一番に伝えたいこと
弓 削 裕 之

「お父さん、カナブンとんだ。」
 私が仕事に出かける直前、近くで寝ていた5歳の息子が、ねぼけまなこでそう言った。部屋の中にカナブンが飛んでいるのかと思い探してみたが、どこにもいない。
「カナブン、とんだの。」
と返してみると、
「動かへんかったけど、ふた開けたら、とんだ。」
と、言葉を探しながら答えた。どうやら、虫かごに入れていたカナブンが動かなくなり、死んでしまったのではと心配していたらしい。元気に飛んでいったことがうれしくて、起きて一番に「カナブンとんだ」と報告したのだろう。出来事が起こった順序通りではないので、この言い方では事情を知らない父には伝わらない。しかし、息子が伝えたいことを順番に並べた時、一番は「カナブンとんだ」だった。

 学校では、子どもたちがいろいろな出来事について話しに来る。相談の時もあれば、ただ「伝えたかっただけ」という時も多い。話の全容が見えにくい場合もあるが、子どもの話に頷きながら耳を傾けていると、少しずつ原因と結果が明らかになっていき、順序が見えてくる。ゆっくりと自分の言葉で話すことができた時、子どもたちは満足そうな表情をしてにこにこ帰っていく。
 ただ、自分自身を振り返ってみると、決して穏やかに子どもたちの話を聞ける時ばかりではない。友だちとのトラブルがあり、その相談や報告に来た際、(一刻も早く解決した方が良い)というこちらの思いから、焦った関わり方をしてしまう時がある。

 「先生、Bさんに嫌なことをされました。」
 例えば、そうAさんが相談しに来たとする。まずは起こった出来事をはっきりさせるために、「いつの出来事ですか」「どこでありましたか」「どんなことを言われたのですか」などを確認するだろう。Bさんにも同じようなことを確認すると、BさんもAさんにされて嫌なことがあったと言う。そんな時に私は、「どうしてされたことしか言わず、自分がしたことは黙っているのですか」と、子どもを追いつめてしまうこともあった。そして、そうやって長い時間をかけて「事実」を確認している間、その時々の子どもたちの気持ちはずっと置いてけぼりになっていた。
 子どもたちが「ごめんなさい」「いいですよ」を伝え合い、話し合いが終わった後、ふと「Aさんが一番に伝えたかったことは何だったのだろう」と思い返してみる。Aさんは、悲しかった気持ちを伝えたかっただけかもしれない。本当は自分がしてしまったこともよく分かっていて、それでも「一番に」伝えたかったことは、自分の悲しい気持ちだったのかもしれない。私があの時「悲しかったね。辛かったね」とAさんの気持ちを理解してあげられれば、Aさんは、自分から全てを話すことができたかもしれない。

 カナブンを逃がした息子が、従姉からカブトムシをもらった。毎朝、起きたらすぐに「カブトムシ見てくる」と玄関に駆けていく。今度はどんなことを伝えてくれるだろう。「一番」の言葉を、楽しみにしている。
(京都女子大学附属小)