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【 写真とは無関係の事も書いた随筆コーナーです 】

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北海道、厳寒の旅を終えて】      (201464日記載)
         (長文になってしまい済みません。読みやすいように出来るだけ箇条書きにしました)
 2014212日から二週間、北海道へ一人2WDのミニバン(ホンダ フリードスパイク)で行ってきた。なぜ北海道なのか。それは長年、鳥を撮影しているうちに一度でいいから北海道で丹頂鶴(以下タンチョウと記す)やオオワシを撮影してみたいとの強い憧れを持つようになったからだった。

1.そんな寒い時に行かなくても

  ではなぜ真冬なのか?。その理由には二つあった。
 一つは2月中旬からはタンチョウの繁殖期に入り鳴き交わしや求愛ダンスが観られるから。
 二つ目は流氷とともにハバロフスクやサハリンからやってくるオオワシやオジロワシやオオハクチョウなどのトビモノ(飛翔シーン)を間近で撮影できるのも厳冬期に限られるからだ。 さらにもう一つ、厳寒気にしか見られない美しい冬風景や、空気中の水蒸気が凍る霧氷やサンピラーなどの珍しい気象現象も魅力的で撮影してみたかったからである。

普通の観光で行くのなら、快適な時期にきれいな花や景色を見に行けばよいだろう。快適な乗り物で豪華な宿で、暖かい温泉に入っておいしいご馳走を食べれば「あぁ良かった。寿命が延びたようだ」となるのだが、残念ながら真逆の「辛くてしんどい旅」になる事を覚悟しなければならなかった。

この覚悟を決めるに当たり私は「自分版のお遍路さん」であると決心した。

さもありなん。①初めて ②一人で ③真冬に ④北海道へ ⑤車で ⑥長期間・・・・考えただけでも暑がりで寒がりの自分には正に「修行」だった。くじけずに実行できるよう「自分版お遍路さん」と位置付けて2年間にわたって周到な準備をしてきた。

思えば六十数年間生きてきた内に、いっぱい人や社会に迷惑をかけたり困らせたりしてきた。それが今回の旅の「不安、寂しい、寒い、不便、辛い」思いをすることで、少しでも罪滅ぼしができるんだと勝手にこじつけて考える事にした訳なのだ。  

2.どんな準備をしたのか?
  寒さ対策(人間・車・カメラ)や、撮影ポイントの調査等の準備は事前に2年間というたっぷりな時間をかけて納得いくまでやることができた。

まず交通手段については、撮影機材の多さを考えればやはり車になってしまう。車にすることでさらにまた必要な装備が発生してしまい、出発から帰宅まで車はぎっしり荷物に埋もれる状態だった。

友人に「荷物は宅配便で宿に送って、飛行機とレンタカーを使う方がいい」と言われた。しかし、100kg近い撮影の精密機器を何口にも分けて梱包・発送する手間や運搬中の損傷の心配を考えると、やっぱり自宅出発時からの車の旅(フェリーは利用するが)を選んだのだった。

ではどんな準備をしたのかを話そう。

(1) まずは身体の防寒具だ

600FP以上(FP【フィルパワー】は羽毛のかさ高性を表す単位で防寒性能の指標)のダウンジャケットとダウンのズボンは日本製で生地自体に通気性があり且つ、撥水性があるものを探した。「ナンガ」と言うメーカーにたどりついた。高価だったが極寒の外気から自分の身を守る必須のアイテムなので迷わず購入した。

②インナー用のダウンジャケットも購入。極寒時にアウターの下に二重に着用したり、室内や車内で着るためだ。

③防寒靴は重要なアイテムであり、北極などで使用実績があり定評あるものを探した。これとは別に普通の防寒長靴と普段から使用中のゴアテックスのスニーカーも持参した。また、軽アイゼンはツルツルに凍てついた雪氷の道路を歩くのにとても役に立った。

④寝袋は非常時に車で寝る必要が発生した時のために、持っていたマイナス30℃対応の冬山用をそのまま持参することにした。あくまでも動けなくなった場合の緊急非常用である。

⑤使い捨てカイロはカメラ等機材の保温にも使えるので80個ほど持参した。鉄粉の塊なので重たかった。

⑥手袋は薄手から厚手まで全部で8種類を持参。充電式電池で強制的に温める手袋と靴下を購入した。日本製でヒーター部がカーボンファイバーなのでゴワつかず自然な装着感で良かった。

⑦フリース帽、目出し帽、ネックウォーマー、レッグウォーマー等の小物防寒具類。

(2) 自動車の対策(今使っている車を少しでも寒冷地仕様に近づける)

①スタッドレスタイヤは現在最高のブランドを使用中なので、このままこれを使う。

②スタッドレスタイヤの上から装着する樹脂製のタイヤチェーン(カーメイトのクイックイージー)を購入。(事前の試験装着でジャッキアップ不要、非常に簡単に付け外しが出来た事に感激した)

③雪道スタックからの脱出用に「スノーヘルパー」をネットで購入。実は北海道の観光協会さんとのメールのやり取りで教えてもらうまで、温暖地に住む私はこの品物の名前も存在も知らなかった。

④マイナス60℃対応のウインドウォッシャ液、霜取りスプレー、雪かきスコップ、スノーブラシ、ゴム製床マット、ガソリン携行缶等を購入。

⑤滑り止めにホームセンターで15Kg入りの「砂」を1袋購入し、さらに古毛布も準備した。

⑥バッテリーは直前の車検時に新品に更新した。(ディーラーはまだOKと言っていたが訳を説明して取り替えてもらった)

⑦バッテリー直結ケーブルや牽引用ロープとフックボルトの点検。

⑧ネット動画などで冬道ドライブのテクニックや注意点をいろんなサイトで何度もチェックした。

⑨数十年振りにJAFに入会し、アクシデントへの対応策とした。

(3) カメラも寒過ぎるとゴネル

①予備電池。一眼レフカメラ3台とコンデジカメラ分の電池は予備を含めて7個、ほかに超望遠用照準器やスマホ等があり充電器を加えれば結構な荷物になった。

②レンズ曇り止め用ヒーター。これはネットで紹介しているのを見て自作したもの。

③カメラの結露防止用グッズ。今回これには非常に気を使った。時間をかけてネットで調査研究したが、心配すればきりがない事が解り、発泡スチロール製の大箱、押し入れ用湿気取り剤、ぷちぷちビニールシートや衣料用圧縮袋等の類にとどめた。

④カメラ用レインジャケットの大型サイズを購入。少しぐらいの雨や雪ならレンズとカメラと自分の上半身がすっぽりと入る透明ビニール製で濡れずに済み、低温でも硬くなりにくい材質のもの。さすがに500mmF4.5という片手では持てない大型レンズは無理だが、100400mmズーム程度のレンズなら、風雪の中でも手持ちでこのレインジャケットで十分使える。

(4) 撮影ポイントの調査

①撮影地。これについてはタンチョウの三大給餌場は勿論のこと、風景、SL等の絶好ポイントをネットで詳細に調べた。こんな時インターネットは実に有り難い。SLが黒煙を吐き出す急な上り坂のポイントまで掌握できてしまうのだ。

②自然ガイドをどうするか。どこと何日分契約するか最後まで迷ったが、結局は宿に到着してから宿が紹介してくれるところと天候等を勘案して決める事にした。

(5) その他に準備したこと

①スマホを購入。今までのガラケーはGPS機能が無く、現在地の地図表示や通信相手にもこちらの位置情報を知らせる機能が無かったため半年ほど前に購入した。

②旅行保険。この旅行のためだけに契約した。死亡、傷害とカメラ機材の損害にも対応する内容でオーダーした。

③非常食料と水。道路が暴風雪で通行不能となった場合を想定し2~3日分程を持参。

④カセットガスコンロ。上記と同じ理由で熱いお茶や食べ物で身体と車内を温める。(スプレー式の消火器とセットで持参)

⑤両眼の視力の差が大きくて遠近感が損なわれている。直接撮影の障害になっている訳ではないが、気になるので知合いの眼科で計測してもらって、明瞭さより遠近感優先のメガネを新しく作った。

⑥他にもあれば便利と思える小物や、細かい点を工夫した自作・改造品などのあれこれを準備した。

気がつけば旅行全体の予算は50万を超えていた。通常のツァーならヨーロッパが10日以上豪華に楽しめる金額帯だと思う。だが快適を楽しんだり旨い物を食いたい訳でもない。私の撮影一人旅はいつの時も宿の食事以外はコンビニやスーパーのパンかおにぎりだ。(あっ、今回は一度だけ釧路最後の日の昼めしに1300円で名物の勝手丼(海鮮丼)を食べたか。あっ、苫小牧でも回転寿司屋に・・・。うわーっ、贅沢し過ぎてしまったぁー。)

3.これだけの準備をしたのに、あぁ・・・・

何カ月も前からじっくりとこれだけの準備をして臨んだ旅行だったが、果たして結果はどうだったか。笑いながら読んでほしい。

①使い捨てカイロは全旅行中に数個使っただけで、持参したほぼ全量を持ち帰った。何故か?身体に貼るのが一人ではやりにくくて面倒なのと、暖房が利いている室内や車内に入った時に熱くて不快になるからだ。またカメラの防寒用に貼ったが、全く冷たいままで電池を温めるには役立たなかった。やはり人肌に接触していてこそ発熱が維持されるようで、ネットで調べた通りだった。

②手袋は全部で8種類も持って行ったが、思ってはいたものの分厚いものは細かい操作がしにくいし、お気に入りだったニコンの指先が3本づつ露出できるカメラマン手袋は、車に積んだはずなのに探し回っても最後まで出てこなかった。結局のところ、百均ショップで購入したものが滞在中は毎日大活躍だった。帰宅後にもニコンの手袋は見つからずに無くしたと諦めていたが、数日後に舞鶴へ出張したホテルで黒い布バッグの底から見つかった。手袋も黒色だったため薄暗いところでは判らなかったようだ。

③目出し帽とネックウォーマーは、一番必要とする暴風雪の日に宿に置き忘れてしまったため、襟元の隙間から冷風が胸や腹まで入り込んできて、本当に寒修行のようだった。

④カメラの結露防止用具は、宿に暖房していない部屋を一室借りられたので、毎日帰ればメモリと電池を抜いてこの部屋に置けたため使わずに済んだ。暖房のきいた車内に持ち込む時用に衣料圧縮袋や発泡スチロール箱も準備はしていたが、初日に自然ガイドさんの車に積むのを忘れ、やってみれば無くても大丈夫な事が解ってそのまま一度も使わずじまいとなった。

⑤レンズの曇り止めヒーターはニクロム線の発熱温度が低過ぎるのと、外気の湿度が低いのとで取付けなくてもレンズ表面は曇らない事が判明。(但し息をかければ一瞬でアウトだが)

⑥遠近感優先で作ったメガネは自宅に置き忘れてしまった。気がついたのはフェリーの中。

 結局、あれこれ心配して準備はするが、間が抜けて忘れたり使わなかったりするのだ。

自分の性格はこうなのだと自分で自分を笑ってしまった。若い時からイベントのある前夜は目覚ましをかけて寝るがベルが鳴る前に目が覚めた。転ばぬ先の杖をつきながら、石橋を叩いて渡るタイプの臆病な人間なのだ。(今回はその杖さえ忘れてしまう有様だったが)

まぁ保険を使わずに済んだ事と同じで、必要な無駄だったのだと自分を納得させた。 

4.真冬のフェリーは幽霊船

準備編に紙面を割き過ぎてしまったが旅の本文に入っていこう。

はじめに述べたように初めてづくしの旅なので、北海道行きフェリーに乗るのももちろん初めてだった。夏場は満員になるらしいがこんな真冬のこと、果たして何台の車が乗り込むのかと興味津々だった。フェリー乗り場は舞鶴ではなく敦賀だった。新日本海フェリーは客の多い夏場は舞鶴から毎日出航しているが、冬場は船のドック入りの関係で敦賀が毎日出航となっているそうだ。自宅から敦賀までは初日の緊張からか遠く感じられた。自宅を出発したのが1200ちょうど。敦賀のフェリー乗り場に着いたのは1540で異常なほど早い到着でびっくりした。飛ばした訳ではない、それだけ道路が空いていたのだ。フェリーの出航時刻は深夜0100なので時間をつぶすのに困った。

2315に乗船開始。乗り込んだ車は全部で20台ほど。しかもそのほとんどはトラックで乗用車等旅行目的と思われる車はほんの2~3台だった。17,382トンのフェリーの積載能力はトラック158台、乗用車58台、旅客定員:613名なので勿体ないというかこれで利益はあるのかと感じるほどのガラガラだった。船は造られてからまだ2年ほどで、どこを見ても一流ホテル並みのピカピカで美しかった。冬の日本海は荒れると大揺れになると覚悟していたが、行き帰りとも波は穏やかで快適な航海だった。船で特筆することは最高速度が30.12ノットということだ。1万7千トン、全長225mのでっかい船が揺れや振動も無く静かに60km近い速度で海上を進むのだ。かつてイージス艦「みょうこう」に1日乗せてもらった事があるが、この海上自衛隊を代表する最強の「みょうこう」と同レベルである。敦賀‐苫小牧間を19時間で就航しており、これはフェリーとしては驚異的な速さであり他のフェリー会社の船とは一線を画するものだ。何故ここまで速くする必要があるのか、私が調べたところでは、どうやら北海道の「生鮮品」を「夜に出発して次の夜に着く」そして「トラックで市場のセリに間に合う」という需要が根強くあるかららしい。

フェリーの自室を出てトイレに行っても、食堂や自販機コーナーへ行ってもガランとした大きな空間にだれもいなかった。食事の準備が出来たとのアナウンス後に食堂に行っても、食べている客は毎回私一人しかいないのだ。食堂の接客スタッフだけは数人いるが、他の客はどこにいて何を食べているのだろうか、船は静かに安定して走っているが本当に人間が操縦しているのだろうかと思えた。まるで幽霊船に乗っているかのようであり、最初は薄気味悪くさえ感じてしまったものである。

ただ風呂へ入った時にサウナ室のドアを開けたらいきなり先客がいて、これはこれで逆にびっくりした。向こうさんも同様だったと思う。それぐらい真冬のフェリーは過疎状態だった。  

5.北海道の広さを実感

(1) スピードが出てしまうはず

苫小牧でフェリーを降りてすぐ予約していた東横インに向かった。ビジネスホテルはほんとに便利だ、連絡さえしておけば2200ごろでもチェックイン出来る。今回は予定外も含めて東横インに6泊したが、時間は限定だが朝夕の食事が無料で付く、外へ出かける面倒がなくて嬉しいサービスだった。船旅の疲れもありこの夜はぐっすり眠れると思いきや、1~2時間ごとに目が覚めてよく眠れなかった。これは若い時から自分にはよくあることで、睡眠不足が続けば扁桃腺が腫れて熱が出てしまうのだ。

翌朝の2月14830に東横イン苫小牧を出発。釧路湿原を目指して約350kmの大移動だ。

北海道の高速道路は冬でも快適だった。除雪は完全になされ片道1車線のところでも道幅は十分広く、車の姿は前後ともに長時間見かけない時がしょっちゅうだった。北海道のドライバーはスピードを出し過ぎるとよく聞くが、これでは無理も無いなぁとうなずけた。このまま何の支障も無く北海道じゅうをどこへでも行けそうに感じられた。夕方宿に到着して駐車場の手前数十メートルの「急な坂道+カーブ」でスリップして往生するまでは。

(2) ほんとに北海道は広い

苫小牧東港で帰りのフェリーに乗る前のこと、夕食に寿司を食べたくなりスマホで回転寿司を検索しその電話番号を車のナビに打ち込んで走らせた。何と目的の店まで30kmもあった、他のメニューに変えても同じで繁華街自体がそこまで行かなければ無いのだ。港の場所が倉庫街や工場街なので仕方ないだろうが、飯を食いに行くにも走り応えがあり過ぎると思った。

ナビを読み取る距離感覚も内地とは違った。市街地から離れた原野であっても長く直線の道路が何本もあるためナビの地図を拡大して(実際より縮尺の段階を大きくして)見ているような錯覚に陥るのだ。内地では広範囲の地図を表示させれば、道路はほとんどカーブしている線が表示されてくる。拡大(詳細)表示に切り替えてこそ道路が直線で描かれるようになる。もちろん縮尺表示を見れば距離感の目安は立つのだが、その辺りの経験的な感覚の事情が桁外れに違っているので最初は戸惑ってしまった。  

6.来たっ!恐れていた爆弾低気圧だ

(1) 敵は雪よりも低温なのだが

道東は北海道のうちでも積雪は非常に少ない方だ。釧路から根室、羅臼にかけて地形的にも標高の高い山はなく、ほとんどの雪は道央の高い山脈が受け止めてくれているのだ。天気も道東の冬は晴れの日がとても多い、ネットで過去の晴雨表を調べれば一目瞭然だが、2月と3月で晴れた日は50日程ある年が多い。自分の住んでいる兵庫県でも冬は北部と南部では天候は全く違うのと似ている。

ただ、積雪こそ少ないが寒さだけはものすごい。もっと正確に言えば一日の最高気温と最低気温の差が大きいのだ。晴れた日の早朝と午後3時頃の気温差は20℃以上あり、かつ最高気温が零下である日も珍しくない。よく旭川が北海道で最も寒いと言われるが、釧路や羅臼の方が一日の最低気温が旭川より低く、逆に最高気温は高い日が多い。結局、昼と夜の落差が大きい分よけい体感気温としては寒い訳だ。これは二回の冬にわたって、テレビのDボタンやネットの気象情報で道内各地をしょっちゅう見比べてわかったことだ。「敵は雪よりも低温なのだ」と思った。  

しかし、日本列島の太平洋側を発達しながら通過していく、「爆弾低気圧」だけは気を付けねばならない。猛烈な降雪量と強風を伴う。普通に無風状態で単に気温が低いだけではないので、昨年(2013年)の三月には道東各地で相次いで死者が出たのだ。

あるネット記事を転載すると、

『急速に発達した低気圧の影響で、北海道内は2日から3日にかけて道東を中心に暴風雪に見舞われた。立ち往生する車が続出し、中標津(なかしべつ)町では母子4人が車内で一酸化炭素中毒となり死亡。湧別(ゆうべつ)町では、車外に脱出した父子2人のうち、父親が凍死するなど、暴風雪による死者は道内で計8人に上った。

札幌管区気象台によると、3日午前1時18分、道東の羅臼町で最大瞬間風速35メートルを観測。降り積もった雪が強風で舞い上がり、視界を遮るとともに、多くの車が雪の吹きだまりに埋もれ、動けなくなった。

道警の発表によると、暴風雪による死者は、3日午後10時現在、網走市、富良野市、中標津町、湧別町の4市町の男女8人(1176歳)。うち7人は乗っていた車が立ち往生し、3人は車外に出た後、猛吹雪で身動きがとれなくなって凍死したとみられる。・・・・・・』とあった。(死亡者数は34日付の報道で最終的には9人となっていた)

ヘリからの写真も載っており、2~4mの積雪の中で被災者の車がほとんど埋もれた状態で周りを消防・警察関係の車両や人が写っていた。

他の多くの記事では町道と道道の道路管理上の連携の在り方などが問題視されていた。

この事があったので怖がりの私は始めに述べたような準備をしたのだった。

(2) 天気に恵まれなかったからこそ撮れた写真

215日は宿を通じて契約した自然ガイドの橋口氏と会い、宿で天候やコースの打合せをした。橋口氏は私より7歳ほど若く小柄だが釧路湿原ガイドのベテランだった。

今日は初日なので一ヶ所に長くは留まらず、ポイントの全箇所を一通りサッと巡る事でお願いした。

まず雪裡川のタンチョウの塒(ねぐら)を音羽橋から撮影。昼前には移動して伊東サンクチュアリで塒からこの給餌場へやってくるタンチョウの飛翔姿を撮影。夕暮れを背景に撮影できる菊池牧場の場所だけ教えてもらってから国際ツルセンターへ、ここでは毎日1400に魚のウグイを給餌する。この餌を狙ってオジロワシなどがやってくる撮影の人気スポットだ。到着時間が1315とあまりにも遅く、柵越しに撮影できる場所は人の肩越ししかなく長い望遠レンズを左右にパーンできない状態だった。

名前に国際と付いているだけあってアメリカ、ヨーロッパ、中国と外国人が日本人以上に多かったのに驚いた。次回は早めに来て良い場所を確保することにして1500には撤収した。

湿原道路を走りながら気に入った風景のあるたび停車して撮影する。その後細岡展望台へとガイドしてもらった後に宿へ帰った。

このように撮影初日は天気も良く順調にスタートを切ったのである。しかしカーラジオからは頻繁に明日からは天候が一変し猛吹雪になると警告を何度も繰り返していた。橋口氏に明日は撮影は無理だろうから宿で寝て過ごすことを伝えた。本当にこの夜からは猛烈に吹雪いた。

翌日の216日も夕方近くまで間断なく暴風雪が続き、宿の前に駐車している車がかぶった雪の布団の厚みが見るたびごとに分厚く形を変えていった。

そして、この日(216日)の1800には一旦「大雪警報」が解除されたのである。しめたとばかりに私はすぐ橋口ガイドに電話して翌朝900に宿まで来てくれるよう頼んだのであった。

後で判明した事だが、一旦解除されたのはほんの数時間だけで、改めて「暴風雪警報」が発令されていたらしいのであるが、橋口ガイドもその情報を把握していなかった。

実際、翌朝217日は風は強いものの昨夕から雪は降っておらず、青空さえ少し見受けられこのまますぐに好天へと回復していくと思ったのだ。が、これが誤算の始まりだった。

音羽橋で30分ほど塒のタンチョウを撮影した。いきなりタンチョウの大群飛翔のシーンが撮れた。昨日からの荒天で給餌場へ行けずギリギリまで空腹を我慢していたが限界が来て、ほとんどのタンチョウが一斉に餌場へと飛び立つ瞬間に居合わせたわけだ。迫力あるシーンが撮れたのも荒れた天候のお陰だった。

(3) 襟元、袖口から冷風が胸や脇腹へ

その後すぐ国際ツルセンターへ1時間かけて移動。早めに着いたはずだが、この日も既にカメラマンが溢れかえっており良い場所を獲得できなかった。1400からウグイの給餌でタンチョウとオジロワシのバトルを二丁連銃(私製手作りの300+500ミリレンズ同時連写雲台)で撮影したくて調整に時間をかけて準備はしたものの、昼頃から風雪が次第に強くなりかなり深いレンズフードがあるのだがレンズの前面に雪が付着し拭き取るのに大変だった。

また初めにも書いたようにこの日、ネックウォーマーや目出し帽を宿に忘れてきたため、襟元や袖口から冷風が脇や胸・腹まで入り込んできて「寒修行」の思いをしたのだった。さすがにガイドの橋口氏さえも「今日はもう中止にしませんか」と言い始めた。私は「きついけどウグイの給餌までは居たい」と頑張った。しかし、1300頃には猛烈な地吹雪が断続的に吹き荒れ、レンズに掛けているレインカバーが引きちぎれんばかりにバタつく様になり、ついに撮影を断念した。

宿には1530という早い時刻に帰って来た。後でカメラのメモリーからPCHDDに撮影データを移動する作業時に確認できたのは、地吹雪をジッとこらえてやり過ごす白鳥の姿や、強風に翻弄されるタンチョウが写せており、こんな天候であるからこそ得られた貴重な記録・作品だと思った。

宿に帰った2時間半後にスマホに緊急速報メールで「標茶町に引き続き暴風雪警報発令中、不要な外出を控えて下さい。只今○○に避難所を準備中・・・・」と受信した。そうとは知らずにノコノコとよくも出かけたものだ。宿への帰り道は猛烈な地吹雪の中を橋口ガイドが運転してくれる車で走ってきたが、何度も視界全部が一瞬真っ白になり道路が判らなくなった。

この旅では「地吹雪」と「吹き溜り」の怖さがよく解った。冬山の吹雪も怖いが平地の道路上でも吹き溜りに車が嵌まってしまい脱出不能になると、近くに民家のない場所だらけの北海道では標高に関係なくたちまち遭難状態になる。

もしも私一人だったら恐らく吹きだまりに嵌まっていただろう、今から思えば背筋がぞっとする。

(4) 悪天候でカヌーを中止

翌日の218日も青空が時折出るものの依然として風は強いまま(恐らく風速20m/秒ぐらい)だった。

この日は朝から橋口ガイドのカヌーでアルキナイ川を下る予定だった。しかし、車の屋根に積んでいる大型のカヌー(多分78人乗りだったと思う)を下ろしかけた時、突風であおられ思わぬ方向へずれ始めた。慌てて私も手伝って必死に止めた。橋口ガイドは「中止」を決断した。何年か前に同じ場面で足を骨折する大ケガをした事があるそうだ。風に強い大型カヌーだが、川に浮かべるまでが大変で残念だが従うしかなかった。予定変更を余儀なくされ①SLの撮影、②音羽橋、③伊藤サンクチュアリの順で撮影ポイントを廻る事になった。

SLの撮影は二本松展望台付近で小高いポイントまでスノーシューで230分ほど歩いたのだが、これがなかなかきつかった。急坂と吹きだまりではスノーシューを履いていても雪に足をとられて思う様に歩けなかった。風が強く気温が低いにもかかわらず上半身は思い切り汗をかいていた。高台に上がりきった時エゾシカの一群に出会った。びっくりさせない様に気をつけながらシャッターを切った。

ここはS字状カーブもあるし上り勾配になっているので、雪原の中を黒煙をいっぱい吐きだして走る「SL冬の釧路湿原号」が撮れた。私は「鉄っちゃん」ではないが、風景写真と同じぐらい鉄道写真も好きだ。雪中歩行のしんどい目に遭っただけの甲斐があって良かった。

②次に音羽橋へと向かった、着いたのは13時過ぎ、ここはタンチョウのねぐらなので普通ならこんな時間には少ししかいないはずなのだ。しかし強風で給餌場へ飛ぶ事ができず60羽以上も居たのだ。そして昨日と同じで私が行くのを待っていてくれたかのように、数回に分けて大群で一斉に飛び立つシーンをまたまた撮影することができたのである。橋口ガイドも「これほどの大群で飛び立つのを見たのは初めて」と言っていた。「好天」でなく「荒天」に恵まれたと言うべきなのか。

飛び立ったその後は一時にここからタンチョウの姿が消えうせてしまったのだ。

③すぐに伊藤サンクチュアリへ移動した1430に到着。音羽橋から飛び立った群れだと思われるタンチョウがどんどんやってきて飛翔姿や着陸姿を撮影することができた。ある一群を超望遠レンズで追い写ししているとそこだけに目が行ってしまい、別の撮影すべき対象がやってきても気がつかない事が多い。ここで橋口ガイドの「よく見える目」に大いに助けられた。

「右から別のタンチョウが6羽」「左から白鳥が4羽」「柵の切れたあたりにキタキツネがきました」と遠くにいる内から見つけて案内してくれるのだ。実は初日から肉眼では見えないほど遠くを飛んでいる鳥の種類を見分けて言い当てるのに驚かされていたのだ。私にはオジロワシもトビもカラスも皆同じに見えてしまう。うんと近くに来てやっと判る始末なのだ。「どうしてそんなによく判るの?」と聞けば「毎日自然観察ばかりやってると僅かな特徴の違いが見てとれる」と言った。目そのものの良さだけでなく長年の経験なのだろう。初日にこの事に気づいた私は、このガイドなら毎日1万5千円払っても良いと決めたのだ。

もし、私一人だけなら気付いた時には目前から遠ざかっていて撮り損なっていたと思う。

お陰でこの日は、飛翔姿のタンチョウや白鳥の手ごたえある写真を多数撮影できた。

(5) 知床羅臼を断念

219日の朝も依然として風は強いままだった。

この日は5泊した釧路湿原の宿を出て知床半島の羅臼へ移動する計画だった。

しかし3日前(216日)の爆弾低気圧の後遺症で、羅臼への道路がどこをどう通っても大雪で除雪が間に合わず通行止めで行くことができないのだ。逆に羅臼に居る人は閉じ込められて出て行けない状態で、昨日は停電にもなっていたらしい。私が予約していた宿のブログには次の書き込みがあった。

『夕べは一時的に何回か停電になったけど、無事に・・・・。

風は弱くなったものの願いも虚しく吹雪の朝、しかも大雪 ┐('`)┌
昼になっても通行止めが解除されず釧路行きのバスの全便運休が決まり、
羽田から中標津の飛行機も欠航でお客さんのキャンセルが続出 (T ^ T) 』・・・・と。

写真も何枚か添付されていて、宿の玄関が埋もれて見えないほどの積雪、猛吹雪の中を除雪する作業車、売り場の棚がすべて空っぽになっているコンビニの様子などが写っていた。

行く前に宿で会えるかもしれませんねとメールを交わした名古屋出身東京でご活躍中の野鳥写真家、戸塚学先生も写っていた。後でわかった事だが、こんな風雪の中でも羅臼港の構内限定でネイチャークルージングが出航したらしい。流氷が港内まで迫ってきていたため、オオワシなども十分近場の港内で撮影できたのだという。羅臼は国後島が近くにあるため流氷が逃げにくいのだ。その辺がウトロ側と比べれば有利なのだ。「アァ、行キタカッタナー」

しかし、とてもとても残念だったが羅臼をあきらめざるを得なかった。

仕方がないのでその分、釧路のタンチョウを延長して撮影することにした。ただ、宿だけは釧路市内のビジネスホテルに変えて4連泊を予約した。このホテルを拠点に国際ツルセンターへ毎日通う事にした。これから先はガイドなしの全くの単独行動だ。

国際ツルセンターは相変わらず国際色豊かでいろんな国の人が来ていた。そのほとんどがタンチョウの撮影目的で柵の最前列に大砲のようなレンズを構える。私も毎日開館すると同時に入って良い場所を確保した。それでもウグイの給餌の時間が近づくと割り込んで入って来られ、カメラを左右にパーンすればレンズの先が隣の人の肩に当るくらいに混んでくる。外国人の時は言葉が通じないので話し合うのも面倒くさい。飛翔追尾を連写した中には、隣の人がピンボケ状態でかなりの枚数写って邪魔されていた。

この一人で通った3日間にも天候が悪かったせいか、珍しい場面が観察・撮影できた。

立派な角をしたエゾシカのオスの群れが7頭現れ餌のトウモロコシを食べ始めた。センター職員に空砲銃で追い払われたが、迫力ある一部始終を夢中で撮影することができた。

また、タンチョウの群れの中を天敵であるはずのキタキツネが悠々と横切っていた。キタキツネは毎日のように出現した。同時に2匹現れた時もあった。吹雪でよほど食べるものが無かったのだろう。

オオワシやオジロワシも数多く現れた。タンチョウの群れの中へウグイを横取りしに行くのだが、別のオジロワシがさらにそのウグイを奪いに来る。オジロどうしの空中バトルも撮影できた。  

7.いつかは羅臼を再チャレンジしたい

釧路最後の1日だけを市内観光に充て和商で有名な勝手丼を食べ、土産物を調達し温泉に浸かった。この日だけを普通のいわゆる「観光旅行」として楽しんだ。

それにしても羅臼へ行けなかったのだけは残念でならない。いつかは羅臼で流氷クルーザーの船上からあの太いくちばしの、あの鋭く大きな爪のオオワシを間近で撮ってみたい。

今度行く時には荷物だらけの車ではなく、最低限必要な装備にして飛行機+レンタカーにしてみようと思う。

8.地元の題材と並行して

本当に良い作品は「地元で取り組むテーマを持つ」こと、「地の利を活かす」ことから生まれると思う。よく解っているのだが結局、浮気がしたくなるわけだ。
 ン?そうではなくて、「人生下り坂万歳」状態である自分の身体が対応できなくなるかもしれないからだ。
いつ持病の腰痛が痛みだすかも知れないし、脚力などの筋肉も衰えていく一方だ。
元気で活躍できる内にやっておきたい事を粛々と実行したい。
撮ってみたいところは沢山あるが、車で普通に行ける場所は後まわしにして、体力が要求される厳寒地や山岳地を優先して行きたい。
涸沢カールの紅葉ももう一度撮ってみたい。今の身体ならまだ何とか登れるだろう、今秋にも行く計画を密に練っているところだ。


【豪雪の白川郷へ車中泊で】
      (2012227日記載)
 2月11日~14日まで3泊4日でライトアップを中心に豪雪の白川郷を撮影に行ってきた。
この冬は全国的に雪が深く、合掌造りの屋根に分厚く降り積もった豪雪の白川郷が写せると期待でワクワクして出かけた。しかも、冒険家「植村直美」にでもなったつもりで車中泊を2泊するのだ。
 ではなぜ宿には一泊だけなのか?。 それは宿が一泊しか予約がとれなかったからだ。白川郷のライトアップの日数は一年に七日間あるが、早くから申し込んでおかないとなかなか宿は確保できないらしい。私が行こうと思い立ったのは昨年の10月で辛うじて日曜の夜が一泊分とれただけだったのだ。
せっかく行くのなら前日の土曜日もライトアップがあることだし、車中泊をしてしまえという計画を立てることにになった訳だ。
 と、簡単に言ったが真冬の豪雪地に車中泊をするとなると、気を付けねばならない事が山ほどある。
雪の高速道路を百キロ以上走る事になる。東海北陸自動車道は日本一標高が高い高速道路で、最高地点では松の木峠
(飛騨清見ICの南)当たりで千メートルを超えている。吹雪で視界が悪くなる事や視界ゼロのホワイトアウトも十分考えられる。
そんな事に対応するため、一ヶ月ほどかけてネットで情報収集をして自分なりに備えた。
   ①ウインドウォッシャ液は出発前にマイナス60℃対応のものを原液使用に入れ替えた。
   ②事前にバッテリーを点検し、心配なら新品に替えておく。
   ③高速に入る前に屋根やフェンダーの氷雪を落としておく。
   ④車間距離は広く空け、急の付く運転操作はしない。
   ⑤ガソリンは半分程度になれば補給する。
   ⑥スタック脱出用に古毛布とスコップを持参する。
また、車中泊の留意事項として、
   ⑦車を駐車する場所は、落雪を受けないよう建物の屋根から遠ざける。
   ⑧風のくる方向にエンジン側を向けて冷やさない。
   ⑨駐車ブレーキはワイヤーの凍てつく可能性があるため掛けない。電動ミラーも畳まない。
   ⑩ワイパーは立てておく。
   ⑪車用除雪・霜取り用具を持参する。
   ⑫窓用シェードは高断熱のものを使用する。
   ⑬カイロは靴用と身体用を余分に持参する。PETボトルを湯たんぽに使う。
   ⑭羽毛布団(寝袋)のマイナス30℃(冬山対応)相当を使用する。
   ⑮暖房用にエンジンを掛ける前に雪で排気管が埋もれてないかを確認する。
   ⑯カセットコンロからの火災防止に小型消火器を持参する。
   ⑰個人用の旅行保険に加入する。
などを実行した。中でも効果的だったのが⑬のPETボトルの湯たんぽだ。カセットコンロでレトルト食品を温めた後の湯を有効利用し、⑭の高仕様羽毛ふとんとの組合せとで相乗効果を発揮し寒さを感じずに車中泊する事ができた。⑰の個人対応の旅行保険があることは調べて初めて知った。内容もカメラ機材が高額なので他の部分を削ってそこの補償を増やすなど自由度が高かった。いつもなら、出発日は天気次第なため旅程が決まらず旅行保険等は加入することは無かったが、今回だけはライトアップの日が始めからわかっているのと、豪雪地での車中泊と言う事で加入契約した。

 ライトアップは初めての体験だったが予想通り幽玄な雰囲気でとても良かった。土日続けて開催されるのだが一日目を展望台からの撮影に決め、三脚使用者用の列に並んだ。午後1時半から点灯までの四時間というものはひたすら列に並んで待つだけで、集落内を散策することも出来ずまったく自由を束縛されてしまった。かつては整理券をお土産屋さんが発行してくれていた事もあったらしいが是非とも復活してほしいと思った。二日目のライトアップは集落内を三脚を担ぎながら撮影してまわった。午後7時半でライトアップは終了だが、7時を廻る頃にはレンズに霜が付き始め時々布で拭かなければ画像全体が滲んでボヤケる。
到着する直前まで大雪が続き、着いた時から滞在ちゅうのみ曇り時々晴れとなり、そしてまた帰る日にはまた降雪が始まるという、大変撮影には恵まれた天候になってくれた。今までのライトアップの写真をネットで検索しても、屋根に雪が全く無い写真もたくさん見かけた。今回は宿が出発前に送信してくれたメールでは「積雪量2メートル」となっておりほぼそれに近い状態だった。

 不便な車中泊を楽しみとする訳だが、宿に泊まった時はそれはそれで有り難かった。特にライトアップ終了後の冷えた身体を温泉で温めた時は至福の時であった。キャンプと同じようなもので「便利で快適に過ごせる我が家があるからこそ、不便な車中泊を楽しめる」のだと思う。
ちなみに旅館泊をした翌朝7時に車内に置いた寒暖計はマイナス6℃だった。一度もエンジンを掛けずに人も無人だと車内でも屋外と当然同じ温度になる訳だ。
この日の昼食を作ろうと、ヤカンに水を入れようとしたら水タンクが氷っている事に直前で気付いた。必要分だけは融けて水として取り出せたが、朝の時点ではタンクの芯まで全部が氷になっていたのだろうと思う。

 3泊目の車中泊は標高の低い平地まで降りた「関SA」を利用した。車の速度計横にガムテープで張り付けた高度計は標高40メートルほどだった。一気に千メートルを降りてきた事になる。つい一時間ほど前までホワイトアウトに近いほど激しかった降雪が雨に変わっている。関SAは昨年12月にリニューアルしたばかりでトイレを始め施設全般が最新設備に新調され
快適そのものだった。ここでの車中泊の目的は高速料金が半額になる夜間割引を利用するためだ。夜間に走っていようがSAで休憩していようが、夜間割引は享受できるのである。ぐっすり休んで朝明るくなってから運転する方が身体も楽なので最初からの計画だった。

 白川郷に限った事ではないが中国人がやたら大勢来ていた。帰宅後に友人から聞いた話だが、中国人でもほとんどが台湾から来ているらしい。
雪が珍しくて旅行社が仕掛けた世界遺産ツァーが盛況となるそうだ。しかし、私達日本人の「心の原風景」というような郷愁までは感じては無いと思うし、感じてほしくは無いと思ったりした。
日本人だけが感じ取るべき感情であってほしいと願うことは、別に国際的差別などには当たらないと思うのだがどうだろうか。

白川郷の豪雪の景観と寒さと、車中泊の不便さと「身の丈に合ったほどほどの恐怖」を心行くまで楽しませてもらった撮影旅行だった。そしてやはり自宅のベッドが最高の寝心地である事を確認した。



【写真をやっていて良かった】
   (
2011920日記載)

 写真をやっていて良かったと思う事があった。友人のお姉さんで山登りが好きな方の事である。この方とは直接会ったことも、電話で話したことも無く友人を介して聞いたことなのだが、私は心を動かされてしまった。
 この方は若い頃は日本アルプスの山々によく登っておられたらしい。しかし最近、膀胱ガンの手術を受けて常時導尿バッグを装着しており好きな登山は出来なくなったようなのだ。お年は聞いたわけではないが友人の姉だからおそらく60歳代のはずだ。せめてもの慰めにと妹である友人が、私の竹田城跡の写真を見舞いに贈ってあげたそうだ。
写真は雲海に浮かぶ幻想的な竹田城跡を昨年12月に撮影したもので四つ切り4~5枚であったと思う。
この方はその写真を見てからスイッチが入ってしまったそうだ。「こんな素晴らしい竹田城跡を実際に『生』で見てみたい。」と言い出したのだという。
そんな身体では無理だから写真を眺めるだけにするよう、周りは説得にかかったそうだが「是非とも行きたい」と本人は聞かなかったそうである。
 この話を聞いてからしばらく後に、法事で生家に帰省するついでに「竹田城へも立ち寄りたい」と言い出したそうである。この方は東京に住んでおられて、兵庫県南西部の生家まで600km以上の移動である。それをまだ100kmほど余分に北へ移動し、さらに立雲峡を徒歩で登ることになる。誰が聞いても無理だと引きとめるはずだ。
 法事の前日に行くのだと計画していたそうだが、その日は台風15号の影響で大雨となりいくら何でも中止したと思う。

 しかし、人間は「実現させたい」との強い思いが病気を克服して元気になる源だと私は思うのである。そして、私の写真がこの方の元気づけに役立ったんだと思うと、こちらも大いに元気をもらってしまった。

 次回は雲海の発生する晩秋に訪れ、心行くまであの素晴らしい「霧の竹田城跡」を堪能して頂きたいと願って止まない。



【棚田の魅力】   (201188記載)
 今までも「日本の棚田百選」の佐用町乙大木谷の棚田を撮影してきたが、2009年の兵庫県南西部の水害で佐用町が壊滅的な被災を受けてとても気の毒なことになってしまった。棚田の中を流れる小さな川と水田の一部が水害で崩れてしまい、復興工事が終わった今も、耕作放棄田が出たりコンクリートで景観が損なわれてしまったからだ。
 私は郷愁を誘う景観が好きで、美しい棚田の情景は何とも心にしみるものを感じる。
佐用町の棚田は小規模だが重なり具合のなだらかさと畦の曲線が美しくて、毎年撮影を楽しみにしていたものだっただけに残念でならない。

他に近くて良い場所を探していたら、岡山県美咲町の大垪和西(オオハガニシ)の棚田を知りこのたび初めて訪ねてきた。

 美咲町大垪和西(オオハガニシ)は岡山県のほぼ中央で、中国縦貫道の院庄ICで降りて20Kmほど南西にある。今回は本番の秋に備えたロケハンと言う事で出かけた。
 大垪和西の棚田は総面積42.2ha850枚の水田で構成されている。全体がスリバチ状であり、底の部分に駐車場・トイレ・東屋の施設をもつ公園が整備されて360度ぐるりと棚田が見渡せた。到着時刻は1030頃だったので、朝の斜光線狙いには外れていたが、夕方と翌朝に備えた良いポイント探しで車や徒歩でしつこくウロウロしてみた。
 耕作放棄田もなく畦草もよく刈られ稲の穂が出始めた緑一色の、大規模で実に美しい棚田だった。夕方の光線で畦の段差の影が強く出る頃、数か所のポイントから撮影した。

また、隣接する町には他に「日本の棚田百選」に認定されているところが二ヶ所あり、ここまでせっかく来たので二か所とも立ち寄ることにした。
 昼でも暗く細くて曲折した山道を行けども行けども、人家がなくて果たして行けるのか不安になりながらナビ頼りで何とか行くことが出来た。しかしそこは、耕作放棄田が多く畦もかなり荒れていた。結局、三時間ほどつぶしたが大垪和西の棚田の素晴らしさを逆に再認識させてくれることになった。
この日は再度引き返し、大垪和西近くの町営の温泉施設で汗を流してから、ここの棚田公園で車中泊をした。星の軌跡とコラボした棚田の写真も撮影するつもりだったが、新月で月明かりが全く無く、露出をかけても棚田を写し出せず、単なる星空だけの写真になってしまうので撮影を諦めた。
それほどの闇夜だけに星の明かるさだけは素晴らしいものだった。普段、如何に街の灯りの明るさに慣れてしまっているかという事を思い知らされた。そう言えば、
50年ほど前の子どもの頃は満天の星や天の川が、くっきりと見えたのを思い出した。撮影こそしなかったが、しばし眺めて心の中に焼き付けた。
 翌朝は4時に目が醒めた。まだ暗かったが顔を洗い朝食を摂って、いつでも移動できるように寝袋を片付けた。時間が余ったので近くの東屋に行くとA4サイズ大のブリキ缶があった。風で飛ばされぬよう上に重石が置かれている。ふたを開けてみるとノートが8冊入っていた。この棚田を訪れた人が感想を書きとめたノートである。8冊目が最新版で見ると平日でも何人かが書き込みをしている。岡山の人が一番多いが大阪や奈良など遠くから来ている人もいた。私もここの棚田の素晴らしさを讃え、大変だろうが末長く保全に努めてもらいたい旨書かせてもらった。

 朝の斜光線は棚田を一層美しくひきたててくれる。畦草を刈る高齢の男性がいて、最も絵になる願ってもない良い場所で作業してくれていた。
レンズをとり変えながら構図を変えていっぱい撮影させてもらえた。奥さんが軽トラでお茶を運んできて休憩している時にお邪魔し、写させてもらったお礼を言いいろんなお話をうかがった。
77歳の高齢で棚田の作業はきつくていつまで続けられるか判らないと言われていた。
もう一人
40歳台の男性が一緒に休憩していたが、その人は棚田を維持保全するための県から派遣された草刈りボランティアだと教えてくれた。
なるほど行政も力を入れてくれているんだと感心はしたが、これからの日本の農業はどうなって行くんだろうと案じた。また秋の稲刈り頃に来させてもらいますとお礼を言い、ポイントを他の場所に移した。

 別の場所では土壁の小屋付近で刈った草を焼く煙が出ている。ノスタルジー溢れる情景に涙が出そうな感傷に浸れた。
 
ありがとう大垪和西棚田。また来させてもらいます。



【初の個展を終えて】  (2011年3月11日記載)
20112月に初めて個展を開催した。
たつの市が後援した「町ぢゅう美術館」というイベントで、古い街並みの空き家等を活かした形で開催され今回で9回目を数える。
 団体での参加が多いが、個人の資格で参加する人もいる。私は長年、どこの団体にも所属せず一匹狼で活動してきた。一人のほうが動きやすく、人間関係が煩わしくなくて良いからだ。

しかしデメリットとしては、発表の場が無いこと、時には寂しいこと等がある。
この活動に参加すれば無料で開催広告をやってもらえ、会場場所を提供してもらえるのが魅力だった。

 今回は「我が琴線に触れた情景」と打ち出し、小サイズで数多くを展示したくて、最近約2年分の中から「これは」と思う作品を128点選んだ。お金を掛けたくないので全数をA4でホームプリントし、額装なしでプラダンに両面テープで丁寧に貼り付けた。自宅で印刷・貼り付け作業で2週間ほどかかり12枚のパネルに仕上がった。

現地の飾り付け作業がこれまた大変だった。パネルを掲示する前に、黒のマルチシートを部屋の壁面全部に貼り付けることにしていたのだが、天井に胴縁材を釘打ちしマルチシートを両面テープで止めていくのがすごく手間を食った。
妻と二人で作業したのだが、朝から取り掛かって夕方になっても終わらずとても焦った。
 団体の場合なら人手があるのでこんなことをせずとも、展示用パネルを借りて運搬・設置すればもっと楽に会場設営作業ができるのだが、個人参加では仕方なかった。


 会期は3日間だけだったが、多くの人が観に来てくれた。事前に案内状を差し上げていた人の大部分は写真に趣味のない人だが、興味をもって見ていただき嬉しかった。久し振りに顔を合わせた方もいて懐かしく、話に花が咲いた。

 初めてのお金を掛けない小規模な個展であったが、お祝いの品を頂戴したり、作品を購入してもらったりと思った以上の反響に驚いた。人の温かみを感じ、幸福感に浸らせて頂いた初個展であった。



車中泊の一人旅を終えて】  (2010年1116日記載)
風景写真を撮影するため7月に車中泊用のミニバン車を購入し、夏に3回手近な場所で車中泊を体験した。佐用の棚田が2回と、岡山の虫明湾を見下ろす大平山である。いずれも夏であり窓を開けて網戸にしなければならなかった。夜の冷気が心地よかったり蚊取り線香の匂いが鼻についたり、鹿やイノシシが出てこないか等それなりの冒険心を満たしてもらえた。

ところが今回は一変する。槍ヶ岳や穂高の「初冠雪と紅葉」を撮影するため、11月初旬に標高1300mのあたりでの車中泊である。初めての冬季の遠隔地での車中泊だけに、いろんな心配が頭をよぎったが留意点はおおまかに次の点だと考えた。
    ①タイヤは信頼できるメーカーの新しいスタッドレスにする。

     ②寝具は寝袋と二重マイヤー毛布を2枚持参する。
      ③夜は窓に断熱シート(結露防止用にもなる)をテープで貼り付けて放熱を防ぐ。
      ④ガソリンは半分ほどになれば早めに補給する。
      ⑤体調等に無理を感じたら近辺の宿を拝み倒して泊めてもらう。

出発日は一週間ほど前からネットで気象情報を複数サイト精査して直前で決断した。
事前予約の旅館泊ならこんな芸当は出来っこない。せっかく行くんだから確実によい天気であってほしい。「間際で出発」これこそ車中泊の最大のメリットである。

 最初の車中泊場所は新穂高第2ロープウェイの駅付近。夜には車内温度が2℃にまで低下し、一晩に1回15分間のタイマーで5回エンジンをかけ暖をとった。
山の夜は早くて夕間詰めから一気に暗闇がやってくる。テレビやラジオも電波状況が極端に悪くて、全く用をなさない。ポータブルDVDでもあればいいのになと感じた。することもないので寝袋に入って眠ろうとするが、一泊目の夜は緊張してなかなか眠れず1~2時間おきぐらいに目が覚めてしまう。それでも何とか一晩で合計4時間半ぐらいは眠れ体調を維持することができた。

 2日目以降は道の駅を利用したが、何ということか車中泊をする車のオンパレードなのである。大体がミニバンが多いのだが、中にはドでかいキャンピングカーも2~3台見かけた。
パッと見て車中泊の車と分かるのは結露防止のため窓にアルミ蒸着の断熱シートが貼られているからなのだ。三日目、四日目とも道の駅を利用したが、どの日も車中泊の車が駐車場の半分以上を占めていた。ナンバープレートを見ればかなり遠隔地から来ている車もかなりいた。
そして、その人たちのほとんどが60を少し超えたぐらいの中高年齢者なのである。まさに団塊の世代の大量退職を反映した社会的現象と言えよう。
まぁ考えてみれば車中泊が快適に実行できる環境が整った社会になったんだなぁと感慨深いものを感じる。

 まず「道の駅」が強力に整備されたこと。そして特筆したいのは「トイレ」である。昔の公衆便所は駅でも公園でも臭くて汚いのが当たり前だったが今は違う。道の駅のトイレは洋式暖房便座もあり、便座消毒用スプレーまで完備している。高速道路のSAのトイレもデラックスなものが増えてきた。新穂高ロープウェイの白樺平駅のトイレは我が家と全く同じシャワートイレで感激した。もう日本はどこへ行っても清潔な環境の国だと言える。

 次の条件はコンビニとスーパー銭湯の普及だ。全国どこを走ってもいたるところにコンビニがあり、弁当やお茶を買うことができる。しかも24時間営業しており、カップ麺を購入して熱湯を掛けさせてもらうこともできる。

 そしてもう一つ。風呂やスーパー銭湯の軒数が増えたことも車中泊環境を後押ししている。
特に今回私が行ったあたりは新穂高温泉、新平湯温泉、栃尾温泉、平湯温泉と温泉がひしめき合っており、低料金で「日帰り入浴」ができる源泉かけ流しの温泉がいたるところにあって風呂に困ることは無かった。

 さらに、車中泊が増えた理由にはもう一つ理由がある。
それは、「男の隠れ家意識」なのだ。団塊世代の男性なら子供時代に野山で雨風を凌げる小さな小屋のようなものを作って「隠れ家」と称して満足感に浸ったことが一度や二度はあるだろう。あの時の感覚が車中泊中によみがえってきて何とも懐かしいのである。
今の若い人に分かってもらうには、そう、宇宙ステーションに滞在する飛行士になった気分とでも言おうか。不便なんだけど満足感をくすぐる「ほど良い不便さ」というものがあるのだ。

 昨年からの「土日祭日は高速千円」も手伝って、今や「自宅で寝るより車で寝る人種」が急激に増加している。これは今までにない新しい社会現象であり、団塊の世代層なりの人生を楽しむスタイルなのだと感じた次第である。

 お陰で今回は天気に恵まれ背筋がゾクッとするような絶景を撮影する事ができ、当初の目的を果たせたことに満足し感謝するものである。・・・車中泊万歳・・・中高年万歳。

早朝の撮影ではカメラの電池室にカイロを貼り付けます。




【無性に浮気がしたくなって】
(2010年412
日記載)
 私は本来「地元主義」で、撮影地はほとんどが居住地である西播磨一帯なのです。
どうしてかと言うと、初めての場所へにわかに行ってカメラを向けてもどこからどう切り、光線や動きの予測をどう立てればいいのか、勝手が解からず時間ばかり掛った割に良い写真が撮れないと思っているからです。さらに車で行く場合は、道路事情や駐車場のこと等、写真撮影以外のことで煩わされるのが嫌だということもあります。
 雑誌などで信州や北海道などの風景写真で衝撃的な感動を受けることはよくありますが、恐らく地元の人か遠隔地でも足繁く通っている熱心な人が撮影したものだと思います。物見遊山で行き当たりばったりの旅行をした程度で人に感動を与えられる写真が写せる訳がないのです。「一期一会」の出会いと「行き当たりばったり」とはイコールではないと思うのです。

 私は何年もこの信条でやってきましたが、何故かここ最近、無性に浮気がしたくなってきたのです。浮気の対象は兵庫県の和田山市にある「竹田城址」です。それも「満開の桜や長時間露光の星空との竹田城址」を撮りたくなったのです。
写真で見たりして石垣だけが残る城跡だという存在こそ知っていましたが、実物は一度も見たことが無く、最良の撮影ポイントや光線の具合など全く無知からの計画立案になりました。
 インターネットの関連HP閲覧やヤフー知恵袋への質問、現地の観光案内所へ電話調査などで必要な情報を取得しまくりました。最も気をもんだのは桜の満開時期と天気でした。4~5日前から気象情報や月齢・月の出時刻を調べ4月8日を決行日と決めました。
 前日の夜、天気予報を確認すると「日本海側に中心を持つ高気圧に覆われる」とのこと、しかもその後の日はあまり良くない予報になっています。「これは明日行くしかない」と決意を固めました。

 はたして当日の朝は期待通り上々の天気になりました。約2時間の運転でJR竹田駅に到着。駅舎内のわだやま観光案内所の方に細かい点をいろいろ教えて頂きました。案内所の方も桜も今が一番見ごろと喜んでいろいろ教えて下さいました。
 駐車場から昼間用の撮影機材のリュックを担ぎ弁当・お茶を持ってゆっくりめに歩いて30分、北側の大手門に到着です。
北千畳あたりに腰をおろし、しばし苔むした石垣と対峙です。どうしてこの城跡を写したくなったんだろうと自問自答してみました。それは次の点だったようです。
  ①城跡というワビサビが理解できる年齢に至った。
  ②いつも地元ばかりの撮影にマンネリを感じ始めた。?
  ③桜の満開時期を迎え、桜が良く似合う印象深い場所である。
①は子供のころなどは全く興味が無かった対象が、還暦を過ぎればその良さが解かってくるというもので、盆栽や大木といったものに通じる気がします。
昼間のあふれる光線で桜と城跡を楽しみながら良いポイントを探して撮影しまくりました。
 午後からは立雲峡にも行き、ここから竹田城址の全景を撮影しました。この立雲峡は駐車場から少しの移動で済み、秋の雲海の時期には絶景の撮影ポイントだと思います。この秋には絶対また来ようと思いました。

 早めの夕食をドライブインで食べ、再び竹田城址へ上りメインイベントの星空との撮影に挑戦です。
撮影ポイントは昼間の内に決めておいたので、まっすぐそこへ行って準備開始です。
さて事前に考えていた撮影イメージは「星の軌跡の下、古城の石垣がかすかに薄暗く見える中、遠景の何本かの桜がライトアップで白く浮かび上がる。」というものです。
 空の明度が落ちて星の輝きが本格的になった7時半から撮影開始です。桜のライトアップなんて現地では勿論やっていません。なので、シャッターをバルブで開放中にストロボをポケットに入れて桜の下まで行きテストボタンを押して発光させます。この動作をファインダーに入っている9本の桜の木を移動して全部に繰り返すのです。
 この移動が至難の業でした。月の出は午前2時ごろで辺りは真っ暗闇。カメラに映る場所では移動時に懐中電灯も点けられません。石垣は複雑に入り組み階段や切り株があります。そして、何より怖いのは石垣の周囲には手すりが一切無いのです。まさに手探りでの恐怖の移動でした。(不倫のハラハラドキドキ感?)
この作業を15分ほどで考えていたのですが、実際はレリーズボタンを戻せた露光時間は19分間ほどかかっていました。
デジタルカメラの場合、長時間の露光は暗部にノイズが発生し極端な表現をすると黒紙に白ゴマを撒いたように汚く荒れます。カメラ側でこれを低減化するモードを掛けているのですが、露光時間と同じ時間分内部処理がかかるため、撮影結果をモニターで確認できるのは2倍の時間後ということになります。
 2カット目も撮影したかったのですが、朝から少し頑張り過ぎたこともあり、身体はだいぶくたびれており「あの恐怖の移動」をもう一度やる勇気が湧きませんでした。帰路の運転もあるため午後8時で撤収しました。
結局、撮影できた枚数はレンズの違う2台のカメラを並べての撮影だったので、一発勝負のこの「2枚」だけでした。

 わくわくしながら帰宅後パソコンで画像を確認。少し画像編集すればイメージ通りの写真が撮れていました。布団に入ってから何とも心地の良い疲れと満足感に包まれて眠りに就くことができました。 いやぁ、たまには浮気もしてみるものなんですねぇ。次は雲海の時期にまた行きたいと思います。
 このときの作品がNO.955の写真です。




【なんと! 介護者同伴のカメラマン】
(2009年1224
日記載)
 日本も高齢化の波がここまで来てるのかと思いました。
私の住む「たつの市」には、全国的に知られた干潟の撮影スポットがあります。新舞子という地名なんですが、冬至の前後1カ月ほどは日の出の位置が撮影に適するため賑わいます。特に日の出時刻と大潮の干潮が重なる時は三脚や脚立のオンパレードです。車のナンバーを見ると、神戸・大阪はおろか、和歌山・広島・高知・名古屋などもあります。皆さん近くに宿をとったり、車中で前泊しているのです。ちょっと遅れていけばもう三脚を立てる場所はありません。

 私もこの間の冬至(今年は1222日)の日に撮影してきました。私の自宅からは11kmほどの距離なので、前日の夕方に場所取り用の脚立を設置しておき、当日は日の出時刻の少し前に行けばよいという非常に恵まれた環境なのです。本当に感謝・感謝です。
この日も立錐の余地もなく三脚が並んでいました。
天候もよく日の出も無事に迎えられ、撮影も一段落したころ、私の左隣の人が抜けて場所が空いたのです。

「あーぁ。おじいちゃんここ空いたよ。入らせてもらい。」と元気そうなおばちゃんの声がしました。しばらくして黒い防寒着を着た人がゆっくりと来るではないか。私は脚立の中段から撮影中で角度が高いためかぶったフードで顔まではよく見えません。おばちゃんは長い焦点距離のレンズを着けたカメラと三脚を持って来るのを手伝っています。幸い駐車場所から撮影場所までは至近距離なのです。
さらにその隣にも早くから来ていた
60歳を優に超えている女性カメラマンがいて、女性同士大きな声で話し始めました。

 それによると、おばちゃんはおじいさんの娘さんで、父親が高齢のため一人で行かせるのは心配なので介護役として付いてきたらしいのです。娘さん自身は撮影活動などは未経験でここへ来たのも初めてとのこと・・・等の内容が聞こえてきました。
おじいさんはその間も無口で黙々とファインダーを見ながら撮影しています。車いすこそ乗ってはいないけれど乗っていても不思議ではない雰囲気が全体の風貌から感じ取れました。しばらくして娘さんはファインダーを覗き「おじいちゃん、これって拡大しすぎやんか。もうちょっと広ぅに写さんとあかんでぇ」と感想とも助言ともつかない声をかけましたがおじいさんは無視してマイペースです。おじいさんが1回撮影するたびごとに、必ず続けて3回のシャッター音が聞こえてましたから、AEB撮影(自動的に露出補正を適正、マイナス、プラスと変えて撮影)をセッティングしているところ等、経験と知恵はいっぱい持っているんだろうし、何といっても身体が衰えても写真作画活動への強い情熱に感服しました。

 世の中一気に高齢化社会に突撃し、どこの撮影地でも高齢者まみれで、老夫婦が仲良く撮影に来ているのはよく見かけました。だけど今回のように介護者の娘が父と一緒に来ているのを見たのは初めてでした。この親子に幸あれと祈り、いつか自分もこのようにあれたら最高と思った次第です。
「高齢者万歳、めざせ介護者の処遇改善」なのだ。


立錐の余地もありません

後列は脚立か大型三脚が必要




【パソコン買いました。変わり過ぎてオロオロ】2009123日記載)
 長らくこのコーナーを書いてなかったですね。
今回はパソコンを買った話です。

以前からパソコンの動きが遅くなったり、途中で突然アプリが終了してしまったりと動作が不安定になっていました。
これはたくさんの写真を画面に貼り付けて比較検討したり、加工編集作業をするのですが昔より一枚当たりの写真の画素が増加しており、CPUやメモリに負担がかかりすぎるためです。
今使っているのは自作パソコンで、初期購入時期は20005月でした。初めのうちはとても快適に使えていたのですが、カメラを買い替えるたびに画素が上がり、写真は奇麗になるのですが、メモリが酷使される状態になってきました。
 その後、3年ごとぐらいにメモリを増やしたり、マザーボードやCPUを入れ替えたりを繰り返しました。
最後の3回目の時などはほとんどの部品が入れ替わってしまい、残っているのはケースだけという状態でした。
CPUだけを最新に変えようとしてもマザーボードに取り付けるためのソケットの形状が違うためマザーボードも変えざるをえません。メモリもそれらと相性の合うものに変える必要があります。そしたら電源容量が300Wのままでは不足するので・・・・といった具合です。

 いやぁこの世界の変化は実に目まぐるしく速いです。ついにOSも含め丸ごと新しく買い直すときが来たなと思いました。

そして今回も自作(正確にはBTO)パソコンになってしまいました。最初はメーカーPCも検討したのですが、次の条件を満足させるには自作しかありませんでした。

   できるだけ永く使用できるように高スペックにする。(最初はオーバースペックだが)
   ②光学ドライブ、カードリーダー、USBソケット等は後々交換したい。
   ③価格を低く抑えたい。
   ④作動音の静粛性にもこだわりたい。

今のところスペック的には満足(十分すぎる)なんですが、新しく購入した5本のソフトの操作方法が分らず試行錯誤の連続でストレスを感じています。

OSWindows アルティメット)やワード、エクセル、メールソフトなどが今までの使い方とガラリ変わってしまっているのでオロオロさせられてしまいます。
永い間馴染んだソフトというのは有り難く実に価値があると思いました。昔聞いた話で「使い込んで油が馴染んだフライパンを嫁ぐ娘に親が持たせた」とありましたが、それと一緒ですね。
まぁこれは慣れていくしかしょうがないですね。
モニターをフルHDの大型(22.5インチ)にしたのは正解だったと思います。写真をたくさん並べられるし、テレビ画面を隅っこに置いてニュースを見たりで、Windowsの画面活用の真価が発揮されると思いました。
 ま、当面は古いパソコンと並列使用することになりますが、いずれにしても最新型といえども完成時点から陳腐化が始まっているのでいつまでもつやら・・・。
「豆腐は作られた瞬間から腐り始める」



【久しぶりの撮影行にワクワク】(2007年5月6日記載)
 最近3ヶ月間ぐらい忙しくて撮影に出かけることが出来なかった。
梅や桜・チューリップや毎年行ってるカタクリの花も写しに行けなかった。
 それがゴールデンウィークの後半には自分の時間がもてるようになり、久しぶりに撮影に出かけた。
山崎町の千年フジ、福知渓谷の新緑、坂越鍋島のシラサギと撮影してきた。
中でも、福知渓谷は新緑が陽にきらめきマイナスイオンを浴びながら、小鳥の美しいさえずりに命の洗濯をしている思いがした。
 坂越鍋島のサギはちょうどヒナの誕生時期で、100mほどの近さでアオサギやシラサギの子育ての姿が見られた。
 大げさかもしれないが、3ヶ月の禁欲ならぬ禁撮からの解放は、「自分は生きてる」と何とも言えない感動を感じることが出来た。
 良い作品が写せたかどうかはまた別である。
これが果たして、定年後にも同様の感じ方が出来るであろうかが、少し気に掛かる。



【CPUクロック:500ギガヘルツの高性能パソコンが1万円?】(2006年6月18日記載)
 
最近の休日はシラサギの撮影で忙しい。ブラインドテントを張った中で、身をかがめるようにパイプイスに腰掛けてひたすらチャンスを待つのである。
 撮影枚数はその時によって大きくばらつきがあるが、鳥の撮影は「連写」が必須であり、キャノン20Dだと秒間5コマなのでワンショット5コマから20コマほど撮す。
 この「連写」が曲者で、あっという間に記録媒体(コンパクトフラッシュ)が満杯になってしまう。
昨日などは1GBのCFが一杯になったので、512MBに取替えその後さらにもう一枚の512MBも使い果たしてしまった。
シラサギを撮っていたのだが、見るとまだいろんな動きをしてくれている。カメラバッグを探したら底の方から昔(10年ほど前に購入した当時としては大容量)の「48MB」という今では極小容量のCFを見つけた。
 藁にもすがる思いでこのCFを使用した。たった15コマ分(連写では3秒間分)ほどしか撮せないが、これに入れ替えた後のレリーズを握る手には非常に気合いが入った

 この「48MB」も使い果たした後、撮影済み分のCFを再度カメラに装着し、カメラのモニターで気に入らないコマを見つけて削除しようとやりかけたが、これが何ともウットウシイ作業である。それにモニターを長時間表示させているとバッテリーの消耗が激しいこともあるので、この方法はすぐに断念し、この日の撮影は終了とした。
 その後すぐ、姫路のパソコン専門店に走って「4GB」のCFを購入した。820万画素のラージの精細モードでも1000枚程度も撮影できるというシロモノだ。
ついでにパソコンの内蔵メモリも1.5GBに増設すべく購入した。

 いやそれにしても、初期のパソコンパーツと比べて容量の何と桁違いに増大したことか。性能が良くなって価格もメチャクチャ安くなっている。
 「パソコンと果物は相関関係にある」と誰かが言っていた。「スーパーの果物売場に並んだ季節を先取りした果物は高価格で青くて固くて味はマズイ。季節が盛りになれば実も熟しておいしく値段も安くなっている。」

 
この調子で行けばあと10年もしない内に高性能新品パソコンが、CPUクロック:500ギガヘルツ、HDD容量:500テラバイト、メモリ容量:30テラバイトといった仕様のもので価格が1万円ほどで販売されているということにでもなってくれてはいないだろうか?




【サンニッパを手にして】(2006年3月12日記載)
 鳥を撮影するようになってから、フィールドスコープとコンパクトデジカメを使ったコリメート法を主力でやってきていた。この方法が最も手軽に超望遠を実現でき、しかもレンズの明るさに於いても有利で合理的であるとされているからだ。しかし、どうしても私には満足できなかった。
 というのも、ピントの合わせづらさと、連写枚数の非力さに加えシャッターチャンスのタイムラグによる問題だった。
 この年になると情けないことに目が頼りなくなる。フィールドスコープを直接覗くだけでも見にくいのに、ましてやコリメート法でコンパクトデジカメの液晶画面を見るとなると、ピントの山がなかなか掴めない。
 せっかく決定的なシーンが撮れたと思ってもパソコン画面で拡大すれば、プリントする気にもならないピンぼけ写真だったということは山ほど経験している。

 これらの問題を解決するには、一眼レフカメラの撮影法に戻り、サンニッパ(300mm×F2.8)とかヨンニッパ(400mm×F2.8)と呼ばれる大口径の明るい望遠レンズが有効だとかねてから考えていた。そして漠然とではあるがいつかは手に入れたいと念願していた。

 しかし、レンズだけで定価70万円や100万円する物を個人が趣味で買うなど、フツーの人が聞けばキチガイじみた行為と呆れるであろう。私自身もそう思って我慢してきたのであるが、今年になって我慢の限界がきてしまったのである。

 注文してから一ヶ月半待たされたが、入手してさっそく小鳥を撮影に行った。結果は大満足である。
撮影もし易いし、プリントしても小気味良いほどピントが合っている。解像力・コントラストもクリアーで、さすが高価な蛍石光学レンズを採用しているからこそと思えた。
 F2.8という明るいレンズのため、使用条件の制限がいろんな場面でも有利なのだ。2倍のエキステンダーを装着してもオートフォーカスが作動可能であり、しかも心配していた反応速度低下も実用上何ら気にならない。
 連写もカメラ側の性能をそのまま活用でき、EOS20Dでは一秒間に5コマという速さで4~5秒間連写できるので実に有り難い。
 ただ、問題なのはレンズが重いことだ。本当はヨンニッパが欲しかったのだが、さすがに5.5kgという重さには体力的にあきらめざるを得なかった。

 私が写真をやり始めた昭和40年頃は、「自動でピントが合う」とか「連写」等と言うことはとうてい考えも及ばなかった。
 今や「機材が勝手に撮してくれている」ようなものだとつくづく思ってしまう。



【小鳥たちも餌に困る時期】(2006年1月14日記載)
 この冬は気象庁の長期予報が完全に外れて大雪の厳冬となってしまった。
野鳥たちにとっても木の実が無くなった今、餌を探すのに必死のはずだ。
 2年ほど前から我が家の狭い庭だが、餌台をおいて粟やヒエ、ひまわりの種やカナリヤシードを置いてやっている。
 だけど、いつの間にきて食べているのか、ついぞ見かけたことがない。
去年の冬に、たまたまジョウビタキの♂を数回見かけ、一度だけ撮影に成功した程度だ。

 そこで今年は新兵器を取り入れた。
赤外線感知器で小鳥が餌台にやってきたなら、室内側の子機に電波が飛んでチャイムで知らせてくれるという代物だ。
まだ取り付けてから1週間ほどだが、これがまた嫌になるほどうまく反応してくれない。
説明書にしたがってちゃんと取り付けてはいるのだが、小鳥で反応したのは1回だけ。
あとは野良ネコであったり、はたまた生ゴミを畑に捨てに出たうちの家内であった。
 小鳥のように素早い動きの小動物では感知器の反応が悪いのだろうか。
1万円ほど投資したのが無駄になったようで、家内と息子から呆れられている。



【ご近所の壊れたパソコンを・・・】(2005年7月13日記載)
 ふとしたことから家内の頼みでご近所さんの壊れたパソコンを直してあげることになった。
NECの9821CX3というキャンビーの初代機で、1995年10月発売の製品だ。
初期インストールが不完全で起動時に何種類かのエラーメッセージが出てくるのと、それらをスキップして立ち上げても画面の地色が強烈なピンク色になると言う不具合であった。
 この機種はCD-ROMドライブがMS-DOSから起動しただけでは認識されない。
いろいろネットで関連を検索して再インストールのための資料を収集した。

正攻法で、起動用フロッピーディスクを作成してやりかけたが、「DOSのコマンドコムのバージョンが違います」とかエラーメッセージが出たり、そのうちフロッピーのドライブ自体がファイルを読み込めなくなったり、ファイルが壊れたりと極端に不安定になってしまった。
 ウインドウズもセーフモードしか立ち上がらなくなってしまうし、毎晩いろんな方法を試みたけれどうまくいかず、5日目に万策つきたとあきらめた。

 家内はパソコンの知識はエクセルを少し操作できるだけのドシロウトなのだが、私があきらめた日の夜、徹夜で一睡もせずにパソコンの起動時の動きを繰り返し観察したり、セーフモードからのコントロールパネルを介してシステムのドライバ類を丁寧に調べて本やネットの資料とつき合わせたらしい。
 ディスプレイドライバをNEC標準に変更したり、グラフィックドライバを他のものに変えたら、ウインドウズ95が不完全ながら起動したと言うではないか。
 ここまでくればしめたものであとは三交代から帰宅した息子に頼んでウインドウズ95をCD-ROMから再セットアップで上書きして貰ったという。
 いやはや「女の執念恐るべし」である。
結局、私はジタバタしただけでパソコンを以前より壊しただけ。
直したのは、ドシロウトの家内と、MS-DOSをよく知らない若い世代の息子との二人であった。


【福知渓谷の春を満喫】(2005年5月5日記載)
 春はたくさんの花が咲くので撮影に大忙しです。
GWの連休は三田市永沢寺の牡丹園や芝桜も良かったですが、福知渓谷の新緑がとても良かったです。
撮影すること以前に、しぶき飛び散る渓流と瑞々しい若葉に囲まれて全身がリフレッシュできました。
ここは紅葉で有名な景勝地なのですが、私自身は紅葉よりも新緑の方が勢いが感じられて好きです。
特にオオカメノキの若葉が澄んだ空に逆光で透ける様は感動ものでした。
270番の写真がそれですが、半分も表現できてはおりません。未熟な撮影技術に反省です。
 だけどそれでもいいんです。撮影することで自然を満喫する事ができ、マイナスイオンをいっぱい貰ってリフレッシュできたのですから。
 連休が終わって、あしたからまた日常が戻ってきます。リフレッシュした勢いで飛び込んでいきたいと思います。



【春の妖精「カタクリの花」】(2005年3月27日記載)
 昨日と今日の二日に渡ってカタクリの花を撮影してきました。
以前から見てみたい花の一つでした。インターネットで調べてみると、以外にも車で30分のところに群生地があったのです。この時期まだ早くて咲いていないかも・・・まあ場所の確認だけでもと思い、出かけました。目的の地名は標識があったのですが、車を停めてから群生地を探し当てるのが大変でした。30度ほどある急傾斜地にチラホラと点在して咲いていました。

 カタクリの花は「春の妖精」とも「幻の花」とも言われています。種子が落ち球根ができてから花が咲くまでには7~8年もかかるそうです。土壌の組成にも適合条件を選ぶためどこででも目にすることはありません。自生地のカタクリの花を盗掘して持ち帰ってもほとんど育たないと言われています。
昔は球根から片栗粉を作っていたそうなのですが、激減した今では考えられません。
 
 ピンクがかった薄紫の花弁は晴天の昼間だけ開きます。2日目は午前9時に着いたのですが、まだ開きかけでした。1時間後には完全に反り返り、まるでシクラメンの花弁のようです。
花は必ず下向きに咲きます。この姿から「うつむきかげんでおとなしい人」を連想させます。
撮影時に苦労した点は、ゴチャゴチャした背景をいかに単純化させて花を浮かび上がらせるかでした。
黒の背景布を使用したり、できるだけローアングルから狙って花と背景の距離を引き離してボカすようにしました。

 西平さんという70才ぐらいのこの群生地の土地の持ち主の方と会うことができ、カタクリの花について色々教えていただきました。
毎年、花が咲くように急傾斜地の草刈りをし、来場者が通行しやすいように木道を作ったりして世話をしているそうです。
 「花を楽しんでもらえれば」と入場料も取らず、純粋に頑張っておられる姿勢には、感謝と尊敬の念を抱かずにはおれません。町がもっと積極的に動くべきだと思いました。




【小鳥たちと遊ぶ】(2005年2月27日記載)
 昨年10月末以来行ってなかった姫路市自然観察の森を訪れました。
前回は餌台を出してすぐの頃でやってくるのはヤマガラばかりでした。ヤマガラも可愛いのですが、せっかく来たのですから他の種も写し止めたいものです。
 今日は天気も良く風もないのでカワラヒナ、シジュウカラがヤマガラとスズメに混じって餌台に姿を見せてくれました。
やはり冬は餌がそれだけ少ないのでしょうね。自宅の廻りの南天等の実がみごとに食べられて無くなっています。自然観察の森の餌台にはひまわりの種だけでアワやヒエはありませんでした。ひまわりの種は油分が多いから高カロリーで真冬の餌には適しているんでしょうね。
 ネイチャーセンターへ着く手前で道ばたにデジスコを三脚で構えた人がいました。近くのコナラの幹の小さなウロ穴にメジロが入ったので出てくるところを狙っているところだと言ってました。デジスコも急速に普及してきているんだなぁと感じました。同好の誼でもう少し話したかったのですが相手も迷惑でしょうし、私も先を急ぐので頑張ってねと別れました。
 久しぶりにゆっくりと自然の中で小鳥たちと遊ぶことができました。



【幻想的な花に感動】(2005年1月10日記載)
 久しく行ってなかった姫路市立植物園へ行って来ました。
外は北風ピューピューでも温室の中だけは別世界です。今日などは汗ばむほどでした。
花の少ないこの時期はここに限ります。ちょうど蘭の展示会が始まったばかりでした。
 入ってすぐの展示室でカトレアを撮影していましたが、さて次はどの花を撮そうかと見渡していたところ、一瞬ぎくりと目が釘付けになってしまいました。
パフィオペディルムという下の花弁が袋状になった蘭に太陽が逆光で当たり、まるでホタルか飾り提灯を灯したように輝いているのです。舞台の主役がスポットライトを浴びたようで幻想的な光景でした。
もちろん、太陽が動くし雲の多い日でしたから短い時間の出来事でした。
 あわてて三脚とカメラを移動し撮影できたのは5~6枚だけでした。絞りやフォーカスを変えてもっと撮したかったのですがかないませんでした。
花を逆光で撮すことは常套手段でしょっちゅうやっているのですが、この袋状花弁のパフィオペディルムだけは特別ピッタリくるものがあるようです。

 この時の1枚が作品集のNO.213です。
あとでインターネットで調べてわかったのですが、パフィオペディルムという名前はギリシア語で,「女神のサンダル」の意味だそうです。下側の花弁が袋状になっているところからつけられたようです。
 私には「女神のサンダル」と言うよりも「ホタル」や「飾り提灯」を連想するものでした。



【偶然カワセミと遭遇】(2004年12月26日記載)
 今日は揖保川の下流へ水鳥を狙いに。
しかし、鴨やオシドリがいるもののなかなか目の前に来てくれません。
カメラのバッテリーを節電しようと電源を切ろうとしたとき、な・な・なんと我が目を疑いました。
あのコバルトブルーのカワセミが約7~8メートルの至近距離にやってきて留まっているではありませんか。
夢中で画面に捉え慎重にフォーカスを決め連写しました。
光線の具合も最高でした。残念なのは、背景が枯れ枝でごちゃごちゃうるさい場所だったことですが、こればっかりはリクエストもできず割り切らねばなりません。

 約5分ほどの短い間でしたが、久しぶりにワクワクドキドキ感を味わえたひとときでした。
このあたりの環境がこのまま変わらず、カワセミが生息し続けられるよう願わずにはいられませんでした。



【カワセミ撮影高ヒット率】(2004年9月12日記載)
 今日も「姫路市自然観察の森」へ行ってきました。2回続けてカワセミの撮影に成功しました。
毎日この場所へ来てるという方が二人ほど居られますが、先週は日本野鳥の会の人がカワセミを撮影しようと随分粘ったそうですがとうとう姿を見せなかったそうです。
 「私は運が良い方なのだ」と自分自身で満足している次第です。ただ、前回とは個体が違っていました。前回はオスでしたが今回は下くちばしが赤いので(いわゆる口紅)メスです。
 今回はもっと大きく写したいため、スコープの接眼レンズを40倍にかえ、観察小屋よりもさらに前進位置から写すため、ブラインドテントを持参しました。それに今回自作した、三脚取付け用のプレートを利用した「ブレ防止治具」もよく役に立ちました。
 コバルト色の美しいカワセミをしっかり撮影でき大満足の一日でした。


【カワセミが撮れて感激】(2004年8月22日記載)
 昨日に引き続き「姫路市自然観察の森」へ行って来ました。今日はいきなりカワセミが写せました。
大感激です。あのきれいなコバルト色の背中や愛らしい黒い目を約2時間ぐらい堪能させてくれました。
何度も水面にダイブしては小魚をゲットする様子も見ることができました。
 ただダイビングなど動きのあるシーンはデジスコではさすがに無理なので、この目にしっかりと焼き付けてきました。



【小鳥の撮影は難しいです】(2004年8月21日記載)
 デジスコを始めてから約1ヶ月が経ちました。今日は「姫路市自然観察の森」へ小鳥をねらいに行って来ました。
 今まではサギなど大型の鳥ばかり撮ってきましたが、初めて小鳥に挑戦です。
結果はさんざんで、一枚も収穫はありませんでした。駐車場に車を停めてから歩くこと約1時間。みるみる内に汗が噴き出しシャツはベトベト状態です。おまけに水筒を忘れてきてしまい、自販機の無い山の中で咽の渇きとの戦いでした。



【野鳥にはまってしまいました】
(2004年8月1日記載) 
 最近、野鳥の魅力に取り憑かれてしまいました。きっかけは自宅近くの水田に10羽ぐらいで飛来したシラサギでした。水生昆虫などの餌を捕るのが目的で、植えられた稲の間をゆっくりと歩きながら餌を探していました。
 人が近づくとパッと羽ばたいて少し遠くへ逃げます。この飛び始めと着地前の羽の格好が何とも優雅で魅力を感じます。青々と茂った田圃と真っ白な鳥とのコントラストが何とも言えません。7月下旬の3連休ではシラサギを追っかけて撮影しまくっておりました。

毎日、朝夕の通勤にもわざわざ遠回りになるのですが、この水田側を迂回してシラサギ達を観察して楽しみながら通勤していました。
 ある日、パタリとシラサギ達の姿が見えなくなってしまいました。何が原因かといろいろ考察した結果、田の水が干上がったのが原因でした。水田といえどもいつまでも水があるわけではなく、稲の生長に合わせて水を抜いていきます。水のないところに水生昆虫などの餌は当然いなくなります。
 私は急にいなくなったシラサギ達が恋しくてなりませんでした。他の場所を探し回った末に見つけました、揖保川にたくさんいるではありませんか。うれしいことに自宅から車で5分ほどの近場です。

 撮影機材も今のままでは非力なので、にわかにネットで猛勉強し「デジスコ」の機材を購入しました。
「デジスコ」とは野鳥観察用のスコープにコンパクトデジタルカメラを無理矢理取り付けて撮影する方法です。「コリメート法」と呼ばれて昔からあるにはあったらしいのですが、フィルムの無駄との戦いだったため普及しなかったらしいのです。
ところが、最近のデジタルカメラの発達に伴い急速に普及してきているようです。
デジスコの利点は何と言っても2~3000ミリ、場合によっては5000ミリといった超望遠撮影が安価な予算で実現することが可能なことです。
一眼レフカメラの場合キャノンなら1200ミリ望遠レンズは受注生産で980万円という高額な価格です。
それがデジスコなら数十分の一の価格で手に入れられるのですから驚きです。
 画質もそんなに悪くはありません、曇天の暗い日でも高速シャッターが使えるなど撮影条件でも有利な撮影方法だと思います。

 今日はこのデジスコ機材の試運転をするべく揖保川の河川敷公園へ撮影に行って来ました。
20羽ほどのシラサギ達が浅瀬で捕食していました。初めて使うためかピント合わせが難しく感じました。止まっている鳥は写せるようになったけれど、飛び立ち初めや着地寸前の独特の優雅な姿はよっぽど操作に熟練しないと写し止められないと感じました。

 このデジスコで撮影したい鳥の最終目標は「カワセミ」や「オオルリ」です。生息場所を見つけるところから始めねばなりませんが、何とか頑張ってあの金属光沢の青い鳥を自分の手で写し止めたいと思うのです。
 子供の時代に感じた「ワクワク、ドキドキ感」を最近この年齢で毎日感じています。

  あーもう「野鳥撮りたい病」にかかってしまったようです。

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