山内氏
土豪
家紋:
居城:
南北朝時代に上杉憲忠の次男・房顕が長瀧に来往し、山内家の先祖となったとの伝承があるが定かではない。
山内家は元は『城殿』と称していたが長右衛門信成(1558〜1653)の時に山内と改姓した。
山内家は、貝の池の修築などの灌漑水利の整備などを行うことによって長瀧庄の有力者となり、豊臣秀頼時には中番庄屋を勤めた。
信成の弟・甚次郎は、木戸性を名乗り子孫は代々蟻通神社の神官を務めた。
日根野弘就の伯母
喜和─┐
城殿 ├─森之祐─┐
蔵人───倉之助───兼勝───治部太夫───森瀧─┘ 信清 │
(木戸) 藤原信貞 藤原三氏 │
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└┬─長右衛門
│ 藤原信成
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└─甚次郎
蟻通神社の神官木戸氏の祖