【Cinema Holiday】 今年一番のオススメ、ってもう終わるんやけど…… | |
=船は沈まなくても珠玉の感動を呼ぶ『スウィート・ヒアアフター』= | 1998/9/20 |
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カナダの誇る俊英、アトム・エゴヤンの送り出す最高傑作、と言われても、どれほどの日本人が彼の名を知っていたのだろう。僕も全然聞いたこともなかったのだが、なるほど日本では前作『エキゾチカ』しか公開されていないのだそうだ。
業界や「玄人筋」の評価がやたらと高い作品で、97年のカンヌ映画祭グランプリに加え、アカデミー最優秀監督賞、最優秀脚色賞ノミネート(どっちも取れなかったけど)、更にカナダのアカデミー賞ともいうべき(よう知らんが)ジェニー賞では主要8部門独占、なんだそうである。
そんな前評判に釣られて、少々斜に構えて見に行ったのだが、内容がどうこうと言う前にまず驚いたのが観客の少なさ。110人キャパの劇場に、観客はたったの7人……これは少なすぎる。ちなみに、隣のスクリーンでやってた金城武主演の『ニューヨーク・デイドリーム』は満員札止めだったのだから、平日のレイトショーだからというのは理由にならない。プロモーターさん、もっと宣伝してよ。
それで、肝心の内容はというと、「ゴメンなさい、私が悪うございました。やっぱり『Godzilla』よりこっちの方が面白いです。ヘイ」という文句のつけようのない100点満点の150点。1時間50分の上映時間中、悲しみと怒りを押さえた寡黙な映像が淡々と続き、息も出来ないほどの、は大袈裟だけど、息を呑むほどの見事な出来映えだった
ストーリーの核となるのは、カナダの田舎町を毎日走るスクールバスが、ある寒い朝にガードレールを突き破って凍った湖に水没した事故。バスの女性運転手と女子中学生の2人を除く全員が死亡し、町は深い悲しみに沈みこむ。そこへ初老の弁護士がやってきて、事故の真実を明らかにしようと、残された家族達に訴訟の提起を説いて回る。やがてバスの整備や運行体制に問題があったのかもしれないと思い始めた人達が、弁護士を頼りに立ち上がろうとするのだが……
バス事故が起こってから数ヶ月後(数週間後?)の時点から映画は始まる。だから、観客が共有する時間の中では、事件らしい事件は何も起こらない。ストーリーは、この時点を現在として、バス事故が起こった過去、そして弁護士が現在を振り返る未来、の3つの時間を行き来しながら展開していくのだが、この構成が何とも秀逸。観客が混乱しそうな場面も少なからずあるが、ひとつ先の時間の様子を先に見せることによって、プレゼントな時間での出来事を暗示していく。そして観客の予想は殆ど裏切られない。にもかかわらず、予定調和的なわざとらしさが全くない。
この映画では、ストーリーの意外さや面白さは重要とはされない。観客の心に残るのは、登場人物それぞれの悲しみと怒りの深い描写だ。「Sweet Hereafter」とは「穏やかなその後」という意味で、心に深い傷を負った人々がどのように再生し、穏やかなその後を送るのか、という過程を描き出すことに主眼が置かれている。
主人公は初老の弁護士と生き残った少女。他の登場人物はみな「残された人」で、弁護士と少女だけが異質な立場にある。しかし、彼らもまた別の意味で「残された人」である。大勢の友達が一緒に天国に行ってしまったのに、ひとり生き残ってしまった少女。ある意味で予期せざる闖入者でありながら、自らもヤク中の娘のことで深く傷ついている弁護士。
彼らの語りを中心に、小さな小さな町に生きる人々の癒されることのない悲しみの表情を繊細にカメラは捉える。やがて、この映画の中で唯一とも言ってよい小さな事件が小さな波紋を広げ、そして静かに消えていく。
エゴヤン監督は、原作にはなかった要素として、有名な寓話である『ハメルンの笛吹き』のエッセンスを巧みにミックスし、少女を演じるサラ・ポーリーに繰り返し語らせることによって、映画自体を一個の寓話に仕立てている。この作品中、最初で最後の登場となる陽の光がエンディングを飾ることで、苦難を乗り越えた人々の「穏やかなその後」を示しているのだ。
とにかく、何も起こらないのに、全てを体験してしまったような満足感が残る珠玉の作品。主題歌まで歌ってしまった少女役のサラ・ポーリーの可憐さと力強さ、弁護士役のイギリス人ベテラン俳優イアン・ホルムの渋すぎる演技も素晴らしいが、やっぱり成功の鍵はエゴヤン監督の強烈な手腕に尽きる。映画は監督、そんな言葉を再確認した。