巻頭言
現地〜出向いて、話を取材して
落 合 静 男

 卒業式で校長が式辞を述べることを私は楽しみにしていた。それは、ある年から著名な人物の紹介をする事を考え付いたからでもある。ポイントは、実績を上げた理由を述べて、子ども達にヒントを思い出されると思ったからである。

 例えば、「野茂英雄投手」は、米大リーグで活躍して日米通算で二百勝(日本七十八勝、大リーグ百二十二勝)を達成した。そこで、大阪の友人に出身の小中学校を調べてもらった。大阪市港区の池島小、池中、成城工高と分かった。そこで、大阪に行き小中学校の頃に夢を見る野球少年で、練習したグランドを見た。近所の人から、「なんでもよく食べて、物をあまり言わなかった」と聞き出した。さらに、地下鉄深江橋で降りて、成城工高へ行き、高校大会で優勝した時の盾が飾られており、写真に納め、教頭先生から当時の野茂の様子をお聞きした。活躍した時の新聞や資料や写真を示し「トルネード投法」で投げ続けた時の熱い気持ちを伝えていただいた。「自ら練習を進めた」「監督やトレーナーに恵まれ」「メジャーで新人王、ノーヒットノーランを二回達成した」。その後に、私の生涯の楽しみの古墳や寺社の見学を充実して行えた。

 次の年に、世界の五大陸の最高峰を全て登頂した「植村直己」を紹介した。兵庫県の日高町の七人兄弟の末っ子で育った。有名になったのは、北極の氷原を犬ぞりで走り抜く場面である。家で牛の世話をよくした。植村氏が卒業した府中小、寺、生家、よく遊んだ円山川の河川敷をタクシーで回った。春には珍しく雪が十五センチメートルも積もっていた。冒険館で衣服やソリを見て「自分で決めたことに努力出来る人」とキーワードを知った。

 さらに、小説家の「司馬遼太郎」が『空海の風景』『竜馬がいく』『国盗り物語』『翔ぶが如き』を執筆し、私も楽しく読んだ。東大阪市の司馬遼太郎記念館で天井までの本棚に蔵書四万冊が収納されていたのでびっくりした。
 さらに、明治の岩倉使節団の一員としてアメリカ留学をした津田塾大学の津田梅子の小平市の墓。
 次に、「芥川龍之介」は、墨田区の両国に住んで回向院の隣の江東尋常小・一高・東大を出た小説家。田端文士村記念館や住んでいた家や染井霊園、神奈川の近代文学館などへ出向いた。『杜子春』「鼻』『蜘蛛の糸』の作品を紹介した。

 十七年間で何人も紹介出来た。
(社会科勉強会・六代目会長)