【Cinema Holiday】  愛だの恋だの、戦争だの、テレビだの、忙しい世界です
      =最近見たメジャー系洋画3連発レビュー=    

1998/12/14

  今月、通勤経路のターミナルに8スクリーンのシネコンが出来たこともあってか、メジャー系の洋画をまとめて見たので、3本分の感想を書いてみたいと思います。

wb01480_.gif (190 バイト)お洒落にしようと思ってコケるとヤバイですwb01480_.gif (190 バイト)

out.jpg (35400 バイト)    犯人と人質、あるいは犯人と刑事の間に芽生える愛、っていうのも随分と古くからあるネタである。必殺色目使い男、ジョージ・クルーニーを主演に据えた『アウト・オブ・サイト』は、そんな古典的題材に改めて挑んだ作品だが、ウーン、駄目でしょう、これは。

   クルーニー扮する銀行強盗犯ジャックは、決して人を殺めないことが自慢の常習犯。何度目かのオツトメの後、またまた塀の中の人となったジャックは、他の囚人を出し抜く形で脱走に成功する。こんな風に始まる出だしは中々面白いのだが、話が本筋に入ると、ドンドンつまらなくなっていく。ジャックは、外から迎えにきた悪友と共にひたすら逃げようとするが、そこに紛れ込んでしまったのが、プライベートで偶然その場に来ていた美人連邦捜査官カレン。二人はカレンを人質に逃げおおすことに成功する。この短い道中で、二人の心境に変化が…… ということなのだが、この肝心のところに全然説得力がない。

   殆ど「一目逢ったその日から」という感じで、格好いい銀行強盗とハンサムな美人捜査官の間の恋愛感情を強引に理由づけようとしているために、この後の展開で、これは特にカレンの描写に言えるのだが、相手を追い求める姿に感情移入が全く出来ない。ストーリーは更なる大きな犯罪を実行しようとするジャックと、これを阻止しようとするカレンの姿を軸に進んでいくが、「はいはい、好きにしたらぁ」という感想しか浮かんでこなかった。

   やたらと意味ありげなセリフと、夜景をバックにしたラブ・シーンなど、お洒落な作品にしようという意図ばかり必要以上に目立ってしまい、脚本の弱さからくる上滑りの連続。むしろ、本筋から離れた、ドン臭い共犯者や殺人マシーンと化す別の共犯者の方が、よっぽど魅力的に描かれていて、気だるい画面を引き締める役目を果たしていた。

   エンディングのアクション・シーンは、それまでの眠気を少し吹き飛ばす快活さだが、ジャックが急にいい人になったりして、これまた意味不明。美男美女の存在だけでは、いいラブ・ストーリーは作れないことを図らずも証明してしまった2時間だった。

wb01480_.gif (190 バイト)小林よしのりさんはどう思うんでしょうか?wb01480_.gif (190 バイト)

ryan.gif (82488 バイト)    次は、もう終る頃になってやっと見てきた『プライベート・ライアン』。あの船が沈む映画ほどじゃないけど、この作品も耳に入る事前情報が何かと多かった。特に、戦場の描写がリアル過ぎて気持ち悪くなるとか聞いていたけど、実際に見てもそういう印象はなかった。確かにリアルではあるが、むかし太平洋戦争を実際に戦った人の手記を読んで脳裏に浮かんだ阿修羅図の方がよっぽど怖かった。映画とは関係ない話になるが、時には映像の直接性より人間の想像力の方が、かえって破壊的な威力を発揮することがあるのだなぁと、ちょっと思った。

   さて、この映画が感動巨編かというと、個人的には少し違うような気がする。僕が一番グッと来たのは、映画が始まってまもなく、3人の兄弟が死んだことを告げられた母親が玄関で崩れ落ちるシーン。ここではホントに落涙寸前だった。話はここからが本番で、7人の侍ならぬ8人の兵士が、ライアン二等兵を救出するために悪戦苦闘するのだが、大感動シーンというのは殆どなかった。

   『シンドラーのリスト』は、モロに観客を泣かせにかかっていた作品だったが(僕は好きですョ)、『プライベート・ライアン』は違う。スピルバーグは、あくまで主題に「リアルさ」を据え、淡々と描こうとしているのであり、不必要な感動シーンは用意されていない。ある意味では平板とも言える映画だ。映像もリアルに、ストーリーもリアルに、映画にお約束の嘘(いい嘘も悪い嘘も含めて)を一切つかないことが、スピルバーグが自らに課した命題だったのではないだろうか。

   トム・ハンクス演じる主人公のミラー大尉は凄腕の司令官。その素性は謎で、指揮命令は冷静沈着かつ時には冷酷。あまり共感しにくい人物だが、ストーリーが展開するに従って、徐々に彼の人間性のベールが剥がされていく。彼と共に戦う7人の兵士達は、時にミラー大尉に反発し、そして何よりも自分達の命を危険にさらさせている、未だ見ぬライアン二等兵に憎しみを抱く。1人の命を救うために8人の命が落とされてもよいのか? これは話の核心となる疑問だが、結局エンディングでも結論は示されない。

   ミラー大尉は「本部からの命令だから」という理由のみで、ライアン捜索を続行しようとする。度重なる命の危機に我慢も限界にきた兵士達は、大尉に詰め寄るが、ここでも、この問いに対する大尉の直接の答えはない。ただ、このバカな戦争と早く縁を切りたいだけ、大尉の思いはこれ以上でも以下でもない。それが正しいことなのか正しくないことなのか、あるいは、誰の命が誰の命より重いのか重くないのか、全体のためには自己犠牲は必要なのか、いくらでも疑問は湧いてくる。兵士達にも大尉にも、そして見ている僕達にも。

   でも、『プライベート・ライアン』は映画である。教科書じゃない。最後は、見た僕達ひとりひとりが、自分だけの結論を出せば良いのだ。そんなことはどうでもいい、というのも、ひとつの結論だろう。リアルさのもたらす普遍的な問いかけ。文部省推薦啓蒙映画の一歩手前で踏みとどまって、踏みとどまったが故の傑作に仕上げたスピルバーグはやはりタダモノじゃないです。

wb01480_.gif (190 バイト)泣けるコメディは、泣けるラブ・ストーリーより凄いwb01480_.gif (190 バイト)

truman.jpg (36411 バイト)    メジャー作品3連発の最後は、一部で筒井康隆『俺に関する噂』のパクリじゃないかとの評もある『トゥルーマン・ショー』。これは文句なしの大傑作。ライト・コメディだろうと思って軽い気持ちで見に行ったのだが、最後はジーンとくる泣き寸前モード、心地よい裏切りだった。

   『俺に関する噂』は、平凡な毎日を過ごすサラリーマンの生活の様子が、ある日突然マスコミの注目するところとなり、行動の一部始終がマスメディアに報道されるという内容。主人公は自分が報道されているということを自覚している(させられている)点が『トゥルーマン・ショー』との大きな違いだが、何の変哲もない一般人の生活が衆人監視の目に晒されるという土台は同じである。筒井版の主人公は、自分の生活が報道されていることに怒りまくり、それにマスメディアがどう対応して行くか、という点に主題が置かれている。つまり、大げさに言えば、マスメディアの生態、とでも言うべき問題を追求しようとしているのだが、『トゥルーマン・ショー』の主人公トゥルーマンは、生まれた時から巨大な檻の中に閉じ込められていて、自分の生活が人に見られていることなど全く知らない。自分のいる世界が普通の世界であることに何の疑問も持っていない。そんな彼が、ふとした出来事から、自分の周りの世界が作り物ではないかと不信感を持ち始め……

   だから、この作品ではマスメディアのあり方などを論議するとか、そんな大層な主題はない。特異な世界に閉じ込められたトゥルーマンが、外界とのコンタクトを取ろうとし、真実を知ろうとした時のとまどいや、それを突き破ろうとする意志、そんな行動・感情の一つ一つが観客の心を揺さぶる作品である。

   トゥルーマンは、要するに「いい人」。毎日マジメに働き、妻を愛し、母をいたわり、亡き父を尊敬し、ニコヤカに近所の人と付き合う。こんな人が、実際に僕らの側にいたら、とっても爽やかな気分になるだろうけど、映画を観る僕らには、その爽やかさが、かえって残酷に映る。いい人がいい人で居続けることが出来ず、様々な困難に直面する時、観ている僕らは、もう堪らずにひたすら彼を応援してしまう。エンディング近くになると、「何でこんないい人が、こんなヒドイ目に逢うんだ?」という怒りにも似た思いがこみ上げてくる。その思いが、最後のトゥルーマンの一言で解き放たれ、それまでの上映時間中の「鬱憤」が一気に解消されるのだ。

   「いい人」「可哀想な人」を演じさせられているトゥルーマンを見事に演じ切ったジム・キャリーにとっては、これまでのキャラクター・イメージを一新するエポック・メイキング的な作品となるだろう。細かいところを突っ込み出したら結構アラがある作品だけど、読後ならぬ観後の爽快満足感で全てOKの快作でした。

wb01627_.gif (253 バイト)Seeker's Holiday Camp