巻頭言
対象に働きかける
大 杉 稔
その研究会は二十一時に始まる。大阪のとある小学校の女性教員による自主的なオンライン研修である。 そのメンバーを束ねているのは、私の小学校教員時代に縁があったかつての実習生。今は、若手の尊敬を一身に集める中核教員に育っている。初々しさと伸び盛り、そこに奥行きの深さが交錯する彼女たち五人の実践を聴くことのなんと愉しいこと。 * * * * 今宵は、教職二年目の教員が実に興味深い算数の提案をした。 子どもの思考力を高める学習にしたいという願いからである。
「□の中に入れる数字が何人だったら計算しやすいですか。」 無限に想定される数の中から、問題を解く自分にとって都合がよいものを選ばせようというのだ。 シミュレーションしてみよう。 7に注目した子どもは、真っ先に「3」と答えるだろう。足し算において補数の相性は最強だ。連想して13、23も挙がるかもしれない。一方、8に目を向けた子どもは「2」を選ぶだろう。 初めの数「7」、後の数「8」のどちらからアプローチするのかは、意味として整理することができる。つまり、「1年生の数」をまず合わせるのか、それとも「後でやってきた子どもの数」を先に合わせるのかという話である。□が一つ入ることで、対話が弾み、そうした思考が活発化しそうである。それはやがて、活用力に転化するだろう。 * * * * 学びとは、新しい価値観とであうこと。昨日までなかった、新しい「ものの見方」を手に入れるということである。 教育課程の全体を人間の身体に見立てるならば、一時間の授業は、その細胞に当たろうか。その一つ一つが活性化してこそ、学びは生きる力となる。 伝統ある本紙の読者の多くは、日々、国語科の教育実践に勤しんでおられる方々であろう。私などは、もはや実践の場を持たず、新しい提案をすることはできないが、この算数の例のように、「学ぶ対象」に能動的に働きかける環境をいかに創るかに注力していただきたい。 算数・数学なら対象は「数・図形」。国語科ならば、それは言うまでもなく「ことば」である。 (大阪樟蔭女子大学)
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