プラタナスの木の紹介文に思う
川 端 由 起

 2学期末「プラタナスの木」に取り組んだ。物語を読み進めていき、「プラタナスの木」の魅力を紹介しよう、という段階に入った。児童の感想を主体として、物語を読み進めていく学習活動を行ってきた。11月の例会の議題でも上がっていたが、最初に感想文やポップを作るのを目的として物語を読み進めるのではなく、児童の様子を見ながら、最後に紹介文を書こうという学習活動を取り入れることにした。

 紹介文を書くにあたって、教科書の「いかそう」では、【人物の変化を自分と照らし合わせながら読みましょう】とあるが、これがまた難しいのである。ただ単に、自分は文章を読んでこう思う、だけなら説得力がなく、自分の体験を基に「自分ならこう思う」という文章を書かなければ説得力は生まれないと考えた。そして、児童に書かせてみる。「ぼくは、おじいさんがマーチンたちの前からいなくなったのが不思議だと思いました。…」案の定、多くの児童がここで文章が途切れるのである。

 しばらく思案していたが、児童の体験が9歳という年齢でまだ少なく、不思議な体験というのが考えられないのが原因であると考えた。そこで私は、不思議なことが書いてあるファンタジーの本を探しに図書室に出向いた。教科書にのってある本は難しすぎて、全児童対象ではない。低学年向けのファンタジー本から、4年生向けまでの本で児童に探させた。そして、児童の体験となるところを、ファンタージー本の体験と置き換え、自身の経験とさせたのである。

 こうして全児童は、プラタナスの木の紹介文を書き上げることができた。紹介文というより感想文に近いが、ここで、草津市の課題図書の読書感想文の選考を夏に行ったことを思い出した。読書感想文というのは、本に書いてあることと、自分との経験を比較し、本から学んだことを今後自分の人生にどう生かしていくかを書けるかが肝である。しかし、この自分の経験というのが見つけられない児童が多くいることが、今回の「プラタナスの木」の紹介文でわかったのである。では、児童に経験をより多くさせたら、文章は書けるのであろうか? 私は違うと思う。日々の些細な事を文章で書いていく文章の経験値がそれを可能にするのではないだろうか。

 毎日の出来事を大切にして、日々の実践をより大切にしていきたいと感じた。
(草津市立志津小)