巻頭言
心 臓 の よ う に
倉 沢 栄 吉

 大きな働きをしている小さな心臓、絶えず小さな音をたてて動いている。外からはわからない。たしかに生きているという証しを示しながら、いつまでもいつまでも動いている。教育を考え、言葉を思い、実践に重ねるとき、私は、常に心臓を思い出す。

 研究をするとき、あまり、仲間がふえすぎない方がよいのかもしれない。心臓は、肥大すると働きはにぶる。永続的な恒常的な実践にふさわしいのは、小さな研究集団であろう。研究が盛んになり大きな集団を形成すろことは悪いことではない。しかし、組織の中に個性が吸収されてしまう危険も多いのである。

 研究をし合う同志が小人数で、コツコツと続けていく。心臓のように絶えることなく進めていくのが実践家にふさわしい。だから、自然に仲間がふえることは当然だが、仲間をふやそうとする無理な努力は不必要だろう。「近江の子ども」も、高野さんの献身的な努力が実って今日の大を成したが、その過程で、組織拡大に無理をしているわけではない。コツコツと続けているうちに、志ある仲間がつき、だんだんとふくらんでいったのである。それは不断の営みに支えられた。不屈の精神に支えられた。

 「近江の子ども」は、今日では「日本の子ども」といってもよいくらいあまねく知られている。しかし、マスコミやジャーナリズムに乗って、商業的な儲け仕事にはけっしてならない。それでいいのである。文化と教育は、地味な心臓のように、永続的な、しかし断えることのないき働きである。

 定期的に仲間うちが、実践を語り合っていく楽しさは、他の何ものにも代えがたい。自らの内にある心臓のたしかさをみんなで認めあっていく喜びなのである。
(文教犬学教授)