個々の子どもの学びを
杉 澤 周 一

 定年退職後、学力向上の使命を受け、市内小学校5校を担当し、週に一度は終日、そのどこかの学校にいる。授業を観て気づいたことを放課後その先生に伝えている。相談を受けることも多い。

 物語と説明文を読むことの毎時や単元の終末のまとめと振り返りに戸惑っている。
 単元と本時の目標に照らすことは必須。だから目標と内容によってそれぞれのまとめと振り返りがある。型にはまらない。一斉授業のまとめは、つける力と関わるのだから全員が同じような内容になり、共有するものが多い。振り返りは、個々のもの。自身が学び取った事柄、変容、学び方、喜びや成果、価値づけなど。このような考えを基本に持ってみてはどうかと伝える。そして、その先生とその学年なりに、子どもに示すモデルを考えてみる。「はじめは~と考えていたけれど、みんなと話し合って~ という考えをノートにメモをした。自分と比べたら、考えがふくらんで、言葉をつけたせてよかった。」など。これを日々積み重ねさせてみてはどうかと。
 ただ、次のことも話す。
「読んで終わりたい。その時間のはじめの読みと比べ、その授業における学びの変容を自覚できるようにしたい。だから、終わりは、できれば個々がよいのでは。微音読か黙読で。読む前に、黒板と自分のノートを眺めてから、本時の場面(段落)を読む子どもを思い浮かべてみて。学びの変容、その自覚をしていそうかな?」
「なるほど、読まないと…。」
「その場面(段落)だけ、初めからその場面(段落)の終わりまで、その場面(段落)とその前後、全 文など。授業のはじめも終わりも、意図に応じて…。」

 次の戸惑いも多い。
●一問一答が続くこと。発言した子どもに、全員にも、追加の細かい発問を。泥沼に入ることも。
●児童の発言に即時頷き、そのまま板書、この羅列もよく見かける。挙手をした子どもの発言だけが並 ぶ。もの足りない。
●同じ子どものばかりが挙手をして、いつも同じ子どもたちで進む。
 いずれも個々の学習機会を保障するという考えで次のようにやってみてはどうだろうと伝えている。  主発問により、個別に読み考え書いた後に一斉交流で挙手をした子どもが発言。グループ交流を挟む場合も。発問後、すぐに子どもの挙手、発言も多い。こちらの場合は、すぐに当てないで、全員に考える時間を与えて。つまり個々の学習機会の保障を。どちらの場合も、即時に「そうですね。」「なるほど。」ではなく一人の発言の後、立ち止まる、切り返す、つなぐ、追加活動などはどうか。
●「どうですか?」と全員を見回し間を取り、発言内容を受け止め考えさせる。先生がすぐに肯定、否定、価値づけをしてしまわない。
●「今の○○について、
・どの言葉や文から考え(思い)ましたか?」全員に問いかける。本文を探させる、線を引かせる。 ・みんなも考えてみましょう。それをノートにメモを~。
・グループで一分間、話して~。
・同じような意味のことを考えている人(付け足すことがある人、言い換える人、似ているかどうかわからないけどという人等)は、続けてどうぞ。(手を挙げましょう。立ちましょう。同じでもよいから話しましょう。後で黒板自分の名前マグネットを貼りましょう。)
・質問がある人は、どうぞ。
「教室で皆で学び合う値打ちを理解させ挙手を多くすることもできるが、挙手し発言しなくても、全ての子どもに常時、読み考え書き、話し聞き学びを得る学習活動をさせることを大切にしてみたら~。」

 どの形態にあっても常時個々に学習活動を、振り返ることができる個々の学びの過程、変容を。「そうか、やってみます。」と元気を出す先生。「あれ、やっています。」と笑顔の先生。その向こうには、教室で、時に真摯に時に前のめりに弾んで、読み書き話し聞き学習している子どもたちの姿が見えるような気がする。
(東近江市教育委員会学校教育課)