詩の授業参観から学ぶ
森  邦 博

 五年の詩の授業の参観から考えたことである。  参観したのは、詩の情景を絵に表す活動場面だった。

 児童は選択した詩を読んで描いた絵を先生に提出している。そのときに先生は、理由や手がかりにした表現などを聞きとりながら頷いたり、短い質問をしたりして個別に対話しておられた。
 私は参観していて一人の子の絵を見せてもらっていた。すると、他の子の絵が目についた。同じ詩を読んだのだが、描いている絵が違っていたからだ。

 同じ詩(「道」の詩)を描いた絵だが「水平の道の絵」「縦の直線の道の絵」そして「透視図のような道の絵」とそれぞれ違って描いている。三枚を並べながら、描いた中の一人に聞いたら、「読んでいて、作者は右から左に向いて歩いていってると思ったから」との返事だった。作者と同じように歩いている気持ちで読んだのだろう。縦の道の子は、上から見た絵だと言う。さらにもう1人は、遠ざかるのを見送っているのだそうだ。

 詩を読んだ読者(子ども)の心の中の情景は、そのままでは本人以外は分からない。が、絵に表すという活動があることによってそれが視覚化されて顕れ、友達と自分との読みの違いの比較検討が可能になったと思った。
 是非この三人のような、同じ詩を選んだ友達同士で絵を比べ合って尋ねたり根拠を説明し合ったりするような対話の時間を作ってほしいものだと思った。

 互いの絵の違いを比較して聞き合うことで、自分の読み取りとは違う読み手(友達)の読みもまた成立することに気づくだろう。それは自分の読みの視点を広げる機会を体験することでもあるだろうと思う。
 また自分が根拠とした言葉の働きや、詩の情景を表すための工夫や効果を、改めて確かめたり見直したりする場合もあるだろう。そしてそのことは、学びの深まりのプロセスを実感させる場を作ることにもなるだろうと思う。

 しかし、授業の時間はあとわずかになっていた。それは先生が提出した一人ひとりの絵を交えて丁寧に対話を重ねておられたためでもある。が、同時に一人と先生との対話の時間が充実していたからだとも言えるように思うのだった。参観者の私の質問にも「それは〜だから」と言える支えにもなっていたように思う。「個別的な支援・指導の充実」と「児童相互の学び合い育成」の両者に共通するべきは相手を互いに尊重することの育成にあることは言うまでもない。
(京都女子大学非常勤講師)