【Music Holiday】 これはロック界の「ゴーマニズム宣言」か? | |
=メッセージ・ソングという名の押し売り、ミスター・チルドレン『終わりなき旅』= | 1998/11/29 |
僕はミスター・チルドレンが好きである。かなり好きである。大好きと言ってもよい。アルバムは勿論のこと、シングルのカップリング曲までコレクションしている程である。サザンオールスターズを別格とすれば、現在進行形の日本のバンドの中では、最も動向を注目してる存在だ。
そんなミスチルの本格的復活シングル『終わりなき旅』だが、僕はこの曲を耳にする度に、モヤモヤとした違和感を感じてしょうがない。曲調はミスチル節王道のミディアム・バラード。チャートを埋める凡百のバンドに比すれば、やはりよく出来ている。しかし、今までの彼らの曲のように何回も聴き返そうとは思わない。起伏のないメロディと。そして何よりも引っ掛かるのは次のフレーズ。
『誰のマネもすんな、君は君でいい、生きるためのレシピなんてないさ』
そりゃそうだ。自分らしく、自分の決めた道を歩いていければいいに決まってるし、難しいことだけど、誰もがそうありたいと思ってる。この歌詞が妙なことを言ってる訳じゃない。でも、そんなことは、桜井和寿にこれ見よがしに言われなくても分かっているのだ。『誰のマネもしない、僕は僕でいい、生きるためのレシピなんてないから』って自分のことを歌うのならいいけど、どうして押し付けてくるんだろう?
ミスチルがブレイクしたのは、『Crossroad』『Innocent World』という2枚のシングル。それ以前の2枚のアルバムも合わせて、ここまでの彼らは良く言えば「キラめくような若者の日々」、悪く言えば「いわゆる愛だの恋だの」をサッパリと歌い上げてきた。しかし、一旦売れてしまい、やりたいことが出来る立場になると、桜井本来のある種のシリアス症候群が徐々に前に出てくるようになる。3枚目のコンセプト・アルバム『深海』になると、一体コンセプトが何なのかは全然分からないのだが、とにかく深刻なのである。駄目な日本の情勢を嘆く『So Let's Get Truth』、マスコミ批判と世間を罵倒する『マシンガンをブッ放せ』あたりの曲はかなり説教臭い。
でも、僕はこのアルバムが大好きだ。理由は簡単、メロディとサウンド・プロダクションが素晴らしいから。ボンゾもどきのドラムスが爆発するオープニングの『シーラカンス』、圧倒的な静謐感と重々しいギターが聴く者を包み込む『ゆりかごのある丘から』など、捨て曲一切なしの完璧な仕上がりである。
続いて短いインターバルでリリースされた『ボレロ』は、約半数が既発シングルということもあり統一感には欠けるが、今までの曲になかったカオス感覚を全開させた『Brandnew my lover』を始めとするより一層厚みを増したサウンドは、ミスチルのひとつの到達点を示すランドマークになっていた。そして、1年半の休暇期間の真中に唐突に発表されたシングル『ニシヘヒガシヘ』は、リズム主体の実験的サウンド。日本一ビッグなバンドでありながら、次々に新たな道を切り開いていく試みは、桜井の書く歌詞に対する一抹の疑問を押し隠して、ミスチルに対する僕の信頼を支えていた。
しかし『終わりなき旅』は違う。これまでミスチルの存在主体であったサウンド・プロダクションが大きく後退し、「メッセージ」が幅を利かせている。その象徴が先に上げたフレーズだが、場所を問わず、曲全体が暑苦しい閉塞感に満たされている。今まで歌詞の胡散臭さをうまく消す方向に作用していたサウンドに全く冴えがなく、盛り上がりのない平板なメロディが続く。そんな貧弱さをカバーするように大袈裟なストリングスが被せられているが、これが完全な逆効果で、聴く者を白けさせる。要は僕が勝手に呼んでいるところの「ポール・マッカートニー『My Love』パターン」にハマッっているのだ。
天才と言われている桜井だって、いつも珠玉のメロディを生み出せる訳ではないし、平凡な曲もあるだろう。ただ、『終わりなき旅』の違和感に僕が拘るのは、この曲のつまらなさが、そういったメロディ・メーカー的スランプによるものではなく、「この言葉をみんなに布告しなければならない」という歌詞至上主義的メッセージ・シンガー姿勢から発生しているように思えるからだ。
前作『ボレロ』において、名実ともにアルバムの中核をなしていた曲『Alive』で、桜井はこう歌う。
『さぁ行こう、報いはなくとも、救いはなくとも、荒れ果てた険しい道を』
ここでの桜井は貴方と一緒に歩いて行ってくれる人だ。苦しい道のりを一緒に歩く人だ。貴方と同じ高さに、貴方と同じグラウンドに立っていた。でも、「さぁ行こう」が「誰のマネもすんな」という表現に変わった時、桜井は違う世界に行ってしまった。言いたいことを言うのは別に構わない。しかし、ロックでそれをやるのはやめて欲しいと思う。キミの主張は、別の世界でやって欲しい。だって、ロックが、この数十年の間に多くの人々の心を捉えることができたのは、「悩む人に答えを与える」からじゃなく「悩んだまま踊らせる」からなのだから。
主張を声高に叫ぶんじゃなく、感じたこと、思ったことをそのまま歌うこと。それを聴く僕達がそこから自分で何かを感じ、何かを考えること。ミュージシャンとリスナーというすれ違いの関係でありながら、双方向であること。僕は、ロックっていうのはそういうものであり、決して一方通行の意志伝達手段なんかじゃないと思う。
レシピなんてない、と言いながら、桜井は僕らにレシピを差し出そうとしている。でもそんなものはいらない。尾崎の跡目相続をする桜井なんか見たくもない。
だから、僕は『終りなき旅』は、ちょっとした失敗なんだと思いたい。来年発表予定のニューアルバムでは、いつもの、そして進歩し続けるミスチルが聴けることを願っている。もし、そうでなかったら、その時は、彼らにサヨナラを言わなければならない。