豆太って優しいの?
岡 嶋 大 輔

「モチモチの木」(光村図書三年下)を扱い、「豆太は、どんな人物か」について意見を出し合った。
「豆太は、夜中には、じさまについてってもらわないと一人じゃ小便できないほど臆病。」
「冬の真夜中にモチモチの木をたった一人で見に出るなんて、とんでもねえ話だ、と言うぐらい臆病。」
「腹が痛いじさまのために、ねまきのまんま、裸足で、半日もあるふもとの村まで走り出したのが優しい。」
「豆太は、一人で夜道を医者様よびに行けるほど、勇気がある。」
等と、豆太の人物像について、それが分かる叙述を挙げながら意見を出し合うことができた。

 途中、Yさんが少し首をかしげながら、
「でも、本当に豆太って、優しいのかなあ。」
とつぶやいた。少し詳しく聞く必要があると考え、Yさんにそう思う理由を聞くと、
「真夜中に、はだしで、足から血を出して、ふもとの村まで走ったのは、じさまのことを思いやってというよりは、じさまが死んでしまう方がこわかったからということだから、それは、優しさではなくて、臆病だと思う。」
ということであった。
 私は、するどいなと思いつつ、その理解に難しさを感じている周りの様子があったので、
「豆太は、どうしたら優しいといえるの。」
と聞いた。
「じさまのことを心配して走っているんだったら優しい。」
とのことだった。私は、
「一つの行動でも、どう思っているかで意味が変わってくるのですね。こわいから走るのは臆病、心配して走るのは優しさということかな。どう思いますか。」
といったようにYさんの発言をまとめ、全体に投げかけた。
「たしかに、優しさではないように思えてきた。」
「でも、作者が『弱虫でも、やさしけりゃ』って書いているから、優しいということかなと思う。」
「じさま本人が、豆太のしたことを『やさしささえあれば』と、優しさと言っているから、優しさだと思う。」
「ここには書いていないけど、『じさま、もうちょっとのがまんだから待ってろよ』と思って走っていると思う。『大すきな』と書いているからそう思っていると思う。だから、臆病もあるし、優しい気持ちもあると思う。」
等と、たくさんの意見が出された。
 その後のYさんの感想は、
「『ここには書いていないけれど』という意見を聞いて、豆太が何を思って走っていたのかなと考えたら、優しさもあると思った。」
というものであった。

 叙述を忠実に読み取り、「優しさ」について思い巡らせ、疑問を素直に口にしたYさんのおかげで、みんなで立ち止まって考えることができた。そして、Yさんの疑問にかかわらせて精一杯考え、自分の意見を出し合ったみんなのおかげで、Yさんもまた多面的に考えられたのではないかと思う。
(野洲市立北野小)