巻頭言
コロナ禍で改めて考えたこと
吉 村 光 基

 2月末から突然の全国一斉休校。私の勤める仁川学院小学校も、5月末まで休校期間が続いた。その間、改めて考えたこと、感じたことがある。特に心に残っていることについて書きたい。

【社会が多様であることと分断について】
 本当に様々な人が生きていて、社会は成立している。年齢、性別、文化、価値観……様々であり、多様であることは複雑であると同時に豊かでもある。どちらに主眼を置くかで、見え方は変わるだろう。今回、その中で「分断」が一つのキーワードになったように感じている。例えば、政府の国民に対する政策の一つ一つがそれである。 1人につき10万円を給付するという話の際、「誰にどのように配るのか」といった点で論争が起きた。社会においてどういう立場の人にお金を渡すことが「正しい」のか、「公平」であるのか……一概に「こうである」(絶対である)とはなかなか言えない。結局、10万円の一律給付となった。私自身、それは自分のことを考えると「有り難い」と感じた。おそらく、有り難いと感じた人が多数だったのではないかと思う。

 また、ある県知事は「公務員に給付される10万円は県が使うお金とする」と言った。私はあの時、内心恐れた。その知事の意見に対して国民の多数が「そうだ、 そうだ」という反応をすれば、この動きは全国各地に広がるのではないかと考えたからだ(結果的にはその考えは賛同を得ず、知事も発言を撤回した)。この自分自身の恐れとは、「給付金がもらえない」というだけではなくて、自分が少数派になるのではないかという恐れでもあったと今となっては感じている。

 この上記の二つの出来事から、社会では往々にして多数派と少数派が生じること、分断されることがあるのだということを実感した。そして、それはそのまま「学校は小さな社会」といわれるように、子どもたちの学校生活にもあてはまる。学校の子どもたちも様々な家庭環境、背景がある。それは、今までも分かっていたつもりではいた。ただ、改めて自分が担任してきた子どもたちのことを考え、「分断を生んでこなかっただろうか」「分断を生んだ上で無意識に傷つけたことはなかっただろうか」と自身の言動をふり返ってみると、自信を持って首をたてにはふれない。

 分断を生まないためには、相手の立場を想像できる力と、それを基に言葉を選んで使うことだ。そのことを心に留めて、日々子どもたちとかかわっていきたい。
(仁川学院小学校)