土丸城

山城
所在地:泉佐野市土丸
 1347年、足利尊氏の命を受けた地元の豪族・日根野盛治が警固したのが始まりです。しかし、1352年には南朝軍に攻められて陥落しました。
 1378年、今度は、南朝方の武将(橋本正高・和田正武)が籠城し、北朝軍を迎撃したのですが、またもや落城してしまいました。橋本正高は、1379年、1380年にも再び籠城し、山名氏清と戦うのですが、橋本正高は、敗死しました。
 その後、1382年には、楠木正勝が籠城し山名義理と戦ったのですが、敗れて城を捨て去ったといいます。
 このように、南北朝時代、この城は両朝の激しい戦いの舞台となっていました。
 なお、土丸城は雨山城とは尾根続きであり、両城合わせて土丸(槌丸)城または、雨山城といい。雨山側では、土丸城は雨山城の三の丸と称していたそうです。
 土丸城は、雨山城を合わせてみると結構大きな山城です。地元では昔から名城といわれているのですが、度々落城したのは、中途半端な兵力では十分守備を固めることができないのかもしれません。