秋の日、布都彦と


 目に見えぬ移ろいは、日々訪れる。そよぐ風の心地良さに目を転じれば、木々の葉がカラカラと揺れるほどだ。ほどなく、落葉も始まるだろう。
「・・・できたの?」
 コン、と額を軽くつつかれて、窓越しに庭を眺めていた布都彦は我に返った。テキストは開かれているが、ノートは白さが目立つ。と、いうよりほとんど進んでいない。
「春からの復習も兼ねて勉強したいから、ちょっと見てくれって言ったの、誰だっけ」
「・・・すまない」
「謝ることないけどさ。現実逃避して困るのは布都彦だよ」
 テーブルには、菊茶の香りが立ち上っている。那岐が入れてきたそれは、湯の中で開く花弁がたおやかで目の疲れにも効く。少々苦いが、飲めないほどではない。
「蜂蜜とか、入れる?」
 那岐の言葉に、布都彦は首を振る。
「そう?風早とか、いつも眉間にシワ寄せて飲んでるけど」
「・・・と、いうことは那岐が見立てて買ってきたのか」
「まあね。遅くまで本読んだりしてて目も疲れるんだろうに、風早もいい年して無頓着だから」
 ふ、と影が落ちる。誰かを案じる時、こんな顔をするのだと気付いたのは再会した半年前から。子供の頃は知らずにいた一面が見えるのは自分が成長したからなのか、那岐が変わってしまったからなのか。
「・・・ここ。ポイント押さえとけば、あとは応用していけるから。基本だけ、できるようにしとけばいいよ」
「うぅ・・・・・」
「もしかして、基本と応用の区別がつかない?」
 と、今度はテキストを軽くめくって例を挙げ始めた。ノートの1Pを使って相互の違いを図示されたものは易しく噛み砕かれている。それは学年が一つ上だから、ただ聡明だから、というだけではないだろう。口調はぞんざいでも、面倒見がよいのは相変わらずだ。
「・・・・・ああ、そうか」
 難物に見えるものも、切り分けて考えれば単調なものの集まりに過ぎないことが、その説明で分かる。それが無機質であれば、課題だけにとどまらず同じであることも。氷解したらしい布都彦を見て、那岐も菊茶に口をつける。もう、湯気は立っていない。
「そういえば、那岐は猫舌だったか?」
「そうだね。どっちかって言うと、熱いのは苦手」
「なら、いいが。せっかくのお茶が、説明してくれている間に冷めてしまったようだから」
 布都彦が言うと、那岐は僅かに口角を上げた。その、皮肉めいた綺麗な笑みが実はクセモノで。
「変な気、使ってるヒマがあるんだったら、さっさと終わらせちゃいなよ。こんな気持ちのいい日、昼寝しないなんてもったいないだろ」
「昼寝!?こんな、秋晴れの昼日中にか」
「・・・言うと思った。ホント、変わらないよね、布都彦は」
 どこか、遠い目だ。今の学校に上がってからの一年、会わずにいた一年の間に積み重ねた違和感がそこに在る。それは、何かしら胸にさざ波が立つような。けれど、いつも。そこへ手を伸ばそうとすると、那岐は身をかわす。再会した春先からずっと・・・現に、今も。
「ま、手っ取り早くそれができたら・・・添い寝の相手してやっても、いいよ?」
「なっ・・・!?」
 添い寝、の意味を測りかねて目を白黒させた布都彦をそのままにして。意味深な言葉だけを残して、当人は秋の香りとともに立ち消えたのだった。

Fin.