巻頭言
御縁をつなぎ御恩を送る 
上 床 美 嗣

 私は、東京の「社会科勉強会」という研究会に属し、「さざなみ国語教室」を毎回楽しみに読ませていただいている者です。
 私どもの会報「逆転」に、昨年五月私が書いた「改めて学級・学校の役割を考えた〜緊急事態宣言による一斉休校で〜」を「さざなみ国語教室」で取り上げていただいた御縁でこの原稿を書いています。

   私は、元々は社会科でしたが、今は、大学で特別活動や学級経営・学級集団論等を教えています。
 ですから、吉永先生から、原稿の依頼を頂いたとき、何を書けばよいか悩んでしまいました。悩んだ結果、「御縁をつなぎ御恩を送る」という題で書くことにしました。

 まず、「御縁」です。
 平成二十年夏、私どもの会は「中世から近世へ 転換の織豊の近江」を主題に巡検を行いました。その二日目の夜、吉永先生に講演して頂きました。先生の丁寧な語り口と確かな実践に、専門教科は違っても小学校教員として多くのことを学ばせていただきました。
 それを御縁に、会員が所属校の校内研究に二年間、吉永先生を講師にお招きしています。それらの仲立ちをしたのが私どもの会の主宰者目賀田八郎でした。目賀田八郎は、私ども会員を、様々なところに御縁をつないでくれていました。

 私も、公立小学校を退職して八年。二つの大学で非常勤講師をしています。これも先輩や同期が、御縁をつないでくれたからです。
 小学校で目の前にいる子供たちも御縁があってのものです。この子供たちに、先達や先輩から受け継いできた「御恩=生きる力」を送るのが教員の仕事です。大学での仕事も同じです。御縁でのつながりは、学校世界だけではなく、社会全体にあるのではないでしょうか。

 コロナ禍の中、教育実習校訪問で、多くの学校を訪問しました。全ての学校が、黒板の方を向いて、教員の話を一方的に聴くという授業でした。子供同士の学び合いを組み込むには難しい状況が、今も続いています。給食も清掃も私語無しです。大学もそうです。大学二年生の中には「まだ友達がいない」と言っている学生もいます。教室が学び合いではなくて、知識・技能伝達の場になっているような気がします。
 一日も早く「御縁をつなぎ御恩を送る」賑やかな学校生活や社会生活が戻ってきて欲しいものです。
(東京家政大学/武蔵野大学)