【Music Holiday】  夏と冬とザ・フーと僕
      =そして11年経った今、僕はじじいにならずに生きているのか?=    

2005/5/23

Originally released in Sep. 1994

<<注1>>
この少々(かなり?)恥ずかしい文章は、史上最高の暑さと言われた94年の夏に、よく分からない勢いで書きなぐり、どこぞのページに投稿してしまったものである。今回、パソコンの引越準備作業中にハードディスクの奥底から思いもかけず発掘された。あまりにも恥ずかしすぎる部分は修正したが、大体は原文を活かして再掲載した。
<<注2>>
11年経って読み返してみれば少なからず首をかしげたくなる部分もある。特に1999年からのキース抜きでの驚異的な復活ぶりはこの時点では全く予想もできなかったものであり、すっかり「終わったバンド」として捉えているこの文章と今の僕の心境は微妙にフィットしないが、まぁ20代の心象記録(そんな大げさなもんかい!爆)として、これはこれでアリかな、と思っている。

thirty.jpg (11703 バイト)    誰でも同じだろうが、子供の時に見た大人は何か途轍もなくみんな立派で、自分が大人になるということは、立派に成長するということと同義だと思っていた。けれど、本当は単にひとつづつ年を取るだけのことで、ちっとも立派になんかなれやしないのである。
   働くようになってから5年経ったけど、5年前の自分と今の自分を比べても、成長したところなんか何もない。身についたのは世渡り術の入門編と、いろんな人との別れ方だけだ。反対に、自分の中の子供の部分はどんどん大きく、そして確固としたものになっている。

   言っても無駄だとは分かっていても、つい「暑い」と言ってしまった今年の夏は、本当に過ごしにくかった。元々、僕は夏が嫌いなのである。何も考える気がせず、自分が馬鹿になってしまったように思えるからだ。
   暑さは人問の思考を停止させる、という考えは、案外と本当かも知れない。こう書くと熱帯地方の人を馬鹿にしているようだが、そういう重大な間題は、とりあえず棚に上げておく。少なくとも僕に限っては、人生の重大事を考えたり、まとまったものを書いたりするのは、いつも冬なのである。こたつに足を突っ込んで、冷たい鼻の頭をさすりながら、ポコポコとワープロを打つシチュエーションは大好きだが、クーラ一で冷えた部屋の中では、一日中、ゴロゴロとダラけて終わってしまう。
   夏は小説の舞台にはなっても、僕の現実には不要なものだった。

   今年の夏は殆ど何処にも行かずに、暑い家の中で様々なことを悶々と考えていた。高校野球をポーッと見ながら、遥か昔に過ぎ去った、嫌な思い出はみんな消えてしまった、単に美しく昇華された十代の日々を思い出し、ひたすら自分の中の子供を確認する作業に終始していた。
   そんな煮え切らない暑い毎日の支えは、次々にリイシューされるフーのバックカタログだった。

   7月1日、82年ラスト・ツアーのライヴ・ビデオ『Rocks America』、7月20日、4枚組ポックスセットCD『Thirty Years Of Maximum R&B』、8月1日、3枚組ライブLD『Thirty Years Of Maximum R&B - Live』。そして、全作品21タイトルの再発。これだけの作品が、今年の夏に日の目を見たのである。
   フーの名を世界的に広めたウッドストックは69年の夏。映画で見られるド迫力のステージの向こうに映る空は、紛れもなく夏のものに違いない。けれど、僕はリアル・タイムで69年の夏を生きた訳ではない。ウッドストックの夏に自分を投影することは出来ないのだ。
   僕の中のフー、そしてピート・タウンゼントの風景は、いつも秋と冬だった。82年秋の解散ツアー。極私的なピートのソロ『White City』を買った85年のクリスマス・イヴ、『Rocks America』の輸入盤ビデオを苦労して手に入れた1週間後の寒い夕暮れ。再結成ライヴ・ビデオを見た89年の年末。本当は夏に買ったアルバムやビデオもいっばいあるのだけど、風景が思い出されるのは寒い時期のことばかりだ。何よりも、脳天気という言葉からは本質的に最も遠い所に位置するピートの歌詞は、いつも冬の陰った空の下で書かれたように、ずっと勝手に思い込んでいた。
   僕がアメリカン・ロックよりイギリスものに惹かれるのは、まだ一回も行ったことはないけれど、恐らく一年の大半がどんよりとした雲に閉ざされているイギリスの空に、僕の好きな秋や冬のイメージが容易に描けたからなのだろう。アメリカものでもイーグルスやジャクソン・ブラウンみたいな乾いたアコースティック・ギターの裏に陰影がちらつくものが好きなのだ。
   僕の中のロックは、いつも灰色だった。

keith.jpg (44048 バイト)    しかし、キース・ムーン存命時の全盛期ライヴを中心としたLD『Thirty Years Of Maximum R&B - Live』を見て気づいたのだが、ピートの書く灰色の詩の世界をグローヴァルに拡大したのは、キースの「夏」だ。基礎もヘッタクレもないキースの豪快ドラミングは、明らかにグレーではない。極めて内省的なピートの描く世界を、世間に叩き出す普遍言語としてパワー・アップさせたのは、人生いつもオン・ピートだったキースの生命力そのものとさえ形容できるあのドラムスだった。それは常に太陽が光り輝く「夏」の景色に違いない。
   時代順にフーの歩みを綴った映像を追っていくと、この史上最高のロックンロール・バンドが如何にキースで持っていたかがよく分かる。曲を書き、コンセプトを定め、バンドの方向性を決めるのはピートだが、キースの真夏の太陽の如く君臨する破天荒なドラムスがなければ、フーはただそこに「存在」するだけだ。キースこそがフーを有効なコミュニケーション手段として「機能」させた。
   対照的に、時が流れ、キースのいなくなった78年以降のフーには、バンドとしての一体感、観客とのコミュニケーション手段を喪失した姿が露呈され、単なる「ピート・タウンゼント&ヒズ・バンド」になっていることを感ぜずにはいられない。それは単なるドラマーの交代という枠では括れない躍動感の喪失であった。

   少し話は逸れるが、今年のロック十大ニュースのトップは恐らくカート・コバーンの自殺だろう。あの鬱病気味の社会不適応スーパースターは、世間が遠い昔に忘れていた「ロック的な美学」を思い出させてくれた。
   かつて、ロックとは社会からはみ出たチンピラの音楽で、燃え尽きることを必要以上に美化する青臭い、閉ざされた世界であった。けれど、イアン・カーティスというインディ村のカルト・ヒー口一を別にすれば、その美学はキース・ムーンの死を最後にして、フェイド・アウトしていったはずだった。
   キースがドラッグの多量摂取で死んだのは1978年9月8日。17歳でフーのドラマーに収まってから14年、放蕩と乱痴気騒ぎの果てに31才と2週間で命の炎を燃やし尽くしたキースに対して、それを慢性的自殺だと見る人も多い。ジョン・エントウィッスルによると、キースには強い「Death Wish(死への憧れ)」があり、バンドのメンバーが、余りにも無茶苦茶なキースの生活を心配して助言しても、彼は全く聞く耳を持たなかったらしい。まあ、自業自得といえばそれまでの話だ。

pete.jpg (75565 バイト)       フーの出世作にして代表作『My Generation』の有名な一節、『I hope I die before I get old』に関して、松村雄策氏はライナー・ノーツの中で、「キースは『じじいになる前に死んじまいたいぜ!』だったけど、ピートは『じじいにならずに生きていこう』だと思う。」と書いていた。「hope」を文字通りの「希望」として掲げ、とっとと死んでしまったキースは、ファンの間に一人歩きしたパブリック・イメージを具現化しようと、無意識の内に暴走機関車に乗っていたのかも知れない。一方、曲を書いた当の本人であるピートは、髪の毛が抜け落ちて、外見上は殆どの同年代ロッカーよりすっかりじじいになってしまった49歳の今も、「じじいにならずに」生きている。(嘘だと思うなら最新ソロ『サイコデリリクト』を聴いて欲しい。このアルバムでは、決して燃え尽きることのない少年性が語られているから。)
   年を取るということに対して徒らに背を向けるのではなく、自分が今見ている大嫌いな大人のようになるのなら、いっそのこと死んだ方がましだ、松村氏の言うようにピートの「hope」はそんな意味だったのだろう。

   キースとピート、全盛期には一卵性双生児とまで言われた二人の人生は、78年のあの日を境にまるで違ってしまったけど、真の生命力への賛美という点では実は同じスタートラインにある。キースの「hope」「Death Wish」は、カート・コバーンみたいな「嫌だ、嫌だ、死んでしまいたいよお。」ではなく、「無茶苦茶やって、人生楽しんで、くたびれる前にポコッと死ねたらなあ。」なのだから、決して単純な自殺願望なんかではなかった。
   じじいにならずに生きていこうとしたピート。死んじまっても、それまでに楽しむだけ人生を楽しんだらそれで良しとしたキース。2人とも、子供の心を忘れずに生を全うし、全うしようとしている。
   「優秀なロック・ソングというのは、俺の心の中の子供の部分に語りかけてくるんだ。」
   後年、ピートが譜ったこの言葉こそ、彼らの生きざまを表している。

   僕は、26曲も入ったファン落涙のビデオの中でも、どういう訳か、キースをフューチャーした『Bell Boy』ばっかり見ていた。この人は、本当に楽しそうに歌い、ドラムスを叩き、暴れ回る。その笑顔は、夏休みになったらやたらと元気になるどうしようもない単なるアホガキだ。太陽の下で暴れまわるのが好きで好きでたまらない脳天気の顔。
   横では、暗い知性的な顔をちらっと見せるピートがギターを弾いている。彼の描きだす冬の風景は、キースの夏とは好対象だ。フーとは、ピートとキースというある意味では全く違い、ある意味では同じ二つの個性が作りだした奇跡的に絶妙なコントラストの代名詞なのだ。
   芸術としては幾分奇妙なロックという表現形態の中で、フーは、最も不思議で、力強くて、情けなくて、そして美しい姿を見せてくれたバンドだった。夏だけでもなく、冬だけでもない、相反する二者が存在する危ういバランスと、それが一番高い所と根元で繋がった時の存在感こそが、フーを凡百のバンドから分け隔てていた。

   子供のクソッタレ感覚をべ一スにした、白痴的なまでに知性溢れるロック・バンド、フーを聴くようになってから13年、ひょっとしたら、本当にフーの魅力が分かったのは今年の夏だったのかも知れない。
   暑い暑い今年の夏が過ぎて、僕はまた、フーから、そしてロックから離れられなくなったようだ。

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