奥氏
樫井(泉佐野市樫井)
『大阪府全志』によると、『もと紀州熊野湯川庄の守護であり湯川庄司と称し、湯川を以って姓とする。従五位下安房守政春は四品侍従に叙せられ、歌人筑波集作者の一人であった。子孫は応仁以降武家に従い戦場に馳せかけ、久忠に至り将軍足利義尚に仕へて奥将監と号し、後に畠山高政に仕へる。久国に至り樫井城を預かる。以後、郷士となり本地に居住し、代々庄屋を勤めて明治の初年に至る』という。
織田信長の雑賀攻め、豊臣秀吉の根来攻めでは、ともに抵抗したため一時没落し樫井を離れていたようであるが、子孫は、江戸期に樫井の庄屋となる。

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