【Cinema Holiday】超思い入れレビュー:歴史的大作映画『タイタニック』を観た!
      =素直に泣けるということを感謝したいと思います=          

1998/1/21


Titanc14.jpg (78144 バイト)   とりあえず『タイタニック』である。何はともあれ『タイタニック』である。映画そのものよりも、制作費がン十億だとか、実物大のレプリカを作って沈めただのという事前情報ばかりが取りざたされて(私も言ってたが…)いた「世紀の超大作」をようやく観ることができた。

   とにかく涙が止まらなかった。ラスト30分はもうボロボロ泣き通し。映画でこんなに涙を流したのは初めてだった。私だけではない。いかにも涙腺の緩そうなお姉さんは当然のこと、そのお姉ちゃんの彼氏みたいなイカツイ兄ちゃんも、開演前はベチャクチャ騒がしかったおばちゃん達も、映画マニア然としたお兄さんも、恐らく会場の8割は泣いていたといっても過言ではあるまい。

   来日時のインタビューで、ジェームス・キャメロンは、「小国のGNPより高い映画を作ったことをどう思うか?」との質問に、「別に社会福祉予算や、エチオピアの子供のミルク代を奪った訳じゃない。映画会社の年間予算の中から計画的に支出されたもの。この映画を作らなければ、スティーヴン・セガールの映画が3本余計に出来るだけのこと。それよりはずっと有意義な金の使い方でしょう。予算は1セントも無駄にしていない」と答えたという。この記事を読んだ時は、そんな超自信は果たしてどこからくるのかと、私はいささか不思議に感じたのだが、見終わった後では、キャメロンの発言もなるほどと納得せざるを得なかった。

   映画が始まって、いきなり度胆を抜かれるのが、サウザンプトン港で出港を待つタイタニック号の巨大さと美しさ。ここで観客は、いかに特撮技術が驚異的に進化しようが、最後まで実写を超えられない一線があることを否が応でも認識させられる。そして20世紀初頭イギリス黄金時代の最後のきらめきとも思える華やかな旅立ち。しかし、観客は全員結末を知っている。この巨大な船は決してニューヨークの港に滑り込むことは出来ない。

   ストーリーは、前半、レオナルド・ディカプリオ演じるジャックとケイト・ウインスレット演じるローズという若者二人の恋物語を軸に展開する。ローズは、一等船室に乗ることが許される上流階級のお嬢様、一方のジャックは船底に近い三等船室に潜り込んだ貧乏画家の卵。意地悪なローズの婚約者や厳格な母親等の幾多の妨害を乗り越えて、二人は愛を育んでいく。しかし、誰もいない荷物室で結ばれた二人が、太陽の光を一緒に見ることは二度となかった。

   1912年4月14日の夕暮れ、年老いた現在のローズのナレーションはこう告げる。「そしてこれがタイタニックが最後に見た太陽の光だった」

   そして、午後11時40分、大氷山に衝突。物語は、若い二人からタイタニック号へとその主役を徐々に交代していく。史実では2時間40分、映画でも1時間半に渡って展開される沈没への悲曲は、確かにパニックを描く。しかし、凡百のパニック映画に描かれるような阿鼻叫喚の地獄絵図とは少々様相が違う。人々は確かに逃げ惑うが、全体的にはむしろ淡々と船は巨体を海底に向けて沈めていき、時は過ぎていく。

   キャメロンが特撮ではなく、レプリカを使っての実写に拘った訳がここにある。恐らくデジタル・ドメインの特撮技術を駆使すれば、もっと安い費用で、もっと恐ろしいパニック映画を作ることが出来ただろう。しかし、キャメロンが描きたかったのは、作り物の恐怖ではなく、85年前の北大西洋上であった実際の恐怖だったのだ。

   誰もが逃げ惑うパニック映画を作ることは容易いが、そこに現実の恐怖を描写し得るかというと話は別だ。タイタニックの悲劇にしても、1500余名の命が失われたという事実こそ共通認識として存在しているが、真っ先にボートに乗ることが出来て助かった人と、最後まで沈む船尾にしがみついて助かった人とでは、その経験した恐怖の質がまるで違う。2200名の人々のそれぞれの恐怖と臆病、そして勇気と愛情をスクリーン上に映し出すためには、可能な限り当時の状況を実際に再現すること。これしかなかったのだ。

   強大な海の力の前に無抵抗に沈んでいくタイタニック号。生に向けてのありとあらゆる苦闘を試みるジャックとローズ。少しでも多くの人の命を救うために努力する船長をはじめとする乗務員。船が海底に没する運命であることを真っ先に認識する「不沈船タイタニック号」の設計者。戸惑いながらもボートに乗りこみ生き残る船会社ホワイト・スター・ラインの社長。ジャックとローズ以外は全て実在の人物である。船の状況、人々の台詞や行動を、明らかになっているものは全て史実どおり再現したと語るキャメロンの執念が見事なまでに結実していく。

   だから、「タイタニック」はパニック映画ではない。さりとて、ジャックとローズの悲恋物語でもない。「タイタニック」は、フィクション風味のノンフィクション映画なのだ。タイタニックは沈む。必ず沈む。そして1500を超える人々が命を落とす。船長も設計者も海の藻屑と消える。そこには映画特有の救いもなければ希望もない。厳然たる歴史的事実を観客に提示すること。それがキャメロンの意図したことであり、ジャックとローズの物語はそのための触媒に過ぎない。主役は2200名を載せたタイタニック号自身と、2200名それぞれの人生。

   衝突から2時間40分後、ついに人類史上最大の客船は最期の時を迎える。次第に直立していく船尾。乗客を落ち着かせるためにミサを続ける牧師と祈り続ける乗客達。眼前の光景を言葉もなく眺めることしかできないボート上の人々。スクリーンを見つめる我々は無力感に苛まれる。

   そして巨大な鉄塊が海中に没し、多くの人々が極寒の北大西洋に投げ出される。ボート上では、助けに行こうとする人々と、ボートがひっくり返ることを恐れて行くべきではないと主張する人々の対立が起きる。一人の婦人が「あなたの御主人が溺れているのに、それでも見過ごすの?」と叫び、ボートは沈黙に包まれる。生と死のあまりにも無残な対比図が剥き出しにされる。

   「私たちはひたすら待った」現代のローズのナレーションが、明るくなっていく空に響くとき、ようやく救助に来た客船カルパチア号の姿が現れる。この場面こそ沈没シーン以上のクライマックスだ。単なるパニック映画ではなく、240億円を費やして、キャメロンが描きたかったものは何か? 観る人それぞれの意見は違うだろう。ただ、私はこう思う。死を見た人間の生への力。これこそがこの映画の主題だと。

   未見の人のために詳細は伏せるが、確実に映画史に残るに違いない感動的なラストシーンも、また「生への力」を形を変えて表わしたものではないだろうか。

   3時間という上映時間も、240億円も、この映画には必然の要素だ。勿論、映画は金をかければいいというものではないが、金をかけなければ出来ないものもある。キャメロンの言うとおり、この映画の巨額の経費は少しも無駄にはされていないし、映画に金を使うならこう使え、という、これからの映画製作の羅針盤になる作品だ。

『タイタニック』公式サイト(日本語)

『タイタニック』公式サイト(英語)

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