巻頭言
座 右 の 「迷」
中 村 信 次

 教職三十八年の終盤は「指導的」な立場を拝命し、講話する機会も少なからずあった。自分のこれまでを顧みても気恥ずかしいことを口にしてきたようにも思う。さらには、「良いお話」だったと拝聴したことも、一週間も経てば話の核心をも忘れている自覚が気持ちを萎えさせる。
 ただ、ネタ帳にもなった一冊のノートには著名な方、作者不詳の一文を、メモ、切り抜きで貯めてきたことは自分の生き方の道標にはなっている。三十分の聴講も、六十分の読書も、残るのは一文の私である。これを一般には「座右の銘」と言うのだろうが、ここでは私の二つの「座右の迷」を紹介したい。

白は白 黄は黄のままに 野の小菊 取りかえられぬ尊さを咲く (田中木叉)
 好き勝手に生きたいわけではないが、余りにも調和を求める毎日を自分にも周りにも求めたくはないものだ。自分らしく日々を送る中で、元気に居ることが周りの安心感を生むと、夫婦、家族生活の積み重ねから思う。「自分の大切さと同じように他の人の大切さを認める」ことは人権教育の目指すところである。その人らしさを、その良さとして素直に受け止められるような自分でいたいものだ。

「選択」とは「他方を捨てる」ことと同義である (作者不詳)
 なかなか決められない、捨てることのできない自分を強く感じるので思わず書き留めた言葉である。「選択」を迫られる場面は日常の中で幾つもある。進学、結婚、就職、節目節目ほどに大きな選択が必要である。最近では家を建てるときに私なりの大きな選択があった。
 他方を捨てる覚悟のない「選択」は後悔が付きまとい、迷いとなって明日の自分を苦しめる。「選択」には良いものを選ぶ語感が滲み出るが、良いものを選ぶという意識以上に、こちらを選ぶことはないという根拠や覚悟こそ大切だと思っている。
 「働き方改革」を通して、様々な学校改革が求められたが、何を変えるかは、「何を変えてはいけないか」をともに考えなければいけないと思ってきた。この芯が決まれば、後は現場感を持って好きにしたら良かったのである。迷うものにはどちらも良さや大切さがあるから迷うわけである。

 こうして、生き様に重みを感じる他人の言葉を借りて、自分の指針としている。機会があれば紹介してきた。教育実習生や初任者にもいくつかの著名先人の言葉で説いてきたが、かの有名な言葉にはどこかでまた出会ってくれるだろうと。私の話は一週間もすれば忘れられてしまうものだろうから…。
(湖南市教育研究所所長)