巻頭言
子どものために 子どもと作る
石 原 佳 奈

 2020年4月。担任する子どもたちは、突然の臨時休業中に5年生から6年生へと進級した。最高学年への切り替わりでもあり,友達とのかかわりも制限された約3か月の影響は大きく,登校再開時,慣れ親しんだはずの学校生活に不安を抱いている子が多かった。実際に学校生活にも多くの制限がなされ、人との触れ合いはなくなった。そんななかで、自分を表現し、他とかかわることができるのが授業だったように思う。物理的な距離や活動の制限があっても、考えの共有はできるからだ。

 そのころ、学校として「国語」の研究を行っていた。試行錯誤してきた手だての一つに「構造的板書」がある。ICT機器が導入され、1人1台タブレット端末を持つ時代。考えの共有をする方法はさまざまであり、それぞれに利点がある。そのなかで黒板に教師が子どもの意見を書いていくよさは、話し合いの深まりがリアルタイムで視覚的に捉えられることにあると思う。今、話題の中心はどこか。だれがどんな意見を言ったのか。似ている部分と相対する部分など、子どもたちは思考を巡らせながら板書と向き合うことができる。

 授業を参観してくださった吉永先生から、「先生の授業には発言の後に間がある。あの間に子どもたちは何を考えているのか。」と尋ねられた。子どもたちにアンケートをとってみると、「自分の意見が黒板のどこに書かれるのか見ている」「次に何を言おうか考えている」「今の発言がどの言葉とつながるのか予想する」などの答えが返ってきた。私が予想していた以上に、子どもたちは教師が黒板を書く時間も課題と向き合っている。そして、教師が書く黒板をもとに考えを深めている。授業者として、その気づきが大きな学びであった。

 感染症予防をしながらも、国語の授業を通して、思いを伝え合い、自分の考えを深めることで、子どもたちのかかわり合いは失われずに済んだ。年度当初に「思ったことをうまく伝えられません。どうしたらよいか困っています。」と日記に書いた子は、3月の国語のまとめには「学校へ行くと、みんなが自信を取り戻してくれる。」と書いた。学校の、集団での授業だからこそ伸ばせる子どもの力がある。

 私は、今、中学校の「数学」教師である。教科の特色は違えども、目の前の子どもたちと授業を作ることに変わりはない。子どもたちのためになる授業作りを楽しもう。
(蒲郡市立塩津中学校)