【Cinema Holiday】 永遠のテーマ、映画は娯楽か現実か? | |
=夢見る貴方に『スライディング・ドア』、シニカルな貴方に『ターニング・ラブ』= | 1998/11/23 |
今回は、ありそうでない話の映画と、ありそうである話の映画を。
ありそうでどこにもない話『スライディング・ドア』
(1997年アメリカ=イギリス作品、監督:ピーター・ホーウィット、出演:グウィネス・パルトロウ、ジョン・ハンナ)
自分の人生って、一体いくつの偶然が積み重なって出来たんだろう、ってふと思うことありませんか? 生まれてから、何万何十万という分かれ道があって、いちいちその右か左かを選択し、あるいは選択させられることによって、今の自分が存在している。「もし、あの時こうしていれば……」っていつも誰もが思うけど、現実にはそこへ戻ることは出来ない。そんな叶えられることのない願望を、少しだけキュートに描いたのが、この『スライディング・ドア』だ。
主人公は、イギリス郊外の街で、だらしのない小説家の卵ジョージと同棲する女性ヘレン。ある日、出社した彼女は、つまらないことで会社をクビになり、家へ帰る地下鉄の駅へと向かう。ヘレンは間一髪でホームに滑り込んでくる地下鉄に乗れず、トボトボとタクシーを拾いに道端に出ると、ひったくりに襲われて怪我をして……
ここで登場する if は、「もし、あの時ヘレンが地下鉄に乗れていたら?」というもの。ここから、映画は、同性の友人やお互いのボーイフレンド、ガールフレンドといった人物を配しながら、二人のヘレンを同時並行で描いていく。とにかく、「さあ、こっちのヘレンはどうなるんだろう?」という想像をするのが楽しい映画なので、ネタバレはここまでが限界。後は、見てのお楽しみです。
「もしも、あの時こうしていたら?」というテーマ自身は、とりたてて新鮮なものではないけど、それでもこの作品が成功しているのは、二人のヘレンの境遇を大きく離していない設定にあるだろう。地下鉄に乗れたヘレンと乗れなかったヘレンは、確かに違う道を歩き始めるが、その道はほんのちょっと横を通っているだけで、次のifの選択によっては、すぐに合流してしまう程のものだ。片っ方のヘレンは少しファンタジックに、もう片っ方のヘレンは少しミザリーっぽく描かれているんだけど、どちらの展開も全然無理がなく、「そうだよねぇ、やっぱ、そうだよねぇ」の連続。仮に、ifを強調するために、ふたりのヘレンを極端にかけ離れたものとしていたら、話はいっぺんに説得力を失っていたに違いない。
最後は、予想通り、ふたりのヘレンがだんだん近づいていって、やがて交わるように見えるのだが…… ここで言えることは、1時間40分があっという間で、見終わった後、とってもいい気分になれる映画だってことです。どこにでもありそうで、実はどこにでもない話なんだけど。
ヘレン役の(ブラピの元彼女)グウィネス・パルトロウは、メチャんこ可愛い。当たり前かもしれないけど、情けないヘレンは情けなく、輝いてるヘレンは輝いているように、と綺麗に演じ分けている。それから、ナイスガイなヘレンの(どっちの?)ボーイフレンド役のジョン・ハンナと、優柔不断な同棲相手の小説家卵役ジョン・リンチも、情けなさと青臭さをうまく漂わせていて二重マル。
ありそうでどこにでもある話『ターニング・ラブ』
(1997年アメリカ作品、監督:ロバート・グリーンウォルド、出演:ラッセル・クロウ、サルマ・ハエック)
『L.A.コンフィデンシャル』で一気にスターダムに駆け上がったラッセル・クロウ主演の『ターニング・ラブ』は、原題を『Breaking Up』という。もうオシマイ、とか、これでオワリね、とかいう意味だろうけど、原題のままの方が良くなかったかな? 『ターニング・ラブ』って、うまく名付けたとは思うけど、雰囲気だけで、結局どういう意味なのかよく分からないような気がする。
それはさておき、この映画の主人公は、もう2年半もダラダラと同棲してるカップルのふたり。というか、登場人物はこのふたりだけ。ふたりが喧嘩したり、仲直りしたり、イチャイチャしたり、電話で言い合ったり、というただそれだけの映画。どこにでもあるどころか、石を投げたら百発百中みたいなネタの二人劇である。
出会った頃は、何をやっても楽しく、ふたりでいることが世界最強のように思えたけれど、2年半たった今はつまらないことで言い合ってばっかり。何度も、別れようって罵りあうけど、何となくベッドに入って何となく仲直りしてしまう、惰性のような日々。
まさに、誰もが頷きまくりのシチュエーションで、喧嘩のきっかけも、言い合う言葉も、何となく仲直りしてしまう気持ちも、観客みんなが「あるある」状態。そんな話の隙間に時々入るのは、監督自らが行った街頭インタビューの様子。「ふたりの仲を長持ちさせる秘訣は?」というような質問を街の老若男女に訊いていくのである。これがすこぶる面白い。インタビューの前で、主人公のふたりが大喧嘩してるもんだから、「長持ちさせようと努力しないことだね」と穏やかに答えるおじいちゃんが、まるでふたりに説教しているように見えるのだ。
主役を演じるラッセル・クロウは、『L.A.コンフィデンシャル』の強面刑事ぶりとは180度打って変わった頼りなげなニューヨーカー兄ちゃんを好演。刑事の時は、オールバックにしてたので、ちょっといかつい印象だったけど、今回は少し伸ばした髪の毛をおろしているだけで、全然違う優しいイメージに変身している。しかし、この人メガネかけたら無茶苦茶カッコいい。ガールフレンド役のサルマ・ハエックは、個人的にはピンとくるものがなかったんだけど、喧嘩した後の仲直りを申し入れる場面では、とってもカワユク写っていた。
殆ど、となりのアナタや僕の私生活を撮られたような準ドキュメンタリー映画で、最近の作品にしては短めの90分という作品だが、この展開ではちょうどいい長さだろう。最後まで劇的なことは何も起きず、ふたりは結局○○○になるのだが(どうなると思います?)、その最後もこれまた「あるある」の展開。見終わったあとのカタルシスは全然ないんだけど、現実感が身にしみる不思議な作品である。