「しまった。教材研究不足だ。」
川 端 大 介

 一年生国語科では初めて物語文『はなの みち』を学習した。子どもたちがくまさんの台詞を工夫して読むことができた実践を紹介する。

 単元計画は五時間で組むことにした。第一時は教師の範読と音読の工夫を考えた。第二時で話の内容をまとめた。第三時で登場人物と季節の変化の検討をした。第四時で台詞を選んで学習班で読み合う活動を行った。

 第一時で「はなの みち」の学習を始めるとき、Aさんがこう言った。
 「ぼく、家で読んできたんだけど先生分からないことがあります。」とのことだった。何が分からないのか尋ねたところ、私は痛烈な気付きを子どもからいただいた。
 「なぜ、くまさんがしゅじんこうなんだろう。」とのことだった。
 私の教材分析・教材研究では全く無い視点だったので、一緒に悩んだ。答えはあるのかもしれないが、心の中で教材研究の未熟さに「しまった。」という思いを持った。

 未熟さを感じた直後、「しまった。」という否定的な思いが前向きな「しまった。」に変わった。
 物語の中に出てくるくまさんの台詞が二つある。後に出てくる台詞に「しまった。あながあいていた。」というものだ。はなのみちの教材研究をする上で五十回程度、音読をした。二つの台詞をどう読んだらいいのかを考えながら読んだ。
 「おや、なにかな。いっぱいはいっている。」であれば、何が入っているのかと不思議な感じで読むのが大半であろう。
 「しまった。あながあいていた。」であれば、種を落としてしまったと、困った感じで読むだろう。
 繰り返し、前述した二つの台詞を中心に音読をした。その中で、何となく分からないことがあった。それは『不思議な感じ』、『困った感じ』とは何かということだ。きっと、学級の大半の子はその二つの感じを理解し、音読で表現できるかもしれない。が、それは『なんとなく』の表現であるように感じる。

 「なぜ、くまさんがしゅじんこうなんだろう。」という問いに答えられなかった私は、何か本物の『困った感じ』を体得できた気がした。
 こんな、心にグサッと残るような発問を授業で仕掛けていくことができるようにしたいと痛感した時だった。

 子どもたちにとって身近な『感じ』は多様である。それらを具体的に引き出せるような体験を学習内容に合わせて経験させてあげる視点を持つことの大切さを教えてもらった。約一ヶ月だった。
 体験を通して得た学びを私は一生忘れないだろう。
(守山市立立入が丘小)