河越夜戦
<第四幕:謀>
福島勝広の河越入城が果たされたことを氏康は小田原城の自室で聞いていた。
「やりおったか。流石………と言いたいが肝が冷えたわ」
苦笑しながらも筆を走らせる氏康。
書き終え、筆を置いた氏康は少々顔をしかめた。
「義元め………こっちの足下を見おって」
そう氏康は呟いた。
今回の今川との和睦は一応の成功を見た。
しかし、少々見積もりが甘かったと考えざるを得ない。
駿河国、駿東郡の地方をそっくりそのまま譲渡することになったのである。
とはいえ、今はそれどころではない。
氏康の顔が真剣なものになり、勝広の報告をもってきた男を向いた。
自然、男の顔も真剣なものになる。
「ふむ。ではそろそろ始めよう………小太郎」
「御意」
男の即答に氏康は続ける。
「包囲軍の様子、逐一報告せよ。書簡が届いた後の様子など何でも良い、細かくな」
「はっ。では直ちに」
一つ小さく頷くと男は闇に消えていった。
風魔小太郎(ふうま こたろう)
北条五代、百年の歴史を影より支えた風魔忍軍頭目。
本家北条家よりも知名度は高いのではないだろうか。
名前のみは有名であるが、詳細は一切不明。
一説には『2メートルを越す巨躯の持ち主で、その顔は牙が逆さまに向け………』
などと、最早人間ではないように書かれたりもしている。
「殿!!」
襖の向こうから松田憲秀の声が響いた。
松田憲秀(まつだ のりひで)
北条家の最重臣の一人。
後の小田原衆所領役帳では小田原衆筆頭となっている。
その発言力は強く、俗に言う『小田原評定』を起こすきっかけとなった人物。
だから無能かと言えばとそういうわけではない。
むしろ有能であったが故に重宝がられ、強い発言力をもってしまった。
と考えるのが妥当な線であろう。
「憲秀か。入れ」
「はっ。失礼致しまする」
襖を閉じ、一礼の後憲秀は口を開いた。
「河越救援の準備、万端整ってございます」
「よし、憲秀、その方は叔父上と共に小田原の留守を頼む」
「は、承りました」
「出立は明朝。今宵は兵に酒を振る舞い存分にねぎろうてやれ」
「ははっ!」
酒宴が催された。
と言っても出陣前なのでそれほど派手なものではない。
せいぜい景気づけ程度のものである。
その間に氏康は叔父、北条幻庵の元を訊ねた。
「夜分失礼、氏康でござる」
「おお、氏康殿、いかがされた?」
「こたびの戦の後のことについて二、三、お話ししたき儀がございます」
穏やかだった幻庵の顔が引き締まる。
普段は見せぬ戦国武将の顔であった。
北条幻庵(ほうじょう げんあん)
長綱(ながつな)。法名を宗哲という。
伊勢宗瑞(北条早雲)の末子で、氏康の叔父にあたる。
若くして京に修行に出され、俗体のまま箱根権現別当になった。
北条領内に宗教的な諍いが起きないのはひとえに幻庵の存在のおかげとも言える。
幻庵は武芸にも秀でており、弓、馬術は北条家中でも一、二を争うほどの実力。
更に和歌、尺八、一面鼓等々、多芸多才。まさに文武両道の名将であった。
現在は一線を退き、ご隠居として若い世代を見守っている。
「して、お話とは?」
幻庵が話を切り出す。
目線を落としたまま氏康は口を開いた。
「此度の一戦、必勝を期して向かいまする」
一度区切り、目線を幻庵に向けて続ける。
「が、万が一ということも考えなければなりませぬ」
これは、総大将として表に出してはならぬ部分である。
配下に弱気を悟られては信頼関係がたちまちに瓦解してしまうからだ。
だが、幻庵であればそのような気遣いは無用。
氏康は今後の万が一を話しにやってきていたのだ。
「うむ。ご安心召されよ氏康殿。若君を我らで盛り立てて見せよう」
「新九郎がこと、よしなにお頼みします」
この時、既に氏康には五人の子供がいた。
嫡男、新九郎(この後、元服を待たず死去している)
次男、乙千代丸(北条氏政)
三男、藤菊丸(北条氏照)
四男、乙千代(北条氏邦)
五男、助五郎(北条氏規)
下手をすれば一族の中で家督相続の跡目争いが起きるかも知れない。
氏康は嫡男新九郎に家督を継がせることを幻庵に頼み、跡目についての憂いを断った。
一つ、安心することが出来て氏康の表情が明るくなる。
更にその他のことについて氏康は話し始めた。
・氏康が戦死した際の戦略
・家臣の知行地割り当て
・税制改革
現状北条領で問題視されている主な事柄を幻庵に話し、一応の案をも提案。
「承知した。微力ながら尽力致す」
幻庵は深く、静かに頷いて氏康を安心させた。
だが幻庵は正直驚愕していた。
此処まで先のことを見据えて動いていようとは………と。
氏康の帰宅後、縁側に出て静かに座し、白湯をすすりつつ月夜を見上げて一人呟いた。
「兄上の見る目は流石に確かじゃ」
北条氏綱(ほうじょう うじつな)
相模小田原北条氏第二代当主。伊勢宗瑞(北条早雲)の嫡男。
父や息子に劣らぬ文武両道の名将。
二代目として着実な両国経営を行い、氏康に引き継いだ。
里見家の手によって焼失した鶴岡八幡宮の再建、第一次国府台合戦の勝利などで有名。
北条の名前を使い始めたのも、氏綱である。
幻庵の兄、氏綱はその名を知られた英雄である。
相模、伊豆から武蔵にまでその勢力を拡大、北条家躍進の礎を築いた。
氏綱は人材登用にもその才能を遺憾なく発揮した。
福島(北条)綱成、太田資高、宇野藤衛門、等々
次代の北条家を支えた有能な武将の殆どは氏綱の登用による。
氏綱の人柄と、人を見る目の確かさが北条家の繁栄を支えている。
その氏綱が「氏康は自分を越える将となる」と言っていたのである。
偉大な兄、氏綱を改めて尊敬する幻庵であった。
明朝。
氏康率いる八千の軍勢が小田原を発した。
相手は連合軍八万。
数の上では圧倒的に不利である。
いや、不利有利といった問題どころではない。
参陣した諸将の顔も、いつになく暗い。
だが、彼らは氏康を信じていた。
氏康の初陣、小沢原。
その後の国府台、河越城攻略戦等々。
皆、氏康の力量を知っている。
故に、何の策もなく氏康が出陣するとは思っていない。
万に一つの勝機を信じ、また、北条家に対する忠誠の元、彼らは集まった。
集まった将兵に氏康は言う。
「此度は、北条家存亡を懸けた一戦である。かような大事に集ってくれたこと、氏康心より感謝する」
氏康は本心からの思いをそのまま口にした。
「これよりは必勝の策をもって挑む故、諸将においてはどうかこの氏康を信じ、戦って貰いたい」
この言葉に答える諸将と将兵達は、喚声をあげて答えた。
「出陣!」
出陣の太鼓が鳴らされ、北条軍は小田原を出発した。
行軍数日。一行は連合軍の陣、手前一里の所に着陣。
対陣する連合軍の向こうには川越城が見える。
北条軍は陣を敷きつつも、攻撃を仕掛けることは無かった。
にらみ合いを続けて数日。
山内上杉憲政はしびれをきらし氏康に攻撃を開始。
「これだけの数の差があるのじゃ。一捻りに潰してしまえい!」
連合軍の動きに対し、北条軍も応戦。
しかし、敵わぬとみたか、早々に撤退の法螺が響く。
「見よ、北条軍が逃げていく。せっかく援軍に来ても指をくわえて見ている他は無いのじゃろう」
連合軍本陣で山内上杉憲政が高笑いで撤退する北条軍を眺めていた。
この後も、連合軍は北条軍に度々攻撃を加えた。
しかし、北条方は初戦と同様に早々と退く。
丁度かたつむりのそれと同じように、つつけば引っ込むような戦いである。
臆病風に吹かれたか、と連合軍は北条軍を嘲笑う。
それでも、北条軍は出陣前の氏康の言葉を信じ、ただただ命令に従い逃げるのであった。
この小競り合いの間、氏康はただ逃げていたわけではない。
古河公方足利晴氏、山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、他にも参陣している諸将に使いを放っていた。
内容は、ずばり和睦交渉である。
連日の北条軍の及び腰な戦闘を目の当たりにし、またこうして和睦交渉を持ちかける氏康。
連合軍諸将はすでに北条軍を侮る空気に支配されていた。
それでも和睦の使者は続き、ついには領地の譲渡まで約束すると伝えた。
この使者と会った古河公方足利晴氏は
「明日になれば実力で攻め落とす。そのまま小田原も攻め落としてくれる」
と早々に使者を追い払う。
晴氏からこれらの報告を受けた憲政ら笑って言った。
「小田原勢など恐れるに足らぬな」
北条を完全に見下し、侮った状態となっている。
そして、この状況は風魔衆によって氏康の元に逐一報告されていた。
そう、彼らは既に氏康の掌の上で踊らされていたのである。
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