハンガリー語が入り乱れ、それぞれの登場人物間の会話はしばしばトンチンカンなものになる。しかし、ブダペストでは言葉はそれほど重要なコミュニケーション手段ではない。「西」へ行きたい、一旗上げたい、スリルを味わいたい、というそれぞれの欲望が、言葉を通さない心と心の直接会話を可能にしている。当然、男女の感情も含めて。
自由を求めて「東」から「西」へいこうとする若者、「西」にはない何かを求めて「東」へ行こうとする若者、という風に色分けするのは簡単だ。でも、「東」から見れば「西」であり、「西」から見れば「東」であるブダペストというこの巨大な喫茶店は、単なる二つの流れの交流するところではない。5人の若者達は、みな最初はブダペストを通過点としてしか考えていなかったが、やがて意識的に、あるいは否応なくこの街を終の棲家とする羽目になる。監督が伝え、観客に提示したかったのは、実はこのポイントなのだろう。
ストーリーが展開し、最後に若者の何人かはブダペストから羽ばたき、何人かはブダペストに残る。ふらりと入ったつもりのカフェに残ってしまった人達。映画のエンディングは、彼らと外の世界に出た人達との対比をあまりにも明確に、そして残酷に描き出す。そこには、高揚するような感動はなく、残された者の諦念が、脱出したものの希望の何倍もの大きさで観客に覆い被さってくる。
四方を海に囲まれ、地理的には他の国へ行きにくいはずの我々が容易に世界中を旅することができ、逆に地続きの世界に住むヨーロッパの人々にとって、たった柵1枚の国境が抱え切れないくらいの大きな意味を持つ。そんなアイロニーを考えさせられた静謐さ漂う作品だった。
この街に愛はやってきた! 『ラブ・ゴー・ゴー』
台湾期待の星チェン・ユーシュン監督の第2作『ラブ・ゴー・ゴー』、なんだそうだが、前作『熱帯魚』は見てないし、実は名前も聞いたことなかった。でも余計な先入観がなかったのが、かえって良い方に作用したみたいで、事前の予想以上に楽しめた傑作だった。笑って、ホロリとして、感動する、三拍子揃った快作。ストーリーの妙に加えて、美男美女2人と非美男美女2人(ゴメン!)の組合せも最高で、今後は台湾映画も要チェックです。
一応、4人の主人公を配したオムニバス映画という触れ込みなのだが、それぞれのエピソードは完全に独立した話ではなく、台北のパン屋さんを舞台にそこに関係する人々をシームレスに描くという作りになっている。4部構成というより3.5部構成という感じで、それぞれのエピソードの主人公は別のエピソードでは効果的な脇役に回り、主役を引きたてている。
物語の中心は、頭の薄い婚期を逃した小太りのパン屋の職人。彼は毎日同じパンやケーキを焼き続け、パン屋の主人である叔母さんは早く結婚しろとうるさい。アパートに帰ると、いつまでも芽の出ないミュージシャンの卵や、恋人のいないオデブちゃんのOLと一緒にウダウダとツルむだけの日々。でも、ある日パン屋にレモンケーキを買いに来た美女を見て、彼の心は波打った。美女は彼の小学校の同級生だったのだ。ここから、パン屋の職人とレモンケーキの美女、アパートのオデブちゃん、それに美女に関係してくる気の弱いサラリーマン、の4人それぞれの恋物語が始まる。
パン屋の職人とオデブちゃんは明らかな非美男美女として設定されているのだが、実は2人とも演技は素人の映画スタッフなんだそうである。台湾語(広東語?)の台詞回しが巧いかどうかなんて全く分からないけど、少なくともアクションや表情を見ている限り、そんなことはとても信じられない素晴らしさだ。二人とも、かなり長い独白のセリフのシーンがあって、これが超感動モノの仕上がり。後で読んだパンフの情報では、台湾国内の映画祭で、レモンケーキ美女と弱気セールスマンの美男美女コンビを差し置いて、助演男優賞、助演女優賞を獲得したとのこと。なるほど納得の名演技である。
とにかくこの作品が素晴らしいのは、美男美女でも、そうでなくとも、みんなに同じように愛はやってきて、同じように恋をして、同じように恋に破れる、という当然の事実を高らかに宣言していることだ。そして、恋は人間を成長させ、恋をしていないと人間は生きていけない、ということを監督は言いたかったのだろう。主人公たちはみんなハッピーエンドを迎える訳ではない。ある人は泣き崩れ、ある人は大声で歌い、ある人は食べ続ける。そしてやっぱり明日はやって来て、新しい恋が始まる人がいる。チェン・ユーシュン監督は、そんなどこにでもあるちょっと切ない光景を、ひときわ感動的に見せてくれる。
誉め出したらキリがない映画だが、特に素晴らしいのは「語り」のシーン。オデブちゃんの電話での長口上、弱気なセールスマンのナレーションもそれぞれハナマルだが、とりわけ泣けるのがパン屋の職人の手紙朗読シーン。R.E.M.みたいなギターの弾き語りをバックに訥々と続く彼の語りは、映画史に残る名場面であろう(←超独断)。
美男美女でない人達に勇気を与える映画、というのではない。ここにあるのは、そんな垣根をふっ飛ばす誰もが経験する普遍的な愛の姿、なのだ。愛情来了! 愛がやってきた! そんなみんなの祝福の映画。