巻頭言
気持ちを言語化する
山 口 祥 輝

『堅い裃角取れて
マンテルズボンに人力車
いきな束髪ボンネット
貴女や紳士の扮装で
うわべの飾りは立派だが
政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない
心に自由のたねをまけ
オッペケペー オッペケペー
オッペケペッポ ペッポッポ』

 吉永幸司先生からご連絡をいただいた時、川上音二郎の「オッペケペー節」をふと思い出しました。 というのも、私が京都女子大学附属小学校の在校生であった時に、吉永先生が校長に就任。 「国語力は人間力」を合い言葉に様々な取り組みが始まり、その中でも毎週全校児童の前で、詩や俳句などをクラスのみんなで音読する「音読集会」が私は大好きでした。その「音読集会」で、一番の【推し】となったのが前述したオッペケペー節で、意味はわからなくても音が面白い、韻を踏むってこういうことなのかなど言葉、日本語の面白さに気づかされました。このように「言葉」を浴び続けた附小を卒業してから10数年がたち、現在は新米記者として「言葉」を生業とする仕事をしています。

 SNSの普及などで、私が執筆した記事や、現場で伝えたリポートなどは、様々な時間に様々な世代が様々な媒体で見ることが可能となっています。さらに、それをみて様々な人が様々な感想を言える環境ができています。私は、このような環境に私の国語力で挑む日々を送っています。記者というのは、ある事象について感じ取ったもの、取材したものを言語化するという、記者自身の人間力も問われる仕事です。

 この仕事に携わることになってから、小学生のころにはまだあまり理解ができていなかった「国語力は人間力」という言葉の意味がわかってきたように思います。私が幼い頃、和菓子職人の祖父と街を歩いていると、
「段々、公孫樹にも色がついてきたな。」
というように祖父はいつもきまって景色のことを独り言のようにつぶやいて歩いていました。街を歩く人の服装など気づいたことを言語化して自分の中で形にするということを祖父はしていたように思います。

 和菓子はその季節ごとに作るものが変わります。たとえば桜餅。春といえばこのお菓子ですが、祖父は桜の開花状況をみて毎日色などに変化を加えて表現していました。言語化した季節をお菓子で表現していたのです。
 祖父のように様々な機微を読み取り、表現する記者でありたいと思います。
(フジテレビ社会部記者)