巻頭言
半世紀を越えて
中 村 武 史

 化学会社を定年退職後、独立行政法人に嘱託職員として就職し、国の資金による委託研究の運営に携わっている者です。

 吉永幸司先生との出会いは今から五十六年前、私が滋賀大学附属小学校の五年生の時でした。当時まだ二十歳代半ばの紅顔の美青年(?)でいらっしゃった吉永先生が附属小に赴任され、その後卒業までの二年間をクラス担任として先生にお世話になりました。

 小学校で先生には色々な教科を教えていただきましたが、やはり記憶に残っているのは国語の授業です。とにかく、よく作文を書かされました! また、教材の文章をどのように読み取るのか、生徒の自由な意見を引き出しながら熱心にご指導いただきました。

 算数や理科には正解が一つしか存在しませんが、作文にはいくつもの正解があります。文章を繰り返し考えて自分の感性に最も合致した正解を探してゆく中で、やがて私はその正解を見つけ出す楽しさを感じるようになっていったように思います。ただ、読書感想文だけは嫌いでたまりせんでした。読書自体が億劫になってしまうからです。現在の小学校では、読書感想文の指導は果たしてどのように行われているのでしょうか。

 私は農学部に進み理系の道を歩みました。理系の人間は、ともすれば国語を軽んじてしまいがちですが、社会に出てからは文章力の大切さを幾度となく実感させられました。実験に没頭している間は、ひたすら「もの」と「こと」を追求していれば済みます。しかし、研究テーマを提案し賛同を得ようとするとき、結果をまとめてアピールするとき、実用化を目指して商品設計をするときには、上司や同僚、お客様といった「人」に働きかけて協力を得なければ仕事はうまく進みません。

 そして、第二のサラリーマン人生を送る現在の職場では、委託契約書や実施要領などの内容を事業者様に分かり易く説明しながら仕事を進めなければなりません。ここでも文章力が要求され、小学校で吉永先生に国語を教えていただけたことに感謝する次第です。

 さて、六十五歳を過ぎますと急に高齢者扱いをされる一方で、時々シルバー割引の恩恵にも与かれるため悲喜こもごもといったところです。この先は、厚顔な爺さんだと言われないように、正しく美しい国語を使うように改めて努力してゆきたいと思っています。
(農研機構生物系特定産業技術研究支援センター職員)