「ことばってこんなに面白いんやね」
少 徳  信

 6月に入り、「日常を十七音で」の単元の学習が始まった。いわゆる俳句の学習であるが、そのなかで子どもの印象深い一言と出会った。
「先生、ことばって、こんなに面白いんやね。」

 これは、ちょうど季語について学習を進めているときであった。この時間、タブレットで季語の写真や動画を撮影してくることを子ども達に課していた。前学年までの学習で季語という言葉は知っていても、それが何なのか、どういったものであるかについてはちんぷんかんぷんだ。多くの子が苦戦する中、さっと風が吹いた。私はすぐに、
「今吹いたような、若葉をざわざわ揺らしていく風を『若葉風』と言います。」
と話した。その瞬間、冒頭のセリフを言った子の目が輝いた。
「風にも名前があるんや!若葉風って言うだけでなんか普通の風とは違う気がしてきたわ。」
「じゃあ、どんな感じがした?」
「何かな、いつもの風とは違って、気持ちよさが何倍にもなる感じがする。この風が若葉風なんや!」
 このときこの子は辞書的な意味としての「若葉風」ではなく、耳で、肌で、目で「若葉風」という言葉を獲得したのである。この日、この子は他にも田んぼを吹き抜けてくる「青田風」、若葉がまぶしく広がる「若葉空」など、実にたくさんの言葉と出会った。言葉があることで、本当に多くの感覚が押し寄せてくるという体験をしたことだろう。そして、この時間の終わりに私にかけてくれた言葉が冒頭の言葉である。なんとも言えない、充実した顔をしていた。

 同じ言葉を辞書で引けば簡単にかつ時間をかけずに意味を知ることができる。しかし、本当に知りたいのは言葉の意味だけだろうか。特に季語において、本当に得るべきはその季語の本意であると考える。言葉の意味を説明できるようになることももちろん言葉の獲得ではある。しかし、感じた美しさや感動、気分が心に湧き上がり、その感覚が言葉によって輪郭が与えられることでより鮮やかで生き生きとしたものになることこそ、本当の意味での言葉の獲得ではないかと痛烈に感じた。

 言うまでもなく、国語科とは言葉の教科である。説明文や論説文など、言葉を追いながら論理的に読み進める学習も多くある。だからこそ、今回のような子ども達と言葉の感動的な出会いを大切にしてきたいと思う。生き生きと動き出すような、瑞々しい言葉たちと子ども達をつなぐきっかけになれるよう、日々の実践により力を入れていきたい。
(彦根市河瀬小)