以下6人が"シャギー"としては四世代目のメンバー構成で、年齢合計は370歳にならんとしていますが、
できる限り経年から来るボケを防ぎ、経験を重ねた者達のみが語れる演奏をできるよう努力を続けることが全員の目標です。

梨安弘 Fiddle
生年月日:
学歴: 
音楽との接点:
  
1941年8月1日 神戸三宮で生まれる
神戸外大、関西学院大軽音楽部 卒
小学校3年生の時に親に強制的に
ヴァイオリン教室に入れられた
Flatt & Scruggsを演奏したい、学生時代に
やり残したことをやり遂げよう、
これがシャギー・マウンテン・ボーイズ結成
につながりました。
C&Wの音楽歴: 2回生の春、怪我のため運動部(空手部)を退部になりブラブラしかけてたところに無理やりウエスタンバンド(ケイパーズ・ワゴン)に引っ張り込まれたのがウンのつき、先輩の言うがままついていきましたが、関学の軽音楽部との出会いが大きな転機になりました。故あって梨個人は1963年8月から関学へ音楽留学することになるのですが、当時は大学の軽音楽部はかなり権威があり、音楽の基本からステージマナーまでの教育は運動部なみで関西六大学協定(関学,関大,同志社,立命館,甲南,近大)と言うのがあり関学軽音楽部部員になると外大では演奏活動は許されませんでした。ただ一度の例外は、1964年11月3日に神戸国際会館にて催された"兵庫県音楽祭"に軽音楽の部に県から神外大が指名されたときは関学の粋な計らいで外大生として出ることを許されました。そして1964年12月12日宝塚大劇場で開催された恒例の"四回生のフェアウェルコンサート"での「K.G.ナッシュビル・ヒル・トッパーズ」による演奏が梨個人はもとより関学軽音学部所属のブルーグラスバンドのラストステージを飾ることになったのです。
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山口徹 Dobro
(業界では通称 ドン山口)

生年月日: 1943年
学歴: 慶応義塾大
音楽歴:学生時代から"フリーダムファミリー"をはじめとしてプロ、アマ問わず色々なブルーグラスバンドで演奏していたが、特に東京では1950年代から米軍基地で仕事になることからC&Wのプロはこぞってブルーグラスをやりだしたのでアマチュアの優れた楽器ひきはプロ以上に重宝がられた。一大転機は1967年のFoggy Mountain Boysの来日公演でバック・グラビス(アンクル・ジョッシュ)のドブロの音色に魅せられ東京神田の楽器店に1台あったナショナルのドブロを購入 独学でチューニングと奏法をマスターし、アンクル・ジョッシュを弾かせれば右に出るものは居ないと言われて久しい。 関西に帰り渡辺兄弟の紹介で1978年からシャギーに参加、古参メンバーの一人としてバンドに欠かすことのできない存在感を占めている。



武内正文  Bass

生年月日:1944年 神戸生まれ
学歴: 関西学院大学
音楽歴:ウッドベースの音色に憧れ、1963年関西学院大学入学と同時に軽音楽部に入部。ハワイアンバンド「K.G.ナニ・マヒナ・ハワイアンズ」を振り出しにネイティブなハワイアンからスタンダードジャズまで先輩連からコード進行を徹底的に教え込まれたことが、4回生になりデキシーランドジャズバンド「K.G.クレセント・フェローズ」に移った時に猛練習に耐え大いに役立ち その甲斐あって「大学対抗バンド合戦」では関西地区の審査員推薦バンドに選ばれ全国大会(神田共立講堂)に出場し、審査委員長の小島正雄氏や司会の大橋巨泉氏から絶賛を受けた。

C&W歴:小学生の頃家の近くの「神戸外人クラブ」から連日聞こえてくる音楽をきいた時だ。当時はそれがC&Wのジャンルとは知らなかったが塀の隙間から見えた楽器は今にして思えばエレキギターやスチールギターだったに違いない、曲目などわかるはずも無かったが聞いていて自分自身すっかり乗せられてしまったことを思い出す。軽音楽部に入部後「K.G.ナッシュビル・ヒル・トッパーズ」の練習を聞いたり、弾かせてもらったりしているうちに「シャギー・マウンテン・ボーイズ」の一員になって早いもので40年もシャギーのベースを弾いている。モットーは「一曲毎に起承転結、ステージ毎に起承転結を」「最少の手数で最大の効果を」



渡辺敏雄  Flat Mandolin

生年月日: 1946年10月1日
学歴: 近畿大学
音楽歴:C&Wとの出会いは幼少のみぎり進歩的だった父親が買ってきた1948年制作の米映画の主題歌 ダイナ・ショアーが歌った「Buttons and Bows」のレコードを聴いたのが「Grand Ole Opry」に到達する呼び鈴だったのかも。中学生の時からアメリカ民謡研究会に参加、先輩連に可愛がられて高校時代にC&Wの世界に入っていった。レコードを集め楽器を弾き始めた1960年代半ばはブルーグラスが日本ではウエスタン音楽に取って代わってC&Wの主役の座に着こうとしていた時代で1970年には「ブルーグラス45」のベースマンとしてデビユーする。1983年にシャギーに参加してから今日まで、多数の楽器を弾くマルチプレイヤーとしての評価もさることながら、大学卒業後サラリーマンを1年でやめ渡米しBOMサービスを設立し日米でのC&Wファン・サービスのオーガナイザーとしてのC&W界への貢献度は勲章ものです。


宮本 有(タモツ) Banjo

生年月日: 1952年5月23日
学歴: 関西学院大学
音楽歴:
小学校6年:親戚の叔父さんに感化され、プラモデルを買うための貯金でウクレレを買って自己流で練習。楽器の世界への第一歩を記す。
中学生時代: 中1でギターを買いフォーク・ギター教則本で猛練習、中3の文化祭でピーター・ポール&マリー(PPM)男2女1の3名でついにバンドデビユー。
高校時代: 同級生の男4人で日本語フォークのバンドを組み学園祭等に出演していましたがそのルーツはアメリカン・フォーク、ボブ・ディランから始まってカーターファミリーを経てPPMよりもドク・ワトソンにほれ込んでいました。その一方では日本語フォークの一人弾き語りでMBSヤング・タウンに何回か出演しました。
大学時代: 関西学院に入学してアメリカ民謡同好会に入り先輩とドク・ワトソン風のバンドをしていましたが、同学年の友人達とブルーグラス・バンドの話になり1回生の夏からバンジョーを始めましたが、本格的にのめり込むきっかけになったのは、その年の暮れに2枚組LPとして新訂で発売されたマーキュリー時代の "Flatt & Scruggs with Foggy Mountain Boys"を聴いた時です。その後は大勢の人々の出会いからブルーグラスに関しての経験をつんできました。学生時代からの「Blue Grass Nuts」、「The Sensation」を経て2004年6月、 20年来の親交があった「The Shaggy Mountain Boys」のメンバーとして参加する。

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筒見一夫 Vocal & Guitar


生年月日: 1946年
学歴: 神戸外国語大学(神外大)
音学歴:大学受験の勉強中にRocky Mountain Boysの演奏を聴きブルーグラスの虜になり、神外大一本に絞って受験勉強の傍らバンジョーを購入し練習する。1965年無事パスして入学式当日はバンジョー持参で出席後すぐに軽音楽部の部室に行き入部、Rocky Mountain Boysでレギュラーになるまでの修行中、たまにShaggy Mountain Boysに練習生兼助っ人を務める。1969年大学卒業するとシャギーのバンジョーとして1972年まで活躍するがハイテナーシンギングを買われてヴォーカル&ギターに転向現在に至る。Grand Ole Opryで喝采を受けたその後1993年一身上の都合によりShaggy Mountain Boysを離れるが50周年記念ライブにオリジナルメンバーとして22年ぶりに里帰りを果たす。


野田純弥 Bass
(通称:ジュニア)
生年月日: 1965年
音学歴: 幼少の頃から音楽、特に弦楽器に興味を持つ。中学進学を機にフォークギターを持ち、ニューミュージックからフォークへとそのルーツを探っていくうちにブルーグラス音楽に出会う。聴く経験と鍛錬により「勘とノリ」を得とく。ブルーグラス界に入ってからは「ジュニア」の名で知られ、2003年からシャギーマウンテンボーイズの控えベースマンとして経験を重ねて、最年少メンバーとして現在に至っています。