興蔵寺城

所在地:泉南郡熊取町小谷
 泉南郡熊取町の興蔵寺城の東南400メートル、標高170メートルの山頂付近が城址と推定されている。
 高倉寺山城、丸山城、高蔵寺城ともいう。降井(中)盛彬『先代考拠略』によると明徳年間、大内左京太夫義弘が築城し、降井家の祖先高瀬太夫を城主としたという。その後、文明年間の末に八木郷西大路村の武士大路信濃守が妾の別荘としたという。大路信濃守はこの城にて、延徳2年、降井盛彬の祖先高瀬六郎秀充に攻められ討死したという。
 『和泉志』に「高蔵寺城、在小谷村相伝、天文中、修理大夫三好光親及其子光俊拠焉、天正中、八木野内匠戦死城下、石碑猶在、又有高蔵寺址」と記されている。
 『和泉志』に「高蔵寺城、在小谷村相伝、天文中、修理大夫三好光親及其子光俊拠焉、天正中、八木野内匠戦死城下、石碑猶在、又有高蔵寺址」と記されている。