新泉州志>
最終更新日は、2007.3.25です。
和泉守護代・松浦氏
戦国期泉州に台等した和泉国の守護代・松浦氏については、断片的な資料しか残っていませんので、
わからないことが結構あります。
このページでは松浦氏について調べたことを色々のせて行こうと思います。
松浦氏系図
五郎左衛門尉────五郎次郎─┬──孫五郎
有盛?│ 光
守 │
└──萬滿
松浦家の人々
五郎左衛門尉
細川元有の家臣。
明応6年11月、元有の使者として根来寺に派遣される。
五郎次郎
肥前守守。
細川元常の家臣。和泉上守護代
天文四年、秬谷に野田山城を築く。
『永源師檀紀年録』の細川氏系図で、元有の四男として有盛が見え
「五郎次郎、為泉州守護代松浦肥前守嗣」とあるという。
孫五郎
肥前守光。
弘治三年、16歳の時、木積に蛇谷城を築き、永禄元年に三好長慶の弟・十河一在と戦う。
後に岸和田城主となるが、泉州俗語では岸和田浜辺で家老の寺田安太夫に射殺されたという。
萬滿
九条文書によると三好長慶の弟・十河一在の後見を受けていたようである。
松浦氏の謎
・肥前国の松浦氏との関係は?
・三好長慶の弟の十河一存の庇護を受けた松浦肥前守の子?松浦万満と蛇谷城に籠って十河一存と戦った松浦孫五郎
(九条文書と井手文書?)
・上守護細川元常の弟有盛が松浦肥前守某の養子となっている『紀年録』細川系図の信憑瀬は?
(五郎次郎有盛=五郎次郎守)
・岸和田浜辺で家老の寺田安太夫に射殺された松浦肥前守(光?)
(泉州俗語)
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